【「うたびと」オープン記念】水森かおり独占インタビュー

2019.4.10

――16年連続『紅白歌合戦』出場など、実力派演歌歌手として活躍中の水森かおりさん。“ご当地ソングの女王”とも呼ばれる水森さんの2019年の勝負作は、日本三大桜の名所のひとつ、長野県伊那市高遠を舞台にした悲しい恋の物語『高遠 さくら路』だ。

「桜はこんなにきれいに咲いているのに、私の心はまだ木枯らしが吹く冷たい冬のままという悲しい女性の一人旅を歌っています。私達日本人にとって身近な存在の桜の情景と、女性の悲しい心情を重ねて聞いていただきたいですね。カラオケで歌うときは、歌い出しから切ないので、聞いている方に切ない女ごころを伝えられたらもうOK。あと、後半は同じ言葉が繰り返されるので、変化をつけながら歌っていただけたらと思います」

 

――これまで特定の地域を舞台にした100曲以上のご当地ソングをリリースしてきた水森さんだが、実は、歌手になろうと決意したのは、アメリカだった。

「短大生のときに留学したのですが、ホストファミリーの家で、クリスマスパーティーの際、『赤鼻のトナカイ』を日本語で歌ったら、感激して泣いてくれたんです。歌には言葉がわからなくても通じ合えるものがある、涙を流すほど感激させられる力があるって思ったら、それまで自分の中で諦めて蓋をしていた歌手になりたいという気持ちがパーンってはじけて、帰国後、オーディションを受けました」

 

――生まれも育ちも東京下町。歌手として、コンプレックスだったというその生い立ちが、ご当地ソングを歌うようになって、誇りに変わったと微笑む。

「デビュー当時、故郷を離れて家族も友達もいない所で頑張っている子に比べたら、親元に住んでいる私はスタートラインが違うから、人より倍以上努力しなければダメだと言われていたんです。なんで東京に生まれちゃったんだろうって思いましたが、ご当地ソングをいただくようになってからは、東京生まれな分、比べる海の景色や山の景色がないから、どの景色も新鮮に胸に飛び込んで来て、素直に美しいなって思えて。それ以降、東京育ちだって胸を張って言えるようになりました」

 

――そんな水森さんが歌を歌ううえで大事にしているのは、デビューして間もない頃、心に誓った原点の思い。

「デビュー当時、パーティーの席で歌うことがあったんですが、お酒の席ということもあって、誰も聞いてくれなくて…。それを父に愚痴ったら、『みんなお喋りしていて、背を向けているかもしれないけど、耳ではちゃんと聞いているのだから、適当に歌えばいいやなんて考えたら絶対お客様に伝わるから、ダメだ』とすごい剣幕で怒られて。その時、言われた『どういう環境、状況でも、全力で歌いなさい』という言葉は今も大事にしています」

――その姿勢があるからだろう。「かおりちゃんの歌のおかげで今生きていられる」と言われたり、ブラジルでコンサートを行った際は「かおりちゃんの歌で日本に行って景色が見たいと思った」と言われたりしたこともあるそうで、「その言葉がまた力になっている」と目を輝かす。

「一生懸命歌っていれば、ちゃんと届けられるし、私の歌が知らないところで誰かの生きる支えになれているんだなって思うと、これからも100%の力で努めようっていう思いになります」

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