里村龍一作詞の『港町挽歌』をリリースした吉幾三 デビュー50周年を前に抱く歌手として最後の夢とは?
2021年1月27日に新曲『港町挽歌』(c/w『二人のブルース』)=徳間ジャパンコミュニケーションズをリリースした吉幾三。1997年の『哀(あい)のブルース』、1998年の『冬鴎』以来、20数年ぶりに作詞・里村龍一とタッグを組んだ本作は、苦楽を共にした北の船乗り夫婦の絆を歌いあげたエレジー。<♪どんぶら どんぶらこ>という童謡のようなリフレインも印象的だ。
ユーモアとジョークを次々と繰り出しながら、『港町挽歌』の聴きどころから創作の過程、亡き友への思い、今後の活動までが語られるうちに見えてきたのは、デビューから49年間、シンガーソングライターとして第一線を走り続けてきた圧倒的な凄みとプロの歌い手としての矜持だった。
遥か北の海に出漁する夫を待つ切ない女性の心情を歌う『港町挽歌』
――年の初めに新曲『港町挽歌』をリリースされました。
「『涙…止めて』と『百年桜』が自分の去年の曲だったんだけど、『涙…止めて』は、世界中を周ってきて、子供たちの涙はもう見たくないなという思いを込めています。また、この歌には実は5つの色が入っているんです。自分なりにオリンピックを応援しようと、世界平和を願って出した歌です。
そのあと、弘前の商工会議所の会頭から頼まれて作った歌が『百年桜』。弘前の桜を見る会(弘前観桜会)が昨年の4月で100年になるということで、「『津軽平野』とか青森の歌はいっぱいあるけども、弘前の桜で、歌、書いてくれ」とお願いされました。
僕からすると『港町挽歌』は、この2曲とは位置づけが異なる歌なんです。9年か10年前くらいかな。「俺の書いた詞に曲作ってくれよ」って酔っぱらった里村先生から、電話かかってきてね。そのときは『独航船(どっこうせん)』というタイトルだった。それが『港町挽歌』になりました」
――詞にも<独航船>と出てきますね。
「里村先生自身が釧路生まれの釧路育ち、お父さんが漁師だったそうです。海の歌ですね。独航船は、かつて根室や釧路、函館から出ていた北洋漁業の船で、一度出漁するとベーリング海とか遠方に漁に行って、何週間も帰ってこない。何があるか分からない海に出ていく夫を心配する気持ち、寂しさ、そういう思いを込めて船を見送る奥さん方の歌ですね」
――夫の帰りを待つ女性の切ない心情が歌から伝わってきます。
「うちの女房にはありえないですよ。詞に<♪お酒の五合じゃ 眠れんよ>って出てくるんだけど、うちの女房は五合も飲まないし(笑)。2コーラス目では、一升だもんね。でも、それくらい飲む人いたらしいですよ。漁師の奥さん方は気持ちをしっかりして、家族を守っていかなきゃなんない。下手したら数カ月も旦那が帰ってこないわけだから。そういう奥さん方の歌を今歌えば、その頃にご苦労されたおばあちゃん、おじいちゃんたちが喜んでくれるんじゃないかと。それでこの歌を出したんです。若い連中にも忘れてほしくない、お前のところの親父はそれだけ苦労して漁に行ったんだと。給料全部をオネエチャンのところに持っていくような、俺みたいなことやめてもらいたいんだよ(笑)」
――里村先生からは10年ほど前に詞を提供いただいたということですが。
「『港町挽歌』のような詞は自分では書けないから、詞をいただいた場合は、なるべく早く曲を書きます。『港町挽歌』の詞については<♪どんぶら どんぶらこ>の部分だけを加えました。簡単だからね、ひらがなで<どんぶらこ>って。全体としては女の歌なんだけど、唯一<どんぶらこ>のところは男も女も、となる。あそこのメロディーが、僕自身も大好きなんです。作曲する上での苦労は一切なかったし、すらすらっとできたから、すごい歌ですよ。あとは、里村先生の詞の順序を前後させて、3コーラスだったけど、2ハーフにしました」
――<どんぶらこ>のパートが軽やかですね。それにしてもお酒の五合のような表現にはびっくりします。
「僕にはこういうことは想像がつかない。ほんとに里村先生の書く詞って面白いよね。文学的になり過ぎず、分かりやすい詞も書いてくださる。それに言葉、<尻切れトンボ>なんて、僕は出てこないもん。夫はまっすぐ帰ってこないだろうと妻は内心思っていると一語で匂わせる」
――『港町挽歌』をカラオケで歌う際のポイントは?
