【進化するカラオケ】カラオケの歴史とは?年代別に歴史をたどろう

2022.10.7

今から約50年前に誕生したカラオケ。ときには家族や友人と楽しむ場として、ときには会社やサークルの親睦を深める場として、ときには一人でストレス発散するための場として発展し続けてきました。
今や6000億円を超える産業に発展したカラオケは、どのような軌跡をたどってきたのでしょうか。さっそく、その歴史をひも解いていきましょう。

カラオケとは?

カラオケは英語にすると「karaoke」。カタカナで書かれることが多いため、外国で生まれたものと思われがちですが、折り紙(origami)や寿司(sushi)と同じく、日本で生まれた文化です。
一体その語源は?世界ではどのように広まっているの?ここでは、気になる疑問に答えます。

カラオケの語源

カラオケは、「空(から)」と「オーケストラ」を略した言葉です。空とはからっぽのことで、中身がないことを意味します。

まだテープやレコードが一般的ではないころ、歌手にはオーケストラなど楽団の伴奏が必要でした。しかし、地方への営業で毎回楽団を連れていくには、とてつもない人件費がかかります。そこで、テープやレコードの登場とともに、歌の伴奏を録音し再生するようになりました。
このように、録音したテープやレコードの登場によって、オーケストラなどの生演奏を使わない(オーケストラが入っていない)伴奏の音源を「空のオーケストラ」、略してカラオケと言うようになったそうです。

世界中に広まるカラオケ

1970年前後に登場したカラオケは、観光やビジネスを通して世界中に広がりました。はじめに使われていたのは日本のカラオケ機器
しかし、カラオケのあまりの人気ぶりに、現地のメーカーが開発を手がけ、それぞれの国で独自に進化しました。

例えば、韓国や中国といったアジアでは、日本と同じく個室で楽しむのが主流です。誰かとワイワイ楽しむのはもちろん、ストレス発散や娯楽としての需要も高く、ショッピングモールに1人専用のカラオケが用意されていることも。

一方、アメリカやヨーロッパでは、みんなで楽しむことがメインとされるため、レストランやパブで合唱のように歌うことが多いそうです。

このように、カラオケはそれぞれの国や地域の文化にぴったりの形で愛されています。

年代別で振り返るカラオケの歴史

カラオケの歴史は、カラオケ機器の進化の歴史とも言えます。はじめは8トラックテープを使い、再生できるのは音声だけでした。
それがレーザーディスクの登場で歌詞が表示されるようになり、通信カラオケの発展に伴い、採点やSNSなどのさまざまなサービスを使えるようになりました。
ここでは、カラオケが一大産業になるまでの歴史を年代別に見ていきましょう。

1970年代:初めは100円カラオケから


1970年代といえば、フィンガー5の「学園天国」や「恋のダイヤル6700」が流行し、ピンク・レディーが「ペッパー警部」で鮮烈なデビューを飾った年代です。
さらに、「およげ!たいやきくん」のトータル売上が異例の450万枚を超え、2008年には「日本の最も売れたシングル・レコード」としてギネス記録に認定。社会現象を巻き起こす曲が打ち出されました。

そのような時代に初めてカラオケをビジネス化することに成功したのは、元バンドマンで起業家の井上大佑と言われています。

井上が開発したのは、8トラックテープにカラオケ音源を録音し、100円で5分間歌えるようにした「エイトジューク」。スナックや宴会場に次々とレンタルされ、大人のコミュニケーションのお供として愛されるようになりました。

この機器が登場するまで、好きな曲を伴奏つきで歌うには、バーにいるミュージシャンにお金を払って演奏してもらう必要がありました。
それが安く手軽に楽しめるようになったことで、カラオケはサラリーマンを中心に爆発的な人気を誇るようになります。

1980年代:空前のカラオケブーム

1980年代といえば、「花の82年組」の1人として愛されたアイドルの中森明菜が『スローモーション』でデビューし、シティ・ポップで名をとどろかせる竹内まりやの『不思議なピーチパイ』、今も結婚式で歌われる長渕剛の『乾杯』が一世を風靡(び)した年代です。

そのころ、カラオケ機器は飛躍的な進化を遂げ、レーザーディスクによる映像付きのカラオケが登場しました。

それまでは歌詞カードを見ながら歌うしかありませんでしたが、画面に歌詞のテロップが表示されるようになったことで、歌いやすさが向上。お酒の場で活躍したカラオケは、すべての世代で利用されるようになりました。

