山崎ていじ CD手売り2万枚から始まった歌手人生 「ボクシングがなければ今の自分はなかった」

2021.4.20

元ボクサーという異色の経歴を持つ山崎ていじ。「ボクシングがなければ今の自分はなかった」と語る彼に、39歳3カ月で歌手になったきっかけや苦労時代の思い出、そしてコロナ渦にスタッフ一丸となって作り上げた、最高に元気が出る新曲への意気込みを聞いた。

 

――新曲『酔わせて候(そうろう)』、聴いても歌っても気持ちのいい曲ですね。

みなさんそうおっしゃって頂けます! 作曲家の弦哲也先生が「コロナ渦の今、みなさんに元気をお届けしたい」ということで、このような明るく楽しい曲が出来上がりました。

 

――クレジットにある「山崎ていじと愉快な仲間達」とは?

弦先生をはじめスタッフが、掛け声や手拍子で参加してくれました。サビの掛け声は弦先生です。始めはシンセの手拍子が入っていましたが、臨場感が増すように、みんなで手拍子をしようということになりました。弦先生、作詞家のさわだすずこ先生、レコーディング・ディレクター、マネージャー、僕の5人で手拍子をしましたが、女性マネージャーの手拍子と、僕ら男性陣の手拍子の音の大きさに差があって、それが人間らしい温かみを生んで、なんだか元気が出るんです。手拍子は通信カラオケには入っていません。オリジナルCDのカラオケには弦先生の掛け声も僕らの手拍子も入っていますので、ぜひオリジナルCDでも一緒に歌ってください。

――山崎さんの曲は、弦先生とさわだ先生が毎回タッグを組まれていますね。新曲のたびに少しずつテーマが変わって楽しいです。

コロムビアに移籍した最初の曲の『昭和男唄』から作曲は弦先生で、作詞はさわだ先生。僕の唄は男唄だったり、女唄だったりといろいろありますが、今回のテーマはカツオ漁師。長い漁は男ばっかりですからね、久しぶりに陸に上がれば、真っ先に行くのは馴染みの女将のいるお店です。そこで仲間と酒を酌み交わして、元気をもらって「また漁で頑張るぞ!」という男の前向きな気持ちが込められています。コロナ渦ではありますが、この曲を聴いて皆さんも元気を出していただければと思います。

 

――カップリングの『さよならバンクーバー』はガラリと変わって大人のムードです。

カナダのバンクーバーを舞台にした、哀愁あふれる女心を歌った曲です。毎回、シングルとカップリングでイメージが違うのでメリハリがあって、歌手としても歌い甲斐があります。この曲では弦先生とデュエットができるんですよ。

 

――ではクレジットの「コーラス:T.GEN」というのは……。

弦先生です。「作曲:弦哲也」「コーラス:弦哲也」じゃ何だから、「コーラス:T.GEN」になりました(笑)。先生のハモリが素晴らしくて、これがあるのとないのとでは、ずいぶん雰囲気が違います。

 

――弦先生はよくレコーディングに参加されるのですか?

いえ、珍しいです。コロナ渦に負けず皆さんに元気を出してもらうため、一肌脱いでくださいました。ありがたいことです。

 

――ところで、山崎さんは元プロボクサーでいらっしゃったんですよね。

4年間のプロボクサー生活を経て建設会社に入社し、20代後半で独立して自分の会社を持ちました。社長になってからも歌が好きだったので、雑誌でカラオケ大会の情報を探しては、関西中心に各地のカラオケ大会に参加しました。1994年に滋賀県で開かれたカラオケ大会で、グランドチャンピオンになった時、審査員の一人だった上田幸男先生に「ていじくんに歌ってほしい曲がある」と言われたんです。『祇園慕情』という曲で、祇園で弾き語りをしていた先生が作詞・作曲をした曲です。その曲をいただいた時、歌の世界にかけてみようと思いました。仕事も調子は良かったのですが、後で悔いを残すのは嫌だから、好きな歌の世界に飛び込もうと決心しました。

――周囲の方々に反対されませんでしたか?

