【J-POPの歴史】日本のポップスはどのように始まり広まっていったか?
日本で制作されたポピュラー音楽は、Japanese Popを略した和製英語「J-POP(Jポップ)」として浸透しています。J-POPは特定の意図をもって作られたジャンルでしたが、時代とともにその内容は変化していきました。インターネットの普及もあり現在ではさらに多様化したJ-POPですが、もともとはどのような音楽を指していたのでしょうか?また、現在にいたるまでのJ-POPの変遷についてもご紹介します。
J-POPの起源
J-POPの起源は1980年代にさかのぼります。J-POPの誕生とそれまでの音楽との違いなどについて振り返ります。
「J-POP」という言葉のなりたち
J-POPという言葉は1988年10月1日に開局したFMラジオ局「J-WAVE」によって作られました。海外の音楽しか流さないことが売りだったJ-WAVEで、「洋楽と一緒に流してもそん色ない」としてかけられた邦楽がJ-POPの始まりです。当初は「ジャパニーズ・ポップス」「ジャパン・ポップス」などの案も出ましたが、「どちらにしてもJは同じだから」という理由で「Jポップ」と呼ぶことが決まりました。
一般に定着していく「J-POP」
こうして誕生したJ-POPですが、他局が使用に積極的ではなかったこともあり、定着には時間がかかりました。それでも徐々に使用されるようになり、1993年から1995年頃には一般に定着。1995年3月にはタワーレコード渋谷店が移転オープンした際にJ-POPフロアを新設されています。その後はドラマ、アニメ、CMなどのタイアップ曲がJ-POPとして広く浸透していきました。
それまでの音楽との違い
J-POPはそれまでの歌謡曲などの音楽と比べ、テンポの速さ、洋楽の影響を受けたメロディ、コード進行、リズムなどが変化しました。またマスメディアが先導して作った音楽カテゴリーのため、音楽の売り手がそれにふさわしい音楽を分類している点もほかの音楽ジャンルとは異なる特徴です。もともとは感覚的に分類しており、明確な根拠はなかったようですが、洋楽に影響を受けたとわかる音楽、洋楽と肩を並べられる音楽がおもに選ばれました。
J-POPの変遷
一般にも定着したJ-POPは、時代とともに変化していきます。J-POPはどのように変わったのでしょうか?
渋谷系を中心に発展
J-WAVEのヒットランキングには、松任谷由実、DREAMS COME TRUE、サザンオールスターズ、山下達郎、米米CLUB、ピチカート・ファイヴ、大貫妙子らが長年にわたりチャートイン。当初は1970~1980年代に「ニューミュージック」と呼ばれたアーティストたちが目立ったようです。平成以降は、藤井フミヤ、Mr.Children、ORIGINAL LOVE、槇原敬之、TRF、スピッツ、奥田民生、小沢健二、大黒摩季らが注目されるとともに、渋谷系のミュージシャンがJ-POPの代表として扱われました。渋谷系は、「はっぴいえんど」などから続く日本のポップスを受け継ぐミュージシャンとして認識されていたのです。
「はっぴぃえんど」などが活躍した1970年代~1980年代に形成された「シティ・ポップ」については、こちらの記事でも紹介しています。
【シティ・ポップとは】世界が再注目する音楽はどうやって生まれたのか?
