二見颯一 “学生の歌”を脱して大人の味を出せるように 「大学も卒業し、心新たに社会人1年目として再スタートを切りたい」

2022.4.26

5歳から民謡を習い、中学・高校時代には全国大会で優勝するなど、数々の賞を獲得してきた民謡の名手・二見颯一『哀愁峠』で演歌歌手デビューを果たして丸3年。4月27日に5枚目のシングル『0時の終列車』をリリースする。
演歌の定番ジャンル“列車もの”に挑む二見に新曲へかける意気込みから、故郷・宮崎時代の思い出、特技の絵画、料理の話に至るまで、たっぷり語っていただいた。演歌第7世代のトップランナー二見颯一の素顔に迫る!


――5枚目のシングルとなる『0時の終列車』は、これまでの直球の演歌から曲調も変わり、昭和歌謡の匂いがする、いわゆる“列車もの”ですが、歌ってみての感想はいかがですか?

僕は三橋美智也さんの『哀愁列車』や春日八郎さんの『赤いランプの終列車』のような、列車のリズムに乗せて歌う曲が大好きで、2作目の『刈干恋歌』のカップリングにも『望郷終列車』という列車ものの曲を入れていただきました。今回はデビューから丸3年がたって歌に対する思いや歌の技術がより分厚いものになったのではないかということで、もう一度、列車ものに挑戦してみようと、水森(英夫)先生とお話して決まりました。曲調も大好きですし、歌の世界に入り込みやすかったです。

――この曲には深夜の駅での男女の別れが描かれていますが、二見さんの頭のなかではどんなストーリーが展開されていますか。

僕は元々、本当に細かく(曲の)場面設定をするタイプで、『夢情の酒』のときなどは(主人公が酒を飲んでいる)時間は土曜日の夜9時くらいで……なんてところまで考えたほど。今回は0時に最終列車が出るような駅なので、舞台はあんまり田舎でもなく、かといって大都会でもない街で、遠距離恋愛なのか、時折この街で会ってこの駅で別れるということを繰り返しているような二人が、今夜はもう二度と会えない別れをする。その恋人が乗った終列車の灯りが雪の中を遠ざかっていく――そんな光景を頭に思い浮かべながら歌っています。

――歌詞に「戻ってくるか」と聞く男性に対し、「あなたの幸せ探してと…」という女性の言葉がありますが、未練たっぷりな男に対して女性は強いですね。

そうですね(笑)。作詞していただいたかず先生は「男性の方は初々しい恋で、思い出がぎゅっと詰まった駅での別れをすごく辛いと感じているけれど、去っていく女性の方はたぶん(こういう別れは)初めてじゃないと思う」っておっしゃっていました。

――師匠の水森英夫先生からは、歌うにあたって何かアドバイスはありましたか。

技術的なところでは、僕はこれまで曲の最初から最後まで“120%二見颯一”で歌ってきましたが、80%に抑える部分、100%で歌う部分があってこそ120%が際立つんだということや、細かいところで言えば、例えば「恋が行く 恋が行く」のところで一文一文の色(歌い方)を変えるのはもちろんですが、「ふるえる肩を」の最初の「る」と2番目の「る」の色も変えてほしいというところまで指示していただきました。文字単位で変えるというのは初めての経験で難しかったです。

今回、先生は「もともとの二見の持ち味プラスアルファがないと歌い上げられない曲だ」とおっしゃっていて、プラスアルファとは何だろうとお聞きしたら「これまでの二見はやっぱり“学生の歌”だった。大学も卒業し、これからは社会人として大人の味を出せるようにならなくてはいけない。若々しさに加えて成長した部分が必要で、それがプラスアルファ」だと。なので、これから歌い込んで、より熟成させていかなくてはなりません。技術的にもですが、この3年間、何をしてきたかが問われているようで身が引き締まります。

――ところで『0時の終列車』もそうですが、カップリングの『木曽の峠』もまた別の意味での別れの歌です。二見さんは実生活で辛い別れをした経験はありますか。

やっぱり上京する時の故郷との別れですね。僕は一人っ子で、母も一人で僕を育ててくれましたので、母と別れるのは寂しかったです。僕はその頃、歌手になろうなんて考えていなくて、大学を出たら宮崎県庁に勤めて、定年後は九州で教えられる民謡の師範の免許を生かして教室を開こうと考えていました。なので東京ではなく宮崎で一人暮らしをしようと思っていたのですが、母から「出るんだったら一度は東京に住みなさい」と言われて。優しくも厳しい母でしたね。でもこの間、実家に帰ったら(僕がいなくて)今でもまだ寂しいと言っていましたけれど。