「『雪國』ほどではないけど、意外と音域があるんです。最初の2行だけがちょっと低くて、4行目までだんだん上がっていく。その次の<どんぶら>から身体を揺すりながら、歌ってください。<どんぶらこ>という揺れる思いを知らなきゃだめなの。そうするとだんだん合ってくる。そして最後の1行は声を張って歌えばいいんです」
今はまだ歌えない。亡き人々への思いが込められた『二人のブルース』
――カップリングの『二人のブルース』についてうかがいたいのですが。
「僕の亡くなった友達の歌です。もともとは東日本大震災のときに書いた『お前とのブルース』という歌だったんですけど、先だって志村けんさんが亡くなってね。歌はそのままあるので、詞を変えて僕の中で残しておこうかなと。何度もコント番組に呼んでもらったり、外が明るくなるまで飲み明かしたこともありましたしね。飲みに行くと、僕の『酒よ』や『酔歌』ばかり歌って。青森に来てくれたこともありました。(涙を浮かべ)……歌うことはないと思いますよ。レコーディングでもやっとの思いで歌ったんですから。僕にはまだこれは歌えない」
――ご自身の体験が作品に色濃く投影されているように感じました。
「それと僕は渡哲也さんに、ものすごくかわいがっていただいたんです。お亡くなりになる前の昨年の春まで連絡をとっていました。志村さんや渡さんへの思い、震災で亡くなった友達への思い。去年の暮れに亡くなった友達もいて、この状況ではまだお線香さえあげにいくこともできない。どこかで吹っ切らないとだめなんだけど、志村さんだけはね、まだどうしても。だからこの歌は、本当はやめておこうと思ったんですけど、僕の中ではいつまでも生きている人でもあるから、きちんと形にしておきたかった。言わなくてもいい話までしてしまったけど、<けんちゃん>って歌っているしね。おそらく聴いた皆さんもそう思われるだろうから」
一つの言葉から詞と曲のイマジネーションが広がっていく。
――『二人のブルース』のように、ご自身で作詞作曲されるときは、詞と曲、どちらが先行するのですか?
「僕は詞です。詞がなければ楽器も触りたくないくらい。まずどういう歌を書こうかなと、仮のタイトルを考えます。たとえば仮題として昔の「驛」という字を設定する。そして春夏秋冬の季節のイメージ、そこから<♪乗らなきゃいけない驛があり 降りなきゃいけない驛がある>というフレーズが出てきた。それを人生にたとえて書いた詞があります。いまだに覚えているのだけれど、詞を書きながら同時に8小節のメロディーも書いちゃいましたからね。そういう歌は、1時間くらいでできてしまうんです、詞も曲も」
――言葉の断片から詞と曲がそんな短時間でまとまっていくのですか!
「短い4行詞なんかは30分くらいあれば書けますよ。一方で自分が書いた詞でもメロディーがまったく浮かんでこない場合もあります。そういうときは詞だけ書いて、まあいいや、今度時間あったらと置いておく。書くときは1コーラス分だけ。1コーラス書けば、2コーラス3コーラスと書けるから。僕は基本的にコーラスに分けるんだよね。3コーラスとか3ハーフとか。長い詞だったら、2コーラスで十分で、その中で物語を紡げばいいと。詞と曲を同時に書くときは、詞を書きながら、その詞に合わせてピアノの鍵盤押さえて、ここは上げようとか下げようとか。だから詞がないとだめですね」
――詞も曲もイマジネーションがどんどん広がっていくんですね。
「そう、ただ広がるとね、つい放送禁止用語が(笑)。『雪國』は、そもそもあの詞ではなかったからね。<好きよ あなた>じゃなくて<だめよ ×××>っていう詞だったんだから(笑)。那須のホテルで暑いさなか、すっぽんぽんで酒を飲んじゃって、当時のディレクターの長谷川喜一さんがテーブルに小さいカセットレコーダーを置いていたんだけど、大笑いして歌っているのが録音されていた。帰ってきてから長谷川さんに『なあ、ちゃんと作ろうよ』と言われて(笑)。そんなとき、たまたま目にしたNHKの『新日本紀行』という番組で奥羽本線の列車が雪煙をあげていくシーンに、<追いかけて 追いかけて>という言葉がパッと閃いて、最後に<好きよ あなた>が出てきたの。あっ、やればできるじゃんって(笑)」
方言ラップ『TSUGARU』 のPV動画再生数がすごいことに
