【9/9加山雄三ラストコンサート】若大将・加山雄三の芸能活動63年の歴史を振り返る

2022.10.31

1960年から芸能活動を始め、63年の活動期間を経てコンサート活動の引退を発表した加山雄三。
日本音楽を牽引した立役者の1人で、老若男女問わず知られる存在ではありますが、ここまでの道のりは決して平坦なものではありませんでした。
そこで今回は、加山の経歴や魅力についてご紹介していきたいと思います。

幼少期~学生時代:才能の開花

加山はどのような環境で育ち、どのような道のりを歩んでいったのでしょうか。

病弱だった幼少期


戦前・戦後の人気俳優の父・上原謙と、同じく人気女優の母・小桜葉子との間に誕生した加山。生後8ヶ月まで神奈川県横浜市神奈川区幸ヶ谷で育ち、その後、東京都大田区田園調布に移住。
しかし、1歳9ヶ月になる時、「大腸カタル」を患ったことで、父・上原が加山のことを想い、自然環境の良い神奈川県茅ヶ崎市へ引っ越ししました。

恵まれた才能と家庭環境


幼少期から、父の影響で「ディキシーランド・ジャズ」(クラシック・ジャズ)を子守唄代わりにして眠るほど、音楽が身近にありました。

8歳になった頃には、自宅を訪ねてきた叔母が「バイエルンの74番」を演奏する姿を見てオルガンに興味を持ち、演奏している指の動きを見ただけで「バイエルンの74番」を弾けるようになったそう。この頃から、大人も驚くほど音楽の才能を見せていたようです。

13歳の時には、通学路の途中に有名ピアニストのレオニード・クロイツァーが住んでおり、影でレオニードの演奏を聴いていたそうです。
このように、音楽的な感性が磨かれるとても恵まれた環境で育ちました。

有名ピアニスト:レオニードに弟子入りを願い出るも……

14歳の時にレオニードにピアノの弟子入りを願い出た加山。しかし、願い叶わず断られてしまいました。

その後は、レオニードが推薦してくれた別の先生に音楽指導を受けることに。
この頃に初めて作曲した曲は、後の代表曲である『夜空の星』の原型になったそうです。

慶応高校・慶応義塾大学に進学

学生時代

伸び伸びした校風が自らに合っていることが気に入り、慶応高校へ受験を決意。
慶應高校時代にはボクシングやバンドなどを始め、また冬の季節になるとスキーを始めるなど学生生活を謳歌。

バンド活動

特にスキーの技術はメキメキと上達したことで、国体蔵王大会に出場するほどの才能を魅せつけました。

スキーをする加山

高校卒業後は、内部進学して慶応義塾大学に進学しました。
小さいころから船に関しての情熱が強かった加山。「映画で一旗揚げて船の資金を調達すれば良い」という仲間の言葉をきっかけに、東宝への入社を決意したようです。

ボートを持つ加山

ボートと加山

大学卒業後~:俳優・歌手でデビューし大躍進

幼少時代・学生時代と多才な才能を見せた加山。大学卒業後の経歴を見ていきましょう。

東宝へ入社・俳優デビュー

デビュー時

デビュー時

慶應義塾大学法学部政治学科卒業後、東宝へ入社。
同年には 映画「男対男」で俳優デビューを果たし、その後は「独立愚連隊西へ」では初主演を任されるなど、役者として注目を集めました。

悲願の歌手デビュー

1961年『夜の太陽』で悲願の歌手デビュー。また同年にはソングライターとしても活動をスタートしました。
ペンネームは、加山が尊敬している團伊玖磨と山田耕筰の名前からとった「弾厚作(だんこうさく)」であり、この名義を使用して作詩・作曲している曲もあります。

代表曲『君といつまでも』リリース

1965年12月に映画「エレキの若大将」の主題歌として抜擢された『君といつまでも』は350万枚の大ヒットを記録し、加山の名は全国に知られるようになりました。
同曲は、1966年第8回日本レコード大賞の特別賞を受賞。また、アメリカのキャピトル・レコードからシングル盤が発売されています。

俳優としても大躍進

デビュー時

俳優としても多忙な日々を過ごしており、東宝の若手看板スターとして活躍していました。
映画「若大将シリーズ」が大ヒットしたことが有名ですが、 黒澤明や成瀬巳喜男、岡本喜八などといった名匠の作品にも多く出演しています。

デビュー後:人生最大の低迷期時代

俳優・歌手として順風満帆だった加山。しかし、その後は人生最大の低迷期が訪れます。時系列に見ていきましょう。

パシフィックホテル茅ヶ崎の倒産

俳優・歌手として多忙な生活を送る一方で、1965年神奈川県茅ヶ崎市にオープンしたパシフィックホテル茅ヶ崎の経営にも参加。

しかし、パシフィック・ジャパンは1970年3月に23億円の負債を抱え倒産。ホテルは18億円で売却されましたが、監査役だった加山と父・上原は共に巨額の債務を抱えることになりました。

若大将シリーズ終了:最大の低迷期

ホテルの廃業で巨額の負債を抱えた加山は、同時期に若大将シリーズが終了することになりました。デビューして間もなく大スターの道のりを歩んできた加山にとって、かつてない不遇の時代となりました。

その後は、ナイトクラブ、キャバレー回りをして収入を確保。それらの収入は、ほぼ全額借金の返済に充てるといった生活を送っていました。
しかし、このような過酷な生活を続けたことで、借金は10年で完済したそうです。

