デビュー42年目を迎える山川豊が移籍第一弾『人生苦労坂』をリリース 「日本クラウン移籍第一弾は作詩・作曲ともに原譲二こと北島三郎による人生演歌!」

山川豊
2023.7.5

デビューから42年、『函館本線』『アメリカ橋』などのヒット曲を持つ山川豊日本クラウンに移籍。その第1弾として、日本クラウンの代名詞ともいえる原譲二こと北島三郎作詩作曲の『人生苦労坂』を7月5日にリリースする。カップリングは自身の作曲で、故郷の港町を歌った『ふるさとは港町』。自らが歩んできた道と重なる楽曲で新たな一歩を踏み出した山川に、歌に対する思いとともに、兄・鳥羽一郎との思い出や昨年デビューした甥・木村徹二について、さらに今、プライベートでハマっていることなどを聞いた。


山川豊

——北島作品を歌われるのは、今回が初めてですね。

日本クラウンへの移籍が決まった時点で、ディレクターと「第1弾は北島さんに書いていただきたいよね」と話していまして、最初に北島さんにご挨拶にうかがったとき、軽く匂わせて(笑)、2回目にお会いしたとき、きちんとお願いしました。

——北島さんの反応はいかがでしたか?

「わかった」と快く引き受けてくださいました。ただ、「お前は海の匂いがする兄と違って、田舎者なのに都会の匂いもするし、ブルースとかちょっとおしゃれな感じがいいかもしれないな」とおっしゃって。ディレクターと僕は、北島さんの演歌を山川豊が歌うというイメージを抱いていたので、ちょっと話が違ってきたぞと(笑)。

——ところが、できあがった楽曲はまさに北島節の人生演歌でした。

うれしかったですね。ただ、兄にも言われていましたが、歌うのは大変だろうと覚悟していました。僕はこれまでソフトなイメージの楽曲が多かったですし、徳久広司先生に書いていただいた『夜桜』や『しぐれ川』を一般の方が歌うのを聞いて、「こぶしがまわってうまいな」と感心するくらい、あまりこぶしがまわらないタイプです。でも、北島さんからは、今回はメロディーがうねっているので、こぶしをまわそうとしないでメロディーに沿って歌えばいいと、それよりも「とにかく言葉をはっきり歌いなさい」とアドバイスされました。

山川豊

——歌手人生40年を超えるキャリアをお持ちですが、この曲との出会いでまた新たな発見があったのですね。

すごく勉強になったのが、サビの「人生なのさ」というフレーズの歌い方で、今までの自分なら流れるように歌っていたでしょうが、北島さんからは「人生」「なのさ」ときちんと分けて、それぞれを強調して歌うようアドバイスされたことでした。北島さんは、たとえば『北の漁場』の「北の~」の「の」とか、「漁場はヨ」の「ヨ」とか、言葉尻をすごく大切にハッキリと歌われますが、それは2千人とか3千人が入る会場の奥まで届くようにというお考えからです。そんなイメージで、山川節が乗ってくればいいと教えていただきました。

——特に気に入っているところはありますか?

最初はイントロにエレキギターが入っていなかったのに、北島さんが「山川のイメージで」と入れてくれました。なんともいえないエレキの “山川っぽい雰囲気”から演歌に入って、冒頭の「いくつ越えても」の部分では、下からグ~っとメロディーがうねって、僕の声のいいところを活かしてくれたと感じています。

——歌詞も優しく、山川さんの温かい歌声が心に沁みる人生応援演歌になっています。

北島さんからは、「人生は山あり谷あり、いろいろな苦労があって、みんなそれを乗り切って生きていかなければならない。お前もいろいろな人生を歩んできて、60代半ばになったのだから、世の中の人たちの気持ちを代弁するつもりで歌いなさい」と言われました。僕はこれまで甘い雰囲気の歌が多くてこういう路線はなかったので、この歌に出会って、ここからまた一歩を踏み出そうと新鮮な気持ちになりました。

山川豊

——カップリングの『ふるさとは港町』はご自身の作曲で、故郷の漁師町を歌われています。

20年くらい前から時間があるときに楽曲を書き溜めていまして、その中から今回、北島さんの作品に合わせて演歌を選びました。東京に出てきて、兄と2人で暮らしたときもありましたが、田舎にいた頃を思い出して頑張ろうと励まし合ってきました。故郷は人生を歩むうえで大きな力になったので、今回、北島作品とともにこの歌を出せたことは本当にうれしいです。

