西城なつ美の新曲『花筐(はながたみ)』は、藤あや子作詞の亡き人を思う歌謡バラード 「1人でも多くの方がご自身の歌として大切にしてくださったらうれしいです」
ソウルやポップス、歌謡曲と幅広いジャンルを歌いこなすヴォーカリスト・西城なつ美が、新曲『花筐(はながたみ)』をリリースした。作詞は小野彩(歌手・藤あや子のペンネーム)、作・編曲はMISIAの『つつみ込むように…』などで知られる島野聡という強力な布陣で制作された本作は、愛する人を亡くし、抜け殻になったような女性が描かれた切なく美しい歌謡バラード。詞は西城自身に起きた実際の出来事がモチーフになっているという。「うたびと」初登場の西城に、詞の背景や藤あや子との交流エピソード、そして30年を超える歌手としての足跡について聞いた。
美しい字で書かれた歌詞を読んで涙があふれた
──新曲『花筐』は、藤あや子さんが小野彩のペンネームで作詞を手がけています。どのような経緯で藤さんが詞を書かれたのでしょうか?
藤さんとはかれこれ30年来のお付き合いになります。そもそもの縁を取り持ってくださったのが、私がデビュー当時からお世話になってきたヘアメイクの方です。数多くの著名な方を手掛けられてきたカリスマ的なヘアメイクの先生で、私のことを実の妹のようにかわいがってくださっていました。ところが昨年春に病気で亡くなられて……。以来、長らく歌うことができないままでいました。もちろん藤さんもショックを受けていましたが、気丈な方だけに抜け殻のようになっていた私に「なつ美ちゃん、歌わなきゃダメよ!」と背中を叩くようにおっしゃったんです。「世の中には大切な人との別れを経験した人がたくさんいる。私が詞を書くから、あなたは歌手として同じような悲しみの中にいる人たちの代弁者になって」と。
──初めて歌詞を読んだ時はどのような気持ちに?
藤さんってとても達筆なんですね。その流れるような字でまさしく私の心の内を捉えてくださったその歌詞を読んでいたら、いろいろなことがよみがえってきて……。藤さんに「どう?」と聞かれても、涙で言葉が詰まり、答えられなかったことを覚えています。
──藤さんはレコーディングにも同席されたそうですね。
はい。藤さんにはレコーディングの前にも、デモで録音した仮歌を聴いていただいていたんです。ところが「この歌はメッセージなんだから、歌うのではなく語りかけなきゃダメ」と即ダメ出し。そのままスタジオで何時間もご指導いただきました。レコーディングでも藤さんはボーカルブースまで入ってこられて……もうプレッシャーですよね(笑)。しまいには「本当に申し訳ないんですけど、藤さん、外に出てもらえますか」とお願いしたくらいです。
──それだけ藤さんにとっても大切な曲なのですね。
歌に対して真剣なのだと思います。でもありがたいですよね。ある程度の年齢になると、そこまで厳しく言ってくださる方っていなくなるじゃないですか。藤さんは私の性格もよくご存じで、食事のことでもたびたび叱られるんです(苦笑)。「ちゃんとしたものを食べなきゃダメよ!」って。そんなふうに率直に言っていただける関係になってもう長いですが、今回、改めて歌に向き合う姿勢を教えていただいたこと、そして何より素晴らしい歌詞をいただいたことに感謝の気持ちでいっぱいです。
プロの歌手を志して高校2年で熊本から単身上京
──西城さんは1988年に歌手デビューされています。『花筐』の詞のモチーフとなったヘアメイクの先生とは、その頃に出会われているということですね。
はい。売れっ子の芸能人でもなかなか担当してもらえないくらい、ヘアメイクの世界では雲の上の存在といえるような人でした。そんな方がなぜ私に?とお聞きしたことがあったのですが、どこかご自身と重なるところを私に見いだしてくださったようです。離島のご出身で、高校生の頃に美容を志して上京し、大変なご苦労をされたそうですが、私も高校2年のときに歌手を志して熊本の八代市から上京しているんです。
──中高生の頃は地元の歌のコンテンストで数々のグランプリを受賞されていたとか。
歌うことが大好きで、小学3、4年の頃から何度も地元ののど自慢大会に出ていました。田舎のことですから副賞がお米だったりして、私は5人姉妹の4番目で子どもの多い家でしたから親からも喜ばれました(笑)。本気でプロの歌手になりたいと思ったのは中学1年のとき、テレビで渡辺真知子さんが歌う『かもめが翔んだ日』を見て鳥肌が立ったんです。あの衝撃は今でも忘れません。私は必ずこの人みたいになる!と決めたんです。
──高校卒業を待たず、上京されたのはなぜだったのですか?
中学2年のときに地元の放送局主催のコンテストで優勝しまして、その副賞として東京までの往復チケットをいただいたんです。初めて東京タワーを観て、改めて私はこの大都会で歌手になると決意しました。親としては高校だけは出てほしいということで、地元の高校に入学したのですが、いつも東京に出ることばかり考えていたので、とうとう親も折れて上京を認めてくれました。ただ、高校だけは出るという約束だったので、昼間はアルバイトをしながら夜間高校に通いつつ、平尾昌晃ミュージックスクールでレッスンを始めたんです。
六本木のライブハウスで歌う日々と周囲の支え
──高2の女の子がアルバイトだけで東京で生きていくのは大変だったでしょう。
1日で口にしたのが缶コーヒー1本だけの日もありました。別に無駄遣いをしていたわけではないのですが、レッスン費もありましたから。ただ昼間働いていると、どうしても出席日数が足りなくなって、結局、夜間高校には2年通いました。4年かけて高校を卒業したわけですね。でも当時の担任の先生が本当に良くしてくださって、夢に向かって頑張っているからと応援してくださいました。卒業できたのもその先生のおかげです。今でも先生とは暑中見舞いや年賀状をやりとりしています。
──ヘアメイクの先生をはじめ、見守ってくれる大人たちがたくさんいたのですね。
出会いには本当に恵まれました。デビュー当時に住んでいた場所のご近所さんもみなさん良くしてくれて、今でも交流があります。つい最近もお食事をご一緒したんですけど、いまだに子供扱いされるんです(笑)。「ちゃんとご飯食べてる?」って。
──平尾昌晃ミュージックスクールといえば、数多くのプロの歌手を輩出した名門です。西城さんもそこからデビューされたのでしょうか?
