<愛弟子・三山ひろしと出会うまで>ミイガンプロダクション社長/歌手・松前ひろ子#1
8月にスタートしたBS日テレの音楽番組「あさうたワイド」で、弟子の三山ひろしと初タッグを組み、司会を務める松前ひろ子さん。歌手生活50周年を迎えた今年は、記念シングルのリリースも相次ぐ。今回は彼女自身の歌手人生と、愛弟子である三山との出会いから二人三脚で歩んできたこれまでの道のりについて語ってもらった。
歌に対する真摯な姿勢に本物の原石を見つけたと思った。
――松前ひろ子さんが歌手を目指したのは、従兄である北島三郎の”ある一言”がきっかけだった。故郷の北海道から家出を同然で北島の内弟子になり、修行を経て1969年に『さいはての恋』でレコードデビューを果たしている。
「北島さんが函館の劇場にいらした時、楽屋で『ひろ子、ちょっと歌ってみろ』と言われて畠山みどりさんの『出世街道』を歌ったんです。そしたら『いけるな』と褒めてくれて。その言葉で『私は歌手になれる』と勘違いしてしまったんです(笑)。その後、歌手になるために弟子入りしようと北島家を訪ねました。親の反対を押し切って家を出てきたのに、北島さんは『何で来たんだ? すぐに帰れ』と。『過保護に育った君のような子がこの業界では生きていけないから諦めなさい』と諭されましたが、私も覚悟の家出だったので『何が何でも帰らない』と粘って、結局住み込みで内弟子にしてもらいました。
内弟子として私がしていたのは、主に楽屋での支度や楽屋にお見えになるお客様への接待でした。歌のレッスンは、たまに『曲を作ってきたから歌ってみろ』と言われるくらい。今のように簡単に録音できないので、北島さんにピアノで弾いてもらって、その場で覚えて歌うんです。その場で覚えないといけないので、それが良い勉強になりました。でも歌の勉強以上に、楽屋にお見えになるお客様をどうおもてなしするのか、どうしたらお客様にいい気持ちで帰ってもらえるのか、ということの方が学ぶことが大きかったです。歌を長く続けるには、技術はもちろんですが、人に喜んでいただくために、心を磨かなければダメです。裏表なく誰にでも同じように接して『本当にいい子ね』と思っていただけるような人物でないと、この業界では生きていけませんから」
――歌手デビューしてわずか2年後、松前さんは交通事故に遭ってあごを負傷してしまう。歌手生命を絶たれる危機に陥るが、彼女自身は「絶対に復帰する」と希望を持ち続けた。そんな時期に、作曲家・中村典正氏と結婚することに。
「事故で口が開かない状態になってしまって、リハビリに5年を要しました。私はずっと歌手に復帰する気持ちを持ち続けていましたが、北島さんの薦めもあり、リハビリの最中に結婚しました。後で知りましたが、デビューが決まって最初にレコード会社に行った時、北島さんのレコーディングに立ち会っていたのが夫の中村典正で、彼はその頃から私を気に入ってくれていたそうなんです。
私は家庭に入り、主人や子供の世話をしながらリハビリを続けて、復帰のチャンスを待ちました。中村が毎日ピアノを弾くので、それに合わせて鼻歌を歌っていたことが良いリハビリになったと思います。歌いたいから自然に口も動くようになって、お医者さんからも『よく回復した』と言われるまでになりました」
――衝撃の事故から8年後、松前さんは奇跡の復活を果たす。再デビュー後、地道なキャンペーンが実り、『祝いしぐれ』『初孫』などがヒットした。
「歌えるようになって、一番先に北島さんに『カムバックしていいですか?』とお聞きしました。北島さんからは歌を辞めて家庭に入るように言われましたが、『人に頼らず一人でがんばるから』と言って認めてもらいました。だけどマネージャーもいないし、すべて自分一人でやらなきゃいけなくて、本当に厳しい再デビューでした。そんな中、主人が歌手活動を認めてくれたことが支えになりました。私がキャンペーンで地方に行ってしまうと、それまでしたこともなかった子供の世話をして協力してくれたんです。子供たちもよく理解してくれました。キャンペーンは日曜日が多く、学校の行事と重なるので、運動会にも当日は行けず、前日のリハーサルを見に行ったりしていました」
――歌手として活躍するようになった松前さんの元には、レコード会社などを通じて弟子入りを志願する人が何人も訪れた。しかし様々な事情で辞めていく人が多く、「もう弟子はとらない」と心に決めていたそう。そんな中、松前さんは「LIVEレストラン青山」をオープン。その店で、後に愛弟子となる三山ひろしとの運命的な出会いを果たす。
「店のウェイターを探していた時に、知人から紹介されたのが三山ひろし・・・当時は本名の恒石正彰でした。別に弟子を募集していたわけじゃなくて、食べながら飲みながら演歌を歌うお店なので“演歌が好きな人で、ウェイターをやってくれる人”を探していたんです。彼は歌手を目指して高知から上京してきたばかりで、お金がなかったので、すぐに働ける場所を求めていました。それが、来てみたら作曲家の夫と歌手の私がいてステージもあって、彼にとってはすべてが揃っている環境。『こんなチャンスは二度とないから頑張ろう』と思ったそうです。そういう意味では三山は運も持っていると思いますね。
私は彼が歌手志望とは知らなくて、最初の数日は普通に働いてもらいました。たまたまお客様のいなかった日に歌ってもらったら、懐メロを張り切って何曲も歌ってくれて。『上手いね。良い声してるね』と。そこで彼が歌手志望だと知りました。ある時、試しに三波春夫さんの長編歌謡浪曲を歌ってもらったら、早口で言葉もはっきりしていない。だから『歌は上手いけど、何を言っているか全然わからない。歌手を志すなら詞をはっきり歌えないと』とダメ出しをしたんです。そしたら『わかりました』と一人でトイレに籠って練習して、『もう一回聞いてください』とすぐに直してきました。やる気が違うなと思いましたね。彼は言われたことを『はい。頑張ります』と素直に聞いて、必ず一人で一生懸命、練習するんです。まだプロになったわけでもない、20代の若者の歌に対する真摯な姿勢に、本物の原石を見つけたと思ったものです……。」
(つづく)
次回は「中村典生と3人でつかんだ三山のデビュー」。
作品情報
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松前ひろ子「夫婦鶴」
恩師北島三郎プロデュース、作詞・作曲原譲二による、歌手人生50周年記念曲第2弾!永年連れ添った夫婦の愛を描いた夫婦慧可の決定盤!カップリング曲「おめでとさん」(作詞:千葉幸雄/作曲:中村典正)¥1,204円(税別)/㈱徳間ジャパンコミュニケーションズ