デビュー10周年を迎え、福田こうへいが語る決意とこれから――。 「人との出会いを大切に、心に訴える歌、楽しんでいただけるステージを届けたい!」

2022.1.4

2022年1月1日にデビュー10周年記念シングル第三弾『ふるさと山河/一番マグロの謳』を発売した福田こうへい
東北の豊かな自然を舞台に郷里への想いが綴られる心温まる楽曲と、海の漢の生き様を歌う両A面シングルで新たな一歩を刻む福田に、新曲レコーディング時のエピソードやコロナ禍で改めて気づいた人の温かさ、これからの歌への向き合い方について話を聞いた。


――最初に曲を渡されて聴いた時に、どのような印象をお持ちになりましたか?

『ふるさと山河』は、今まで出した歌と比べてもずいぶんおとなしい歌だなと感じました。故郷の自然を思い浮かべながら「地元の同級生や昔からの知り合いは変わらず元気に過ごしているかな?」「地元を離れて仕事をしている人、よそに所帯を持って生活している人は実家に帰って両親や兄弟と会えているかな?」と、そっと心に寄り添うような歌詞が、聴く人の気持ちをおだやかにしてくれる曲ですよね。

――東北の広大な風景や澄んだ空のイメージが浮かんでくる、とても清々しい気持ちになる歌だと思いました。

生意気なことを言うようですが、個人的には「この曲、デビュー10年目の自分が歌うにはまだ早いかな?」という気持ちもあるんです。このように穏やかでスケール感があふれる歌は、月日を重ねて何回も歌っていくなかでどんどん気持ちも込められていくものですし、長く歌えば歌うほど“育っていく曲”なのかなと思うので、あと10年……。自分としては、多分55歳を過ぎたくらいから歌に“味”が出て来るような曲に“化ける”のかなと思うんですよね。
一方の『一番マグロの謳』は、本物の漁師さんが作った歌詞です。ヨシさん(第一八千代丸 熊谷義宣 氏)は青森県下北郡の大間町で漁師をしている60歳ぐらいの方ですけど、今も荒波を漕いで漁に出ている現役の海の漢。そしてこの歌詞は俺の生き様にピッタリな歌詞だと感じています。

――今回、どのようなご縁があって熊谷さんに歌詞を書いていただくことになったのでしょうか?

実は、ヨシさん(熊谷義宣氏)のことは漁師さんたちが出演するTV番組を見て以前から知っていたんですよ。自分の方が先にヨシさんのファンだったんですね(笑)。ある日、自分のコンサートにヨシさんがいらしていたので声をかけさせていただいたんです。その日は知り合いの女性が来られなくなったため、急遽ヨシさんとお友達が代わりに来たということでした。お話をさせていただく中で「書き溜めた詩があるんだけど、こうへいさんに歌ってもらえたら嬉しんだけど」と、詩を送っていただいたんです。その詩に感銘を受けて、四方章人先生と南郷達也先生に「これ、作品にしてちょうだい」ってお渡しして完成したのが『一番マグロの謳』です。

――そんな巡り合わせがあったとは! チケットを譲ってくれた女性がコンサートでこの曲を聴いたら感激されるでしょうね。

それが、その女性はしばらくして亡くなってしまったそうなんです。完成した曲を聴かせられなかったのは残念でしたが、「一期一会の縁故やってうちらを引き合わせてくれたおかげでこの曲が出来たんかな」って不思議な縁を感じました。

――レコーディング中のエピソードもお聞かせいただけますか?
ちょうど漁のない時期だったこともあり、ヨシさんにレコーディングを見てもらいたくて東京のスタジオに来ていただいたんです。事前にデモ音源を聞かせて「こんな感じの歌になる予定ですよ」と伝えてはいたけれど、実際に俺が歌っているところや様々な音が重なって曲が完成に近づいていく様子をヨシさんにもぜひ見てもらいたくて……。

――初めて目の当たりにするレコーディング風景に、熊谷さんはどんな様子でしたか?

ブースに入って歌っている時にスタジオの外に居るヨシさんの顔を見たら、目を真っ赤にして真剣に耳を傾けていらっしゃったのが印象に残っています。

――福田さんご自身は、作詞者の熊谷さんを前にして緊張することはなかったですか?

ヨシさんは普段から親しくさせていただいておりますので、緊張することはなかったけれど、素晴らしい歌詞を書いていただいたので大切に心を込めて歌わなければという責任を感じながら歌わせていただきました。

――『ふるさと山河』のレコーディングでも印象的な出来事はありましたか?