——お兄さんとの思い出や故郷については、現在、月刊『カラオケファン』で『兄弟愛、故郷愛』のタイトルで連載もされていますね。

連載では人生を振り返って、これまで話してこなかったことや、僕自身も知らなかった話が兄から出てきたりして、感慨深いですね。うちは生活が苦しかったですから、兄が中卒で船に乗ってくれて、そのおかげで僕と妹は高校に行けました。その感謝はずっと僕の中にありますし、忘れちゃいけない大事なことだと思っています。

山川豊

——そんなお兄さんの次男で、甥の木村徹二さんが昨年デビューされました。

“血”でしょうね。大学生の時くらいから、兄の竜蔵とポップスデュオの「竜徹日記」をやり始めて、すごいなって思いました。うちは息子も娘も歌はダメですけどね(笑)。徹二は叔父さんのほうが父親より話しやすいみたいで、僕に相談してくれたりします。芸能界に入った以上はとにかく頑張って売れてほしいですし、少しでもお手伝いができればということで、彼のデビュー曲『二代目』を自分のコンサートでも歌おうと思っています。「僕のことはいいですから、木村徹二をよろしく」と、叔父さんとしてはそれくらいのことをしてやりたいですね(笑)。

——徹二さんのほかにも、今、演歌・歌謡界には若手がたくさん登場してきて、先輩として頼もしく感じるのではないでしょうか?

頼もしいですよ! でも、この世界は競争だからね。同じステージに立ったら、先輩も後輩も関係なく自分をアピールして、きつい世界をどうやって生き残っていくか。僕自身も兄を尊敬しているけれど、負けたくないと思って頑張ってきました。あと、若手はキャンペーンを大事にしてほしいですね。僕はよく「なんでそんなにキャンペーンをやるのか」と聞かれますが、キャンペーンはコンサートと違って、僕の歌が目的ではなく、別の用事で町に来た人がたまたま立ち寄ってくれて、いいと思ったら僕を覚えてくれて、CDを買ってくれる。ファンの人は真っ先に歌を覚えて歌ってくれるけれど、それ以外の方がどれだけ覚えて歌ってくれるかが歌手にとってはとても重要ですから。それにキャンペーンはお客様との距離が近い分、反応が間近に見られて勉強にもなります。そんなことも含めて、僕が経験したことを若手に教えてあげたいと思います。

——若手の育成に興味がおありですね。

最近、暇さえあれば、まだデビューしていない若い子たちが歌っている動画をYouTubeでチェックしています。自分も移籍したばかりですし、まだまだがんばらなければいけない状況ですが、うずもれている才能を見つけ出して育てて、いつの日か世の中に送り出すことができたらという夢を描いています。細川たかしさんの事務所の田中あいみちゃんにしても、彩青くんにしても、素晴らしいと思います。彩青くんなんて、三味線も弾けば尺八も吹いて、まだ20歳なのに喋りも落ち着いているし、歌もしっかりしている。この間、共演しましたが、僕とどっちが年上なのからわからないくらい(笑)。あんな素晴らしい若者たちをどんどん世に出していけるお手伝いができたらと思います。

山川豊

——デビューから42年、歌手になって良かったと感じるのはどんなときですか?

僕の歌を歌ってくれる人がいることが本当にうれしいですね。いろいろとお手紙をいただきますが、「山川さんの歌を聞くと頑張れる」とか、中には、「命を断とうとしたけれど、この歌を聞いてハッと目覚めた」とか、私の歌でそんなふうに感じてくれる人がいるのだと、今更ながら歌の力の凄さを感じて、歌い続けていかなければと改めて思います。

——最後に読者にメッセージをお願いします。

今回移籍して、『人生苦労坂』という素晴らしい歌と出会えて、新しいスタートラインに立てたような気がしています。みなさんにも「人生いろいろなことがあるけれど、がんばろう!」というメッセージを、歌やトークを通じて伝えていきたいと思います。これからもよろしくお願いします!

山川豊

山川豊『人生苦労坂』

品番:CRCN-8581
定価:¥1,400(税抜価格 ¥1,273)

【収録曲】

1.人生苦労坂
作詩:原 譲二 / 作曲:原 譲二 / 編曲:遠山 敦
2.ふるさとは港町
作詩:かず 翼 / 作曲:やまかわ豊 / 編曲:斉藤 功
3.人生苦労坂[オリジナル・カラオケ]
4.ふるさとは港町[オリジナル・カラオケ]

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