それはもう反対されました。特に兄貴からは「アホか」と言われましたね(笑)。そりゃあ、なんのツテもないのに歌の世界に入るんですから。CDを作るには2曲必要なので、先生にもう1曲作っていただきました。その頃まだ健在だったお袋と先生を会わせるため、島根の実家に先生を連れて行き、僕の生まれた弥栄村(現・浜田市)に行ったんです。その時ちょうど霧雨が降っていて、それをモチーフに『ふる里』と言う曲が出来ました。1996年10月23日、僕は『ふる里』と『祇園慕情』で、39歳3カ月で歌手デビューしました。

 

――遅咲きのデビューです。

いやもう、嬉しかったですね! 念願の歌手デビューですから。CDが出来上がって、「さあ、キャンペーンだ!」となりましたが、通信カラオケに曲が入っていないでしょう。カラオケのお店に集まってくれた皆さんに、自分でワープロで打った歌詞カードをお配りして、持参のカセットデッキを自分で操作して、デビュー曲とカップリング曲を歌いました。
ある時、上田先生が信徒だった三重県鈴鹿市の椿大神社(つばきおおかみやしろ)に、ヒット祈願に行ったんです。敷地内にある結婚式場のマネージャーの方がかつて音楽の仕事をしていて、何軒かカラオケのお店を紹介してもらいました。そうしたらそこを拠点に、だんだんとファンが広がっていったんです。
「CDを買ってください」とお客様に訴えても、「通信カラオケに入っていないなら歌えないじゃないの」と買ってもらえないんですよ。「そこをなんとかお願いします。CDの売り上げの実績で、通信カラオケに曲を入れてもらうんですよ」とお願いして、全国を回って2万枚売りましたね。

 

――CDを2万枚手売りするなんて、なかなかできることじゃないですね。

好きで入った世界ですから。やめたら「ほらみろ」と言われるのが悔しいから頑張りました。
だんだん各地に応援隊ができて、今、自宅と事務所のある三重県にも縁ができました。こじつけると、三重県が伊勢神宮で、僕の出身の島根県が出雲大社。“神様つながり”だと勝手に思っています。もう12年くらい、三重県にはお世話になっていますね。

 

――ボクサー、建設会社社長、歌手と、人の3倍生きています。

そう言えばそうですね(笑)。今振り返ると、ボクシングをしていなかったら今の自分はないと思います。高校時代はバスケットボールの選手でしたが、将来は建築学科のある大学に入って、宮大工をしていた親父の跡を継ごうと考えていました。大学受験に失敗して、兄貴のいる京都で浪人生活を送ることになり、アルバイトしながら受験勉強をしていたある日、電信柱に「練習生募集」という貼紙を見つけました。島根の田舎では、貼紙なんて見たことがなかった(笑)。それはボクシングジムの貼紙でした。ジムの門を叩いて練習生になって、アマチュアを経てプロボクサーになりました。「親父、ごめん!」と言う感じです(笑)。

 

――その頃から歌に興味はあったのですか?

歌は小さい頃から好きでしたが、恥ずかしがり屋で、人前で歌うのは絶対ダメでした。でも、ボクサーとしてたった一人でリングに上がったら、四方八方の観客から見られるじゃないですか。みっともない試合をしても、倒れても、一部始終見られてしまう。だからボクサーになって、恥ずかしがり屋が少し治りました。ある日、トレーナーと飲みに行ってカラオケで歌ったら「山崎、歌が上手いな。チャンピオンになって歌を出そう」と言うんです。具志堅用高さんがレコードを出した頃ですね。結局、足の故障でボクシングは断念して、それから歌にのめり込みました。カラオケ大会に出て、周りの参加者がスカウトされるのを見て、「いつか俺にも声がかからないかな」と願っていました。

――今はコロムビアで毎年新曲を出していらっしゃいます。お名前も何度か変えられて。

コロムビアに入って11年目です。最初に出した『男と女―東京25時―』の時は「山崎悌史(やまざきていじ)」でした。『ふるさと』を出した時は本名の「山﨑禎次(やまざきていじ)」。この名前は字画が悪いんです。生まれてから39年間、知りませんでした(笑)。でも、なぜか僕、サインをする時は「ていじ」とひらがなにしていました。そこで次の曲では下の名前をひらがなにしましたが、なかなかうまくいかない。名前を変えようかと悩んでいたら、「『さき』の上を『大』にしたらどう?」とある方からアドバイスされて、コロムビアに入って下の名前も漢字にして「山崎悌史(やまざきていじ)」にしました。さらに2014年の『昭和男唄』で、下の名前をひらがなに戻しました。

 

――『昭和男唄』がヒットしたわけですから、名前を変えてよかったんですね。

これもご縁ですね! 本当に、見えない力が働いたと感じます。

 

――今では応援してくださる方も増えた山崎さんですが、コロナ渦だからこそやっていることはありますか?

