【日本のフォークソング】学生運動を経て大衆に受け入れられたその歴史とは

2022.4.8

演歌、歌謡曲、J-POP、シティポップなど、日本ではこれまで数々の音楽が生まれ、その時代を彩ってきました。なかでも日本の音楽シーンに大きな影響を与えたジャンルのひとつとして、多くの有名ミュージシャンを輩出してきた「フォークソング」が挙げられます。主にアメリカで流行していたフォークソングは、日本に渡ってきてからどのように変化し、発展していったのでしょうか。今回は、日本のフォークソングの歴史についてご紹介します。

フォークソングとは

フォークソングとは、もともと「民謡」を指す言葉でしたが、現在では弾き語りやバンドスタイルに至るまで、「フォークソング」に当てはまる範囲は広くなっています。本来のフォークソングの演奏は、アコースティックギターやバンジョーなどを使用し、ロックのように電気楽器は使わない伝統的な音楽表現であるといわれています。

フォークソングは1960年代のアメリカで人気が頂点に達し、ウディ・ガスリーやボブ・ディランら多くのアーティストが登場しました。公民権運動や人種差別、戦争といった当時の社会問題にスポットを当ててメッセージを込めた楽曲が多く出るようになり、日本の音楽界にも大きな影響を与えました。

日本フォークソングの歴史

主にアメリカで大きな人気を博していたフォークソングですが、日本に渡ってどのように変化していったのでしょうか?

1960年代(日本フォークソングの黎明期)

日本でのフォークソングは、明治時代から日本に存在する演説歌が、ボブ・ディランやピーター・ポール&マリーといった戦後のアメリカンフォークの影響を受けるかたちで独自に発展していきました。特に、1960年代は学生運動が盛んにおこなわれていた時期でもあり、オリジナルのフォークソングから日本語で自分たちの言葉で歌うようになっていき、岡林信康、高田渡、遠藤賢司、高石友也、中川五郎、加川良らが歌った反戦の意味を込めた「プロテスト・フォーク」が全盛期を迎えました。

また、ロック風のサウンドやスタイルが「グループサウンズ」として発展し、「ジャッキー吉川とブルー・コメッツ」や沢田研二がボーカルを務めた「ザ・タイガース」といったグループが台頭。フォークソンググループとグループサウンズが同じステージで演奏することも珍しくなかったそうです。

1970年代(稀代のヒットメーカーが登場)

1970年代に入ると、稀代のヒットメーカー、吉田拓郎が登場します。これまで反戦などの社会的な内容を歌っていたフォークソングは、1970年代から次第に恋愛や青春時代といった個人の心情を歌うものへと変わっていきます。吉田の他にも、井上陽水、かぐや姫といったフォークシンガーやグループが政治性のないフォークソングを発表し始め、新しいフォークのジャンルを確立していきました。

1975年には小室等・吉田拓郎・井上陽水・泉谷しげるの4人がレコード会社「フォーライフ・レコード」を設立。当時のフォークは1973年12月に発売された井上陽水の『氷の世界』が日本レコード史上初めてアルバム100万枚を売り上げるなど、音楽界で大きな力を持っていました。さらに「契約される」側の現役ミュージシャンがレコード会社を設立するということは非常に挑戦的だったこともあり、フォーライフ・レコードの設立は音楽業界を揺るがす大きな出来事となりました。

また、同じく1975年8月にはかぐや姫と吉田拓郎が中心となって「吉田拓郎・かぐや姫 コンサート インつま恋」を開催し、約5万人の観客を動員。静岡県掛川市・つま恋多目的広場での野外オールナイトライブコンサートで、「元祖夏フェス」とも呼ばれています。

1980年代~現在(若い世代にも浸透したフォークソング)

1980年代以降になっても、フォークソングの人気は続きます。1983年に発表された村下孝蔵の『初恋』や、1990年に発表されたたまの『さよなら人類』がヒット。2001年には夏川りみが森山良子作詞、BIGIN作曲による楽曲『涙そうそう』をカバーしてヒットし、第44回日本レコード大賞では夏川りみが金賞、森山良子が作詞賞を受賞するなど、話題を呼びました。

そして、2007年には、日本の歌百選に『今日の日はさようなら』(1967年8月に発売した森山良子のシングル『恋はみずいろ』のB面に収録された楽曲)、『翼をください』(1971年2月に発売した赤い鳥のシングル『竹田の子守歌』のB面に収録された楽曲)、『涙そうそう』が選ばれました。

現在も、ゆずやあいみょん、竹原ピストルなど、フォークソングとその時代の音楽を融合させるアーティストが次々と登場し、若い世代を中心に人気を集めています。

日本のフォークソングを牽引したアーティストたち

ここからは、現在も幅広い年代に認知されているフォークソングをけん引してきたアーティストたちをピックアップしてご紹介します。

岡林信康

1946年7月22日に滋賀県近江八幡市で生まれたフォークシンガー・岡林信康は、1968年に山谷に住む日雇い労働者を題材とした楽曲『山谷ブルース』でビクターよりレコードデビューしました。その後、『友よ』『手紙』『チューリップのアップリケ』『くそくらえ節』『がいこつの歌』など、日本のフォーク黎明期を代表する名曲を生み出します。しかし、制作された楽曲の多くは、その内容が理由で放送禁止となってしまいました。

岡林がデビューした時期は前述した学生運動が頻繁に行われており、プロテスト・フォーク、反戦フォークが若者の間でブームとなっていました、岡林はその代表格ともいえる存在で、「フォークの神様」と呼ばれていました。

