タブレット純独占インタビュー 「いつか『紅白歌合戦』にも『笑点』にも出たい。そんな思いは大切にしたいです」

2020.3.26

和田弘とマヒナスターズの新メンバーとして、2002年に「田淵純」として歌手デビュー。その後、「タブレット純」として、自身が愛してやまない「ムード歌謡」と「漫談」をミックスしたような歌ネタを披露するお笑い芸人としても活動を開始。タブレット純は、今最も目が離せない“うたびと”だ。そんな彼が、今年2月19日にリリースした新曲『東京パラダイス』は、これまでの彼の印象と打って変わって、力強く明るい人生応援歌だ。

この曲は、作曲家の故・中川博之先生の未発表曲の中から、作詞家で奥様である髙畠じゅん子先生が僕にいいんじゃないかと選んでくださったものです。最初聴いたときは、正直『僕が歌っていいのだろうか』と思いました(笑)。僕は、大抵ネガティブな印象しか持たれない人間でして、歌手デビューした時のキャッチコピーも、『生きながら死んでいる』とか『マイナスオーラの泉』とか。僕のような人間がこんな前向きな歌を歌っていいものかと(笑)。ですが髙畠先生は、僕のような後ろ向きな男があえて前向きな人生賛歌を歌うというのが、逆にいいと思ってくださったのかもしれませんね

曲の雰囲気は、『東京ラプソディー』を思わせる戦後歌謡のような曲だと語るタブレット純。オリンピックを控えた東京を鼓舞するかのような力強さと同時に、「時代は今が青春 東京パラダイス」の歌詞が示すように、人生が黄昏に差し掛かった中高年の背中をそっと押すような優しさも併せ持った歌だ。

サビで、三連でリズムを取る部分が出てくるんですけど、そこが一番の聴かせどころですね。特別に振り付けがあるわけではないですが、その部分では、メロディーに合わせて思わず拳を突き上げたくなります。お客さまの反応も、もしかしたら今までで一番いいかもしれません。皆さん、こちらから何か言わなくても、自然と手拍子をしてくださるんです

 

タブレット純といえば、自他ともに認めるムード歌謡フリーク。週刊新潮では、自身の熱い想いを綴るコラムも連載中だ。彼がそこまでムード歌謡にハマることになったきっかけは、幼い頃聴いたマヒナスターズの歌だったという。

僕、小学校のときからAMラジオを聴くのが大好きで、中でも古い時代の歌を聴くのが好きだったんです。ある日、マヒナスターズの曲が流れてきて、衝撃を受けました。僕は、神奈川でも田舎の方の出身で、東京へ出るのも一苦労。マヒナの歌で描かれていたのは、まさに僕の憧れだった東京でした。歌詞の中にショーウインドウやフルーツパーラーなどの横文字の言葉が出てくるのが素敵で、聴いていると自然ときらびやかな都会の風景が思い浮かぶんです。七色に輝く東京を歌で感じさせてくれたのが、マヒナスターズ。マヒナのカセットを手に入れて、その日から毎日毎日聴くようになったんです

マヒナスターズとの出会いをきっかけに、ムード歌謡の世界に魅せられていくことになったタブレット純。

ムード歌謡の中でも、特に昭和40年代までが好きです。その頃のムード歌謡は、モダンな東京が描かれているといいますか、とても格調の高いナイトクラブのような雰囲気が感じられるんです。ジャズやハワイアンといった洋楽の要素もミックスされた、モダンな音楽なんです。最近では、カラオケの定番曲のように捉えられることも多いですが、ムード歌謡こそ、ワインでも飲みながら部屋でじっくり聴いて欲しいですね

 

地元・相模原で一人暮らしを続けるタブレット純に、転機が訪れる。マヒナスターズ好きが高じて、メンバーが開くカラオケ教室を訪れるようになったある日、マヒナスターズのメンバーが一人欠員。その代わりに加入しないかという。突然、歌手デビューを果たした田淵純ことタブレット純。だが、それからわずか2年後に、彼をマヒナスターズに引き入れた和田弘が急逝してしまう。

和田弘さんが亡くなってから、歌手を止めるという選択肢もあったのですが、地元・相模原にはそれなりに応援してくださる方もいて、スナックに呼ばれたり地元のカラオケ大会に呼ばれたりしながら、結局歌を続けていました。そんな状態で8年くらい経った頃、たまたま渚ようこさんと知り合ったんです。『いろんな人を紹介してあげるから、東京に来なさい』と渚さんに言われて、その言葉を信じて東京に出てきて。そこからいろんな方とご縁をいただいて、様々な経験をさせていただきました

東京で新たにできた人脈により、活動の場所はスナックからライブハウスへ移行。バンド演奏をバックに歌うときもあれば、ステージに突然出てきて失神するという奇妙なパフォーマンスを任されたりと、文字通り“様々な”経験を振り返りながら、タブレット純は、「あの時に、なんでもありになりましたね」と笑う。

そんな時に、出演する芸人が足りないからということで、浅草の演芸場・東洋館に出演してほしいと声をかけていただいて。最初は歌を歌うだけだったのですが、芸人さんに混じって出演するうちに、お笑いの要素も入れざるを得なくなってきたんです。最初はモノマネなんかも混ぜてみたんですが、全然ウケなくて(笑)。ところが、お客様が年配の方ばっかりだったからか、大沢悠里さんのマネをやってみたら、だんだんウケるようになってきたんです。さらに、僕は昔自分で曲も作っていたんですが、それをやってみたら、今度は若い子に大ウケしちゃって。そんなことを続けているうちに、今の事務所にスカウトされたんです。マヒナスターズに加入したときは、偶然欠員が出たため。お笑いに足を踏み入れたのも、東洋館から「出る人がいないから出てくれ」と言われれため。歌の道も、お笑いの道も、どちらもそういう偶然からスタートしたんです

 

歌手であり、お笑い芸人。まるで運命に呼び寄せられるかのように、唯一無二のタブレット純のキャリアが積み上げられていく。

歌手としての道も、お笑い芸人としての道も、僕の中ではつながっているんです。歌ももちろん好きなのですが、一番嬉しいのはお客様に笑っていただくこと。人に喜んでいただくという意味では、歌もお笑いも一緒です。実は、お笑いに感謝している部分もあります。元々内向的な性格なので、歌手時代は人前に出ることが怖くて、お酒の力を借りたりもしていました。歌を聴くことは好きでしたが、歌を歌うことが好きなのかさえ分からなくなってしまった。「歌手なんだから、姿勢を正しなさい」とか「髪型が変だ」などと言われるうちに、純粋に歌が聴けなくなった時期もあったくらいです。でも、お笑い芸人として東洋館に出るようになって、お客様に笑っていただくうちに、僕自身の個性が受け入れられたように思えるようになりました。ある意味、初めて舞台に立つ楽しさを感じることができたんです

 

「今はすごく舞台に立つことが楽しくなりました」と笑顔で語るタブレット純に、今後の目標を聞いた。

とても大きな夢ですが、歌手であるからには、『紅白歌合戦』は特別。やはりそこを目指していきたいですね。難しいことは分かっていますが、あんな風に伝統あるものに憧れてしまいます。それでいうと、『徹子の部屋』にも出たいし、お笑いとしては『笑点』にも出演したい。そんな思いは大切にしたいです

 

紆余曲折を経て、歌手でありお笑い芸人というユニークな道を一歩一歩進んでいるタブレット純。今後も、その活躍から目が離せない。

タブレット純『東京パラダイス』

配信リンク:https://nippon-columbia.lnk.to/kNqHR

関連キーワード