ところが、コースが上がるとレッスン費も高くなりますので、デビュー候補生のコースまで進むことはできたものの、断念してしまったんです。ただ当時、六本木にはアマチュアでもバンドをバックに歌えるライブハウスがたくさんありましたから、1軒1軒回って歌わせていただいていたんです。そこでデビュー曲を書いてくださった先生に出会い、レコードデビューをしたのですが、そう簡単に事は運ばないですよね。
──確かにあまたいるプロの歌手の中で抜きん出るのは、大変なことだと思います。
それでも私はよかったんです。歌う場所さえあれば、聴いてくださる方が1人でもいれば、私は歌いますというスタンスでしたから。また、世に広く知られなくても、身近な方々は応援してくださいましたしね。『花筐』のモチーフになったヘアメイクさんや藤さんもそう。また家族も応援してくれて、アメリカに住んでいる三番目の姉は「ニューヨークでボーカルレッスンを受けてみたら?」と誘ってくれました。以来、現在もたびたびボイストレーニングのためにアメリカに通い、1994年頃にはアーティスト名をNATSUMIに改名してライブも洋楽を中心に歌うようになったんです。
日本語歌詞の曲に向き合うきっかけとなった藤さんの言葉
──藤さんもプライベートでは洋楽をよく聴かれると公言されていますね。
藤さんの原点は民謡ですが、民謡も演歌もソウルだっておっしゃいますね。ただ私はソウルを表現するには洋楽だと頑なに思い込んでいて、藤さんもそれはそれで認めてくださっていたのですが、あるとき、「なつ美ちゃん、そろそろ日本語に向き合ってみなさいよ」とおっしゃったんです。名前も“西城なつ美”に戻したほうがいいと。
──藤さんにはどのような思いがあったとお考えですか?
はっきりとはうかがっていないのですが、やはり洋楽だけ歌っていては聴いてくださる方も限られる。プロの歌手としてやっていく以上は、そのことも考えなければいけない、ということだったのかもしれません。2018年のデビュー30周年記念シングル『優しい時間(とき)の中で』では小野彩名義で作詞もしてくださいました。作曲も『花筐』と同じ、私と同郷の島野聡さんです。その歌詞に描かれていたのが故郷の情景でした。その2年前に熊本では震災があり、私もチャリティコンサートに取り組んでいたので、歌詞もスッと入ってきて、改めて日本語の歌に向き合うきっかけをいただきました。
──現在はライブも日本語歌詞の曲が中心とのこと。改めて日本の歌に向き合うにあたって、どなたから学びを得ましたか?
もともと洋楽のソウルに惹かれていたこともあり、美空ひばりさん、ちあきなおみさん、江利チエミさん、青江三奈さん、そして同郷の大先輩である八代亜紀さん──。日本語でもこんなにソウルフルな歌を歌われる歌い手さんがたくさんいるんだと、今さらながら知りました。ただ、ずっとパワフルな歌唱をしてきた分、『花筐』の“歌うのではなく語る”歌唱はいまだに苦戦する部分もあります。カップリングの『恋はDANDAN』(作詞:小野彩、作・編曲:島野聡)は自分のテイストのまま、リズムにのって楽しく歌えるのですが。ただ、藤さんは「『花筐』を歌えて、初めて『恋はDANDAN』が歌えるのよ」とおっしゃいます。歌って深いなぁと思いますね。
──30年を超える歌手人生で、新たな一歩を踏み出す楽曲に出会えたわけですね。
『花筐』は入り込むと歌えなくなってしまうんです。ヘアメイクの先生のこともそうですが、私は一番下の妹を先に亡くしているんです。その妹や両親、これまで見送ってきたいろいろな人の顔が浮かんできて、涙で声が詰まってしまうんです。とはいえ、藤さんのおっしゃるように、歌手は代弁者にならなければいけない。だからやはり自我はどこかに置き、聴いてくださる方に語りかけるように歌うのがいいんでしょうね。藤さんにはレコーディングでOKをいただきましたが、『花筐』は一生をかけて、命をかけて取り組んでいく歌になりそうです。
──最後に聴いてくださる方にメッセージを。
見送った方のことをいつも考えていなくてもいいと思いますし、生きている方を大切にして差し上げるのも大事だと思います。だけど忘れることは絶対にできないですし、ふと思い出した時に悲しみにくれてしまうこともあると思います。そんな方にとって、『花筐』が大切な人に捧げる歌になればという思いを込めて歌っています。1人でも多くの方が『花筐』をご自身の歌として大切にしてくださったらうれしいです。
西城なつ美『花筐』ミュージックビデオ
西城なつ美『花筐』
発売中
品番:CRCN-8672
価格:¥1,500(税抜価格 ¥1,364)
【収録曲】
1. 花筐 (作詩:小野彩/作曲:島野聡/編曲:島野聡)
2. 恋はDANDAN (作詩:小野彩/作曲:島野聡/編曲:島野聡)
3. 花筐 [オリジナル・カラオケ]
4. 恋はDANDAN [オリジナル・カラオケ]