――二見さんの故郷は宮崎県の国富町ですが、自分の中に“九州男児”の気質があると思いますか。

どうでしょうか? 宮崎では日向の男性を「いもがらぼくと」と呼びます。里芋のがら(茎)で作った木刀のように、見かけは立派で頼もしいけれど、実際はお人よしですぐ折れてしまうような気質ということ。反対に女性は「日向かぼちゃのよか嫁女」と言います。見かけは派手さはないけれど、芯が強い働き者という意味です。母もそうですが女性が強い土地柄ですね。だから同じ九州でも薩摩隼人や肥後もっこすのようなイメージとは違うかもしれません。

――宮崎時代は5歳から民謡教室に通い、中学生、高校生の頃には民謡の全国大会で優勝もされています。子供の頃からから民謡にハマっていたということですか。

民謡を始めた頃は、たぶん、拍手をもらうのがうれしかったんだと思います。ただ、教室に行った初日に、僕が氷川きよしさんの『白雲の城』を歌ったのを聴いた先生が「今日、この子に一曲覚えさせたい」と言って、宮崎の民謡『シャンシャン馬道中唄』を教えてくれたのですが、帰りの車でも家に帰ってからもずっと歌っていて、その日のうちに覚えてしまったらしいんです。だから5歳の子供なりにどこかハマったのかもしれませんね。

――その頃、子供で民謡を習っている人は少なかったと思うのですが、周囲から浮いた存在だったというようなことはありませんでしたか。

九州では僕が4~5歳の頃、民謡ブームがあったんです。まず、おじいちゃん、おばあちゃんたちからブームに火がついて、(歌いに行くのに)孫も連れて行くようになったために、今の19~25歳くらい、まさに自分の世代は民謡を歌う人が多かったですね。九州で若い歌い手が増えたということで日本民謡協会でも普及に力を入れた結果、全国的に人気が高まって、毎年、協会主催の全国大会などでは今年は九州が勝つか、東北が獲るかみたいな感じで盛り上がっていました。当時大会で競っていた同世代の人の中には、今も民謡歌手として活躍されている方がいらっしゃいます。僕が小学生の頃に音楽の授業に民謡が入ってきたこともあって、特別に民謡を習っていなくても、子供たちの中でなじみはあったと思います。

――そんな民謡少年が日本クラウンの「演歌・歌謡曲 新人歌手オーディション」を受けるわけですが、歌手になろうと決心したのはオーディションに優勝してからだそうですね。

先ほども言いましたが、僕はまだその頃は歌手になろうとは考えていませんでした。でも母も祖母も亡くなった祖父も、学校の先生も民謡の先生も皆、僕を歌手にさせたたかったようです。僕、高校も日大系列だったのですが、日大芸術学部の音楽の先生を紹介してくださるなど、もう学校を上げて応援してくれました。なのに当人は……という感じで(笑)。そんな時、通っていたボーカルスクールの先生が日本クラウンのオーディションに応募してくれまして、結果的に優勝できて、そこからですね、歌手の道を考えたのは。

――優勝して自信が持てたということですか。

それまで民謡の大会で優勝しても「おめでとうございます!」で終わりだったのですが、クラウンのオーディションで優勝した後の取材で、「これからどういう歌の道に進みたいか」と質問されて、「そうか、優勝して終わりじゃないんだ、これから先があるんだ」って初めて気づいたんです。そう思ったら、よし、それじゃあ表舞台に立ってやってみよう、やるしかないと思いました。

――そうしてデビューされてもう4年目に入ります。コロナ禍で思うように活動できなかった部分もあると思いますが、どんな3年間でしたか。

1年目は地方にも行けましたしキャンペーンもできたのですが、2年目からほぼ活動が自粛になってしまい正直落ち込みました。ただ周りのスタッフの皆さんが、(活動が)できないなりに何か出来ることを探そうとしてくださって、ネットを通じたサイン会も開けましたし、YouTubeも緊急事態宣言が出てすぐに始められました。コロナが収まるまでただ待つのではなくて、時間があることを逆手にとって、失敗を恐れずにいろんなことに挑戦してきました。