遠藤賢司

「エンケン」の愛称で親しまれている遠藤賢司は、1947年1月13日に茨城県ひたちなか市で誕生。高校を卒業して浪人生活をしている頃にボブ・ディランの『ライク・ア・ローリング・ストーン』に影響を受けて、大学進学後にギターを始めました。以降は「純音楽家」を自称し、『夜汽車のブルース』『満足できるかな』『カレーライス』『東京ワッショイ』『不滅の男』『夢よ叫べ』などの代表曲を発表。1960年代後半のフォークシーンに欠かせない人物となりました。

加藤登紀子

加藤登紀子は1943年12月27日に満州ハルピンで生まれたシンガーソングライター。「おときさん」の愛称で親しまれています。1966年 『誰も誰も知らない』でデビューし、2枚目のシングル『赤い風船』で、第8回日本レコード大賞新人賞を受賞。1971年には 『知床旅情』で、第13回日本レコード大賞で2度目の歌唱賞を受賞すると、同年末の第22回NHK紅白歌合戦に初出場を果たしました。

また、1992年に公開されたスタジオジブリ作品『紅の豚』では声優も担当。主題歌『さくらんぼの実る頃』とエンディングテーマ『時には昔の話を』も担当し、大きな話題を呼びました。

吉田拓郎

吉田拓郎は1946年4月5日生まれ。鹿児島県伊佐市出身のシンガーソングライターです。反戦のイメージが強かったフォークに恋愛など青春時代の個人の心情を歌詞に込めるなど、精力的な活動でフォークを日本ポップス界の王道に引き上げたパイオニア的存在です。

大規模ワンマン野外コンサート、ラジオの活性化、CMソング、コンサートツアー、プロデューサー、レコード会社設立など、当時は難しいとされていたことに挑戦し、日本ポピュラーミュージック史において大きな役割を果たしています。

泉谷しげる

泉谷しげるは1948年5月11日生まれ。東京都目黒区出身のシンガーソングライターです。1971年にライブ・アルバム『泉谷しげる登場』でフォークシンガーとしてデビューしました。『春夏秋冬』『光と影』『80のバラッド』『吠えるバラッド』など多くのアルバムや楽曲を発表し、楽曲の歌詞やボーカルスタイル、ギターの奏法、ぶっきらぼうな振る舞いが「強烈にして無比」と称されています。

また、社会貢献活動も積極的に行っており、自然災害で被災した地域への寄付や風評被害を無くす目的でライブ活動やロックフェスティバルを運営するなど、さまざまな活動を行っています。

井上陽水

井上陽水は1948年8月30日生まれ。福岡県飯塚市出身のシンガーソングライターです。1969年に「アンドレ・カンドレ」としてデビュー、1971年に「井上陽水」として再デビューしました。

1973年に発表したシングル『夢の中へ』がヒットしたのを皮切りに、同年に発表されたアルバム『氷の世界』は日本レコード史上初のミリオンセラー・アルバムとなり、吉田と並んで1970年代のフォーク、ニュー・ミュージック界を牽引。その後も現在に至るまで第一線で活躍を続けています。

赤い鳥

赤い鳥は1969年に結成されたフォークグループ。各メンバーがボーカルを担当できるほどの歌唱力を持っており、それぞれの歌声が織りなす美しいハーモニーが魅力的なグループです。

代表曲として、今も歌い継がれている合唱曲『翼をください』や、民謡の伝承曲を原曲として広まった『竹田の子守歌』といった楽曲があります。

松任谷由実

「ユーミン(Yuming)」の愛称で親しまれている松任谷由実は、1954年1月19日生まれ。東京都八王子市出身のシンガーソングライターです。

1972年から「荒井由実」名義で活動をスタートし、1975年10月に発売されたシングル『あの日にかえりたい』がTVドラマの主題歌となり大ヒットを記録。1976年に松任谷正隆と結婚してから現在までは「松任谷由実」として活動しており、『真夏の世の夢』、『春よ、来い』などのヒット曲をリリースするほか、「呉田軽穂」名義で松田聖子や綾瀬はるか、薬師丸ひろ子といったアーティストや女優に楽曲を提供しています。

中島みゆき

中島みゆきは1952年2月23日生まれ。北海道札幌市出身のシンガーソングライターです。1975年にシングル『アザミ嬢のララバイ』でデビュー。『悪女』『空と君のあいだに/ファイト!』『地上の星/ヘッドライト・テールライト』などのヒット曲で知られています。

また、4つの年代(1970年代、1980年代、1990年代、2000年代)にわたってオリコン週間シングルチャート1位を獲得した唯一のソロ・アーティストであり、さらに他のアーティストへの提供曲が、5つの年代(1970年代、1980年代、1990年代、2000年代、2010年代)にわたってオリコン週間シングルチャート1位を獲得しています。

森山良子

森山良子は1948年1月18日生まれ。東京都出身のシンガーソングライターです。
1967年に『この広い野原いっぱい』でデビューし、『涙そうそう』など自身が手掛けた楽曲のヒットを記録するだけでなく、『さとうきび畑』などの楽曲を積極的にカバーしており、フォークソングの名曲を若い世代に届けています。

安らぎを感じるフォークソング

アメリカから日本へと渡ってきたフォークソングは、当初は反戦などの社会問題を題材にしたものが多かったものの、次第に恋愛や青春といった個人の心象風景を描くものへと変化し、若い世代にも浸透していきました。世代を超えて愛されているフォークソングは、これからも多くの人を魅了していくことでしょう。

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