――コロナ禍での活動は制限も多いと思いますが。
「3月からコンサートを再開する予定ですが、これまではお客様のことも考えて、ライブはあえてやらなかったです。テレビも大変申し訳ないのだけれど、出演を控えていました。この1年、結局去年リリースした『涙…止めて』は2回、『百年桜』は1回しかテレビで歌っていないですし、『港町挽歌』も現時点ではまだ1回しか歌えていません。弟子の真田ナオキが歌番組に出演しているのを家のテレビで見て、感動しちゃってね。女房に「お母さん、お客さんがいないんだけど、ナオキが一生懸命歌っているよ」とか言いながら。でも、あいつはいつも家にくるとギターとかゴルフ道具くださいとか言うんだよ(笑)。どれがほしいのと聞くと、また、一番いいゴルフセットを指して(笑)。もう何を持っていってもいいけど、曲だけは『これを歌わせてください』と言いなさいよと言っていますね」
――コンサートやテレビで直接歌う機会は減っても、Eテレの子ども向け番組への『サボテン・ナイト・フィーバー』の楽曲提供や、YouTubeで公開された方言ラップ『TSUGARU』などの活動が注目を集めました。『TSUGARU』の「コロナに負けるな!バージョン」は、歌謡曲、演歌のフィールドと違い、今の政治に対して感じられていることも訴えるメッセージソングのような側面もありますね。
「差別用語のような言葉を使わなければ、別に誰から指さされることなく、自分の思いを自由に表現できるのが歌ですから。この歌のPVはドローンを使って撮影したんだけど、大変だったんだよ。気温38度の中、青森の田んぼのど真ん中に連れていかれて、ドローン飛ばすから50メートルくらい離れてくださいっていうわけ。遠すぎて詞を確認するカンペがぜんぜん見えない。アフリカの視力のおそろしくいい人じゃないんだから、見えないって(笑)。スピーカーも50メートルも離れていて音も聞こえないし。PVでは、歩きながらラッパーの手を使ったアクションしているように見えるだろうけど、あれカンペめくれ、めくれ!って合図だからね(笑)」
――そういうアクションだったんですね。
「『TSUGARU』はせがれや娘たちが親を置いて余所の土地に行って戻ってこないという、いわゆる津軽の町内の親父たちのぼやきの歌なんだよね。で、今日は一杯やらねえかと。おっかあがいねえから、豚のホルモンに長もやしを入れてっていう。本物の津軽弁で歌って、地元の人は分かるけど、分かんなくてもいいやって気持ちでやったのよ。そしたら再生数400万回近くもいっちゃったから。アメリカ人の知り合いからも反応ありました。『アレ、ドコノコトバ?』って(笑)」
デビュー50周年を控え、歌い手として最後に成し遂げたい夢
――今年は、『青天を衝け』の徳川家慶役で、『春日局』(1989年)以来、約30年ぶりの大河ドラマ出演も話題となっています。来年は、いよいよデビュー50周年という節目の年を迎えます。今後成し遂げたいことはありますか。
「1~2年をかけて、47都道府県の歌を作ること。できた歌はレコードにするということにこだわらず、北海道から沖縄県の石垣島まですべての都道府県で公演をする。ステージで歌って、地元の皆さんで歌ってくださいと。また、各曲をそれぞれ地元出身の歌手の方にも歌ってもらえたらと思っています。そして47都道府県をすべて歩けたら、歌手としてはそれでいいかな。僕もそれでやり遂げたと思わなければ。僕は常日頃言っているのだけれど、『雪國』でも『酒よ』も自分のキーで歌えなくなれば、歌手としては終わりですから。半音でも下げれば、もう歌手として歌ってはダメですよ。キーが高けりゃいいってもんじゃないけど、それにしても、細川(たかし)はどこまで高いかね。あの髪型とともにキーもだんだん高くなってきている(笑)。あれ、火をつけたのは僕なんだから。テレビ番組で「おい、ズラみてぇだぞ」って言ったら、細川がどんどん図に乗って。最高でしょ(笑)。ともあれ、47都道府県の歌を作って、その歌を携えて、47都道府県を周るというのが最終的な夢ですね」
吉幾三『港町挽歌』
2021年1月27日発売
TKCA-91330 /¥1,227+税
【収録曲】
『港町挽歌』(作詞:里村龍一/作曲:吉 幾三/編曲:南郷達也)
『二人のブルース』(作詞・作曲:吉 幾三 編曲:南郷達也)