――YouTubeでは歌以外にも、特技のイラスト作品をファンと一緒に鑑賞する『ふたみアート鑑賞会』を開いたり、趣味のお料理を披露したりと、多芸な一面も見せていますね。

絵を描くのは子供の頃から好きだったのですが、まったくの独学です。スタッフの皆さんと絵をもっと伸ばしていこうと話していて、コロナ禍半年くらいした頃は歌より絵の仕事の方が多かったくらいでした(笑)。絵は見てくれている方を目で楽しませるわけですから、歌とはまた違った視点でどうしたら皆さんが喜んでくれるかを考えるきっかけになります。それに、絵に集中するとリフレッシュできますし、楽しいですね。水森先生から「歌手としての夢はもちろん大切だけれど、他のことで夢を持つのも大事だぞ」と言われまして、考えたのですが、将来、自分のアトリエを持つことかなと。展示室もあって誰でもふらっと観に来られるような、そんなアトリエを持ってファンの皆さんに楽しんでほしいです。

二見が描いたイラスト

二見が描いたイラスト

二見が描いたイラスト

料理はコロナ禍で家にいるようになってから始めました。今はレシピもスマホで簡単に調べられますし。最近は中華にハマっていて、ちゃんと火の通る鍋を買いました。強火で料理できるようになりましたので、先日は青椒肉絲を作ってみました。あと、アボカドが好きなのでサラダもよく作ります。料理を始めてからご飯屋さんではなるべくカウンターに座って厨房の中を観察するようになりましたね(笑)。

――イラストもですが、料理もクリエイティブな作業。ものを作るのがお好きなんですね。

ちっちゃな頃から何かものを作るのは大好きで、それは今も根付いています。最近ではステージのお知らせを、文面だけでは寂しいのでデザインしたり、チラシやポスターも作ったり、自分で出来ることはやっていこうと思っています。ファンの皆さんも僕のアイデアが一部でも入っていたら喜んでくれるかなと思いますし。

――ところで演歌と言えばお酒が付き物ですが、例えば演歌男子の皆さんと飲みに行ったりはするのですか。

コロナということもあって、なかなか機会がありませんね。青山新くんは同じ水森門下ですので、コロナ前には食事に行ったりカラオケに行ったりはしました。もともと、大勢より2、3人で飲む方が好きで、一人で行ったりもしますよ。やっぱりお一人で来られている客さんと話したりするのは好きで、知らない仕事の話などをお聞きするのも楽しいです。お酒の場だからこそできることかもしれませんし。

――青山さんと言えば7月には「我ら演歌第7世代!スペシャルコンサート」が新歌舞伎座で開催されます。二見さん、青山さんの他、辰巳ゆうとさん、新浜レオンさん、彩青さんの5人でのステージ、楽しみです。この5人とはどんな関係ですか。

全員、仲が良くて、レオンさんが一番上のお兄ちゃん、青山君が末の弟みたいな感じです。みんな歌うジャンルも少しずつ違いますし、キャラも違っていて、それぞれ自分の個性を生かせる仕事をしていていいなと思います。そういう仕事の一つひとつを通して演歌男子ってこういう魅力があるんだということを押し出していけたら、演歌、歌謡曲の世界がより盛り上がるのではないかという思いは全員で共有していると思います。

――最後に今年の抱負をファンの皆さんに向けてお願いします。

今年はデビューから4年目にはなりますが、大学も卒業しましたし、心新たに社会人1年目として再スタートを切りたいと思っています。個人の活動だけでなく、演歌第7世代としても頑張って一人ひとりの魅力を発信していけたらいいですね。まだまだ新人ですし、活動の幅もやっと少しずつ広がってきたところなので、1年生に戻ったつもりで頑張っていきます。よろしくお願いします。

二見颯一『0時の終列車』

2022年4月27日発売

品番:CRCN-8479
価格:¥1,227(税抜)

【収録曲】

1. 0時の終列車
2. 木曽の峠
3. 0時の終列車【オリジナル・カラオケ】
4. 木曽の峠 【オリジナル・カラオケ】
5. 0時の終列車 【一般用カラオケ(半音下げ)】
6. 木曽の峠 【一般用カラオケ(半音下げ)】

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