https://www.utabito.jp/news/8164/
音楽産業が栄華を極める
1990年代に入ると機材の一般化によって音楽制作の幅が広がり、邦楽は大変革を遂げます。ソフトロック・テクノ・ハウス・トランス・R&Bなど洋楽の表現手法が導入され、洗練された音楽が次々に登場。1982年に登場したCDにより音楽市場は一気に拡大し、1992年ごろからミリオンセラーが続発しました。1998年には日本のCD生産金額は過去最高を記録するなど、音楽産業は栄華を極めます。このころは小室哲哉プロデュースのTRFや安室奈美恵、音楽制作会社・ビーイング系のB’z、大黒摩季、ZARDなどが席巻し、1999年には宇多田ヒカルのアルバム『First Love』が歴代アルバムチャート1位に輝きました。
CD不況と音楽配信
2000年代に入るとCDは不況になり、シングルの売り上げやミリオンセラーも減少。それに対し、ソニーの音楽配信サイト「bitmusic」や携帯電話の「着うた」、NTTドコモの音楽定額配信サービス「うた・ホーダイ」、KDDIの「LISMO」など、デジタルダウンロードの売り上げが増加しました。このころの音楽配信の代表的ヒット曲としては、青山テルマ feat. SoulJaの『そばにいるね』やGReeeeNの『キセキ』が挙げられます。またインターネットへの常時接続環境の普及により、アマチュアが自主的に音楽配信するなどネット中心の音楽シーンも発展しました。
囲い込み作戦と人気曲の多様化
2010年代にはアイドルグループとその他アーティストとの売り上げの格差が大幅に拡大。CDに握手券を付けるなど特定の客層を囲い込む戦略が流行します。またオリコン年間ランキングでは、着うたフルを配信していないアーティストのCDセールスが伸びる傾向が強くなりました。2010年代はCD、着うたフル、iTunesなどの配信ダウンロードとそれぞれチャートが存在したため、ヒット曲の判定が難しくなったといえます。JOYSOUND年間カラオケランキングでは、アニメソングやボーカロイド楽曲などがトップに入るなどセールスで測れないヒット曲が登場し、人気曲が多様化していきました。
J-POPの現在とこれから
時代に合わせて変化したJ-POPですが、これからはどうなっていくのでしょうか?
ストリーミングによりヒット基準が変化
2013年頃からSpotify、Apple Musicなどサブスクリプション型のストリーミングによる売り上げが増加し、2018年以降はダウンロードの売り上げを超えました。時代や生活様式の移り変わりにより、音楽は「所有するもの」から「アクセスするもの」へと変化。このような状況から売り上げの明確な指標はまだ定まっていないものの、「売れた枚数」から「聴かれた回数」に楽曲のヒット基準も変わってきたようです。あいみょんの『マリーゴールド』、King Gnuの『白日』、Official髭男dismの『Pretender』など、1億回以上再生される楽曲も次々に登場しています。
YouTube、TikTok経由のブレイクが増加
近年ではボーカロイドを原点とした米津玄師、ずっと真夜中でいいのに。、YOASOBIなどが人気を集め、YouTubeやTikTokなどの動画プラットフォームを中心に流行した楽曲がテレビを通して広まるという現象も増えています。近年流行しているアーティストは生まれながらにJ-POPを聞いて育った世代で、尺が短く分かりやすいなど、ストリーミングを前提とした曲になっていることが特徴といえるようです。このような音楽シーンの変化に伴い、YouTuberとして活動するアーティストも一般的となりました。
J-POPの世界進出が実現する?
J-POPはもともと世界を見据えた日本のポップスとしてスタートしましたが、全盛期に国内だけのブームとして終わったため、欧米や韓国の音楽にくらべて世界進出が進んでいないことが課題でした。しかし、SNSやストリーミングサービスが全盛となったいま、世界中で手軽に音楽が聴かれるようになり、日本の過去のシティポップなども海外で高評価を得るようになっています。
J-POPの80s90sブームについて語る、ヒャダインさん特集記事はこちらです。
J-POPの80s90sブームが終わらない~ヒャダインの歌謡曲のススメ#8
https://www.utabito.jp/feature_article/7213/
さまざまな変化を遂げたJ-POP
J-WAVEにより作られた「J-POP」という新ジャンルは、時代の移り変わりとともにさまざまな変化を遂げました。1990年代には多数のミリオンセラーを出し日本の音楽は最盛期を迎えましたが、その後はインターネットの普及により音楽の視聴環境も多様化し、J-POPのあり方も変わったようです。SNSを中心としたアーティストが活躍するようになったいま、J-POPも新たな局面を迎えているのかもしれません。