さらに、オートチェンジャーが開発されたことにより、リモコンで簡単に選曲が可能に。カラオケ機器がコンパクトになり、利便性が向上したことで、旅館やホテルをはじめ全国に広がっていきました。

1990年代:データ通信で新曲が即時反映


平成に入り、ロックバンドの曲がヒットを重ねるようになりました。たとえば、米米CLUBの『君がいるだけで』や、スピッツの『ロビンソン』などです。さらに1990年代末には、宇多田ヒカルが『Automatic』で衝撃的なデビューを果たしています。

そのような1990年代のカラオケには、データ通信型が登場
これにより、曲数の多さ、新譜のリリースの早さ、コンパクトさが飛躍的に進化しました。

それまでのカラオケでは、曲数が増えるほどディスクも増えるため、保管場所が必要でした。しかし、データ通信によりたくさんの曲を収録できるようになり、ディスクを新たに用意しなくてもすぐ新譜を歌えるように。

さらにこの頃は、バブル崩壊後だったため、マンションやビルの空き部屋が次々にカラオケボックスに変貌。時勢の後押しもあり、たくさんの人にカラオケが親しまれるきっかけになりました。

2000年代:デンモク誕生・利便性の飛躍的向上

2000年代にはGReeeeNの『キセキ』、誰もが知っているであろうSMAPの名曲『世界に一つだけの花』、さらにAKB48が『会いたかった』などのヒット曲を打ち出した時期としても有名です。

この時期のカラオケには、DAMから「デンモク」が登場。
それまで、好きな曲を歌うには、タウンページのような厚みの目次本を見て、曲の番号を送信していました。

しかしデンモクが生まれたことで、歌いたい曲にたどり着くのが格段に早くなり、新曲やデュエットのジャンルからも曲を探すことが可能になるなど、操作性や利便性が飛躍的に向上しました。

さらに、UGAの「ナビカラ」、JOYSOUNDの「キョクNAVI」が登場し、各社のラインナップが勢ぞろい。本人映像を充実させたり、宴会向けに特化させたり、飲食の注文もできるようにしたりと、ユーザーの希望を叶えるため進化を遂げた時代です。

2010年代以降:映像のハイビジョン化・SNSの流行

ボーカロイド曲で名を馳せた米津玄師の『Lemon』、2018年に引退した安室奈美恵の『Hero』、アニメ映画の挿入曲として話題になったRADWIMPSの『前前前世』など、さまざまな曲が話題にのぼった2010年代。

そのころには、映像のハイビジョン化や大型モニターが登場し、歌を大迫力で楽しめるようになりました。
中でも圧巻なのは大型テレビによるライブ映像で、アーティストとコラボしたカラオケルームが話題に。世界観にどっぷり浸かれる空間は、人々の心を魅了しました。

さらに、カラオケに特化したSNSであるDAMの「DAM☆とも」やJOYSOUNDの「うたスキ」もブームに。
カラオケを通して自分の歌声を発信したり、友だちの歌を聴いたりすることはもちろん、アプリ上でハモることもできるようになりました。

また、心身をリフレッシュさせることのできるカラオケは、高齢者向けの施設でも利用されています。昔懐かしい音楽とともに歌唱することで気持ちも若返り、独自の振付とともに歌うことで脳の活性化が期待できます。

カラオケは娯楽の枠を超え、さまざまな場所で愛され続けています。

近年:ポストコロナ以降


しかし、2020年に入り、新型コロナウイルスの流行がカラオケ業界を襲います。歌うことで必然的に飛沫(まつ)にさらされるカラオケ店は、時短営業や営業の自粛を要請されました。

現在は抗菌・抗ウイルス対応のカラオケ機器の開発、ステージカーテンやアクリル板を設置し、感染症対策を講じた営業を行っています。
最近では防音というカラオケルームの特性を活かし、テレワークやリモート会議用として勧めるなど、新たな道を探っています。

また、スマートフォンのカラオケアプリを使った「家カラオケ」の利用も増加中です。中には採点機能やコラボ機能のあるアプリもあり、手軽に楽しめるカラオケとして注目を集めています。

人々の心を魅了するカラオケ

大人から子どもまで、世界中で多くの人々に愛されるカラオケ。技術の進歩とともに、利便性も向上させてきました。
新型コロナウイルスの流行が落ち着き、人々の生活が日常に戻りはじめたころ、また活気を取り戻すことでしょう。次はどのような機能が生まれるのか、楽しみですね。