それが、こっちの曲は「直すところがない」って言われて30分ほど歌って終わっちゃったんですよ。

――それは素晴らしい! 事前に「どういうイメージで歌おう」など、いろいろ考えて準備をしてから臨んだのでしょうか?

レコーディングの前に自分の中でカッチリとイメージを作り上げてしまうと、新鮮味がなくなってしまったり、面白味のない歌になると思うので、逆にあまり曲を聞き込まずにフラットな気持ちで挑みました。そんな中でも曲の1番と2番で歌い方を変えるとか、CDと生歌の違いなど微妙なニュアンスを伝えるために変化球的な味付けはしています。

――ちなみに、福田さんの“レコーディングの必需品”は何かありますか?

必需品は“偽装マイク”(笑)。スタジオの中には実際に収録するスタンドマイクがあるんですけど、それ以外にコードの付いていないマイクを手に持って歌いました。そうやってコンサートを意識して歌うことで自分は自然と歌に感情も入るし、声の強弱も出やすいんですよね。CDはずっと残るものだけど、ただキレイに歌うだけではなく、そこに“歌の味”も込めたいと思っているので自分はそのようにして歌います。

――10月24日でデビュー10周年を迎えましたが、改めてこの10年を振り返って思うことはありますか?

デビュー翌年の夏くらいから全国ツアーがスタートして、ありがたいことに早い時期から多くのお客様の前で歌う機会をいただき今日まで走り続けて来ました。長かったような、あっという間のような無我夢中の10年間でしたが、昔も今も変わらないのは「長く愛していただける歌を、一人でも多くの人に届けたい」という想い。「1回聞いたからもういいや」じゃなく「次のコンサートもまた必ず会いに行きたい」と思っていただける、息の長い歌手でありたいということですね。

――デビュー以来、精力的にコンサート活動を行って来た福田さんですが、昨年~今年はコロナ禍ということもあり苦しい時間を過ごされたと思います。この2年間は今後の活動に不安を感じたり、歌に対して何か心境の変化が芽生えることもあったのでは?

昨年春の緊急事態宣言以降、世の中が一変して多くの歌手の方たちが歌う場をなくして不安の中にいたと思います。自分も昨年9月から感染者数の状況を見ながら少しずつコンサート活動が出来るようになったものの、その後もいつ感染爆発してイベントごとが中止になってもおかしくない状況だったので、コンサートの幕が開いて客席の皆さんの顔を見るだけで毎回涙が出そうでした。歌番組の収録なども、今まで当たり前のようにやっていたけれど、実は当たり前ではなく、多くのスタッフさんの努力や奇跡の積み重ねの上で出来たものだったのだと分かってからは、些細な事にも感謝の気持ちが生まれるようになりました。2021年は感染症対策に細心の注意をはらいつつ、マスク着用の徹底や声を出さないといった厳しいルールをお客様に協力していただいたおかげで、なんとか120公演をやりきることが出来ました。本当に多くの方に支えられた2021年だったと感謝しています。

――皆さん、声は出せなくとも一生懸命に拍手で気持ちを送ってくださって……。

はい。声が出せなくなってから皆さんの応援の仕方も様変わりして、客席にペンライトの光が増えたのは新鮮でしたし、手づくりのうちわに「こっち見て♡」って文字が書いてあったのを見た時は「俺、アイドルじゃないのに」って、なんだか照れくさかったですね(笑)。「10周年おめでとう」「おかえりなさい」と書かれた横断幕が飾られているのを見て、皆様の温かい心を感じ本当に嬉しかったです。

――気を抜けない日々の連続で大変だったと思いますが、「ここまでやれば皆様に安心してコンサート会場に来ていただける」という感染症対策の一定の基準が分かったことで、2022年も全国ツアーが出来るという自信が生まれたと思います。

まだまだ不安はぬぐえませんが、今後も一か所一か所での出会いを大切に内容の濃いステージをやっていかなくてはと改めて気持ちが引き締まりました。

――ところで福田さんのコンサートは「トークも魅力」という感想を様々なところで見かけます。あらかじめ話す内容などを考えたり、日ごろ面白いことがあったら「これ話そう」とメモしたりしているのでしょうか?

いやいや~、何も考えていないですよ。自分の周りの人の事や身内の話を「この間、こんなことがあって」って友達に話すように自由にしゃべっているだけです。よく「ネタみたい」と言われますが、すべて実体験なんですよ(笑)。口調も実家のおふくろとしゃべっているまんまの田舎者丸出しだけど、皆さんには「そのなまった感じが素朴でいい」「しゃべりが面白くてクセになる」と好評のようです。


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