去年の3月からキャンペーンやコンサートが中止や延期になって、“お家時間”が増えましたが、体だけは鍛えています。僕の自宅は三重県の松阪市ですが、2016年に松坂市のブランド大使に任命されて、昨年12月に第1回松阪市マラソン大会でフルマラソンを走るはずでしたが、コロナで中止になってしまいました。
僕は今まで2回フルマラソンを走っています。ボクサー時代に試合をした漫才師のトミーズ雅が、毎年ホノルルマラソンを走っていると聞いて、ある時一緒に走ったらエライ目にあいました(笑)。20キロ地点で膝にきて、歩いて完走。それが悔しくて、間寛平さんの第1回大阪マラソンでも走りました。それはまだ50歳代の頃で、今は63歳。60歳代でフルマラソンを走るのが夢ですね。

 

――普段でも走っているんですか?

昨年の4月18日から、走るのではなく毎日ウォーキングをして、その様子をFacebookにアップしています。仕事で上京しても毎日歩いて、今日で354日目(本記事の取材日は2021年4月5日)。毎日ストレッチをして、ボクサーが行う本気の縄跳び、あれをやっています。衣装が入らなくなったら困るし、しっかり食べたいので、旅先にも体重計を持参して、毎日体重を測っています。

 

ーーさすが元ボクサー、ストイックですね。この3月からYouTubeで「ていちゃんねる」がスタートしました。

もともとYouTubeで動画を公開していましたが、今回リニューアルして「ていちゃんねる」を始めて、大好きな社寺散策をしたりしています。BS12ほかで放送中のレギュラー番組『山崎ていじのさわやか歌謡曲』のディレクターが、動画を編集してくれています。

――「ていちゃんねる」では飾らない山崎さんの素顔が見られて、ファンはたまりませんね。

お得意の親父ギャグも飛び出します(笑)。
僕、ラジオのレギュラー番組(『山崎ていじのていじにモーニングコール』など)も10年ほど続けていまして、毎朝、親父ギャグから始まります。いつも一生懸命に親父ギャグを考えていて、本ができるくらい溜まっています(笑)。

 

――今年、歌手生活25周年を迎えます。今後の目標は?

コロナで音楽業界も難しいことは確かですが、歌で励まされる方々がたくさんいらっしゃることも確かです。だから、歌は絶対廃れません! たくさんの人から「ていじさんの曲を聴いて元気がでました」「ていじさんの歌を聴いて毎日笑顔です」と、そんな言葉を聞くのが一番嬉しいです。今、キャンペーンやコンサートで全国を回れない状況ですが、コロナが落ち着いたら、またみなさんに生歌を聴いてもらいたいですね。

山崎ていじ『酔わせて候』

長い”カツオ漁”から帰って来る船乗り男の姿、想い、勇ましさを歌にした明るくて元気良い歌。カップリングにはカナダ:バンクーバーを舞台にした、哀愁感溢れる女心の別れ歌『さよならバンクーバー』が収録。

配信リンク:https://va.lnk.to/x78QKfmP

2021年1月20日発売
COCA-17828
¥1,350 (税抜価格 ¥1,227)

【収録曲】

1. 酔わせて候(作詩:さわだすずこ/作曲:弦哲也/編曲:南郷達也/Special Thanks:山崎ていじと愉快な仲間達)
2. さよならバンクーバー(作詩:さわだすずこ/作曲:弦哲也/編曲:南郷達也/コーラス:T.GEN)
3. 酔わせて候(オリジナル・カラオケ)
4. さよならバンクーバー(オリジナル・カラオケ)
5. 酔わせて候(半音下げ オリジナル・カラオケ)
6. さよならバンクーバー (半音下げ オリジナル・カラオケ)
7. 酔わせて候(2コーラスカラオケ)
8. さよならバンクーバー(1ハーフカラオケ)

関連キーワード