俳優活動の再開

そんな低迷時代を送っていた加山でしたが、俳優活動を再開してからは多数のテレビ番組で活躍しています。

活動の主軸をテレビに移行

借金返済後は、活動の主軸をテレビに移し、テレビドラマだけでなく、あまり出演経験の無かったバラエティー番組などにも積極的に出演。3年連続でNHK紅白歌合戦の司会も務めました。

またCMに抜擢されることも徐々に増えていったそうです。ソングライターとしては、ドラマの挿入歌を提供していました。

世代を超えて愛される名曲・サライの誕生

1992年 日本テレビ系列(NNN・NNS)各局と沖縄テレビ(フジテレビ系列)が年1回放送するチャリティー番組:24時間テレビ 「愛は地球を救う」のテーマソングとして谷村新司と共作で『サライ』を制作しました。

サライは、番組のエンディングで谷村・加山のメインボーカルにより、毎年出演者や全国各地の系列局のパーソナリティ・ボランティアに大合唱されることで、世代を超えた国民的な楽曲となりました。

CDの売上による印税の一部は、同番組のチャリティー募金に充てられています。

そんな加山の近年の活動

波瀾万丈な人生を送ってきた加山。ここ10年程の活動を見ていきましょう。

全都道府県コンサートツアー開催

ツアー

2014年9月27日、加山自身の最後の全国コンサートツアーとして、全国47都道府県53か所にて「若大将EXPO 〜夢に向かって いま〜」を開催しました。

2015年7月25日東京・NHKホールで最終公演を迎えた加山。
その際に、駆け付けたファンに向け「歌をやめるわけじゃない。歌は生涯の親友。死ぬまで歌うけど、コンサートツアーには節目をつける」と語り、全国ツアーから身を引くことを明らかにしました。

小脳出血で入院

2020年8月29日、水を飲んだ際の誤嚥から嘔吐し、自宅から病院に救急搬送され入院することに。後に小脳出血が原因と公表し、治療に専念することになりました。
同年11月9日に退院。後遺症により、左半身の軽度の麻痺や軽度の言語障害が残ってしまいましたが、トレーニングを重ねた結果、自力でしっかり歩行し、新曲のレコーディングもやり遂げたとか。
精力的に活動される一面に心が動かされますね。

コンサート活動引退発表

2022年6月19日、年内でコンサート活動から引退することを発表しました。
主な理由は高齢を挙げており、「歳をとることでさまざまなことを続けていくことの大変さを実感している」と 語っています。
しかし、作曲や音源の発表などの音楽活動は自身のペースで続けていくようです。

加山の魅力とは

俳優や音楽家など、さまざまな表情を持つ加山の魅力についてご紹介していきましょう。

どんなことにも挑戦する探求心

加山は昔から好奇心旺盛だったようで、ボート製作、波乗り、ダイビング、スキー、バンド活動、絵画、陶芸、料理……など、数えきれないほど多くの挑戦をしてきたそうです。

波乗りをする加山

波乗りをする加山

絵を描く加山

絵を描く加山

料理をする加山

料理をする加山

そういったこともあり、幼少期から磨かれてきた感性は多くの人々を惹きつけていったのではないでしょうか。特にボート制作への想いが強く、14歳の時には、自分でカヌーを製作してしまうほど熱中していたようです。

母からもらったお古のシーツを帆にしたヨット

母からもらったお古のシーツを帆にしたヨット

夢を追い続ける姿

半世紀以上のコンサート活動に区切りを付けた加山ですが、音楽制作への意欲は衰えず、たくさん眠っている未発表曲を完成させたいと語りました。
このように、年齢を感じさせないパワフルな姿はファンに元気と勇気を与え続けているのではないでしょうか。

柔らかい人柄

最大の魅力といえるのはその「人柄」といっても過言ではないでしょう。

俳優・音楽家などのさまざまな表情を魅せる加山は、チャリティー活動にも力を入れ、周りへの配慮を欠かさない紳士的な人柄だといえます。
また、バラエティー番組ではお茶目な姿を見せたりとギャップを感じる一面もあります。

音楽家としては、キヨサク(MONGOL800)、佐藤タイジ(THEATRE BROOK)、名越由貴夫(Co/SS/gZ)、古市コータロー(THE COLLECTORS)、ウエノコウジ(the HIATUS)、武藤昭平(勝手にしやがれ)、高野勲、山本健太、タブゾンビ(SOIL&“PIMP”SESSIONS)、スチャダラパーという、各世代の才能あるミュージシャンたちによるロックバンド「THE King ALL STARS」 も結成。

後輩音楽家からも慕われてるということが分かります。

まとめ

フォークソングやニューミュージック全盛時代に先立つ、日本におけるシンガーソングライターの草分け的存在であり、日本を代表する俳優でもある加山。
どんなことにも臆せずに挑戦する姿に勇気を貰ったという方も多いのではないでしょうか。

コンサート活動を引退することで表舞台ではその姿を見られる機会が少なくなりますが、クリエイターとしての活動には積極的に取り組む様子なので、今後も目が離せません。

加山雄三 2022年最新曲「そして陽は昇りつづける」

2022年内をもってコンサート活動からの引退を発表した加山雄三。
加山自らの発案で生まれた“バーチャル若大将”は、今も新しいモノが大好きな加山らしい発想が生んだ、世界でも類をみない新しい取り組みに注目された。

“バーチャル若大将”とは最新のAI技術を使い、話す声や歌声、映像によって自らをバーチャルヒューマン“バーチャル若大将”として後世に残すプロジェクトである。

YouTubeチャンネル「バーチャル若大将」や加山の出身地、神奈川県茅ケ崎市で2021年4月に開始された「茅ヶ崎に愛をこめてプロジェクト」(街中で加山の合成音声が地元を盛り上げる)など話題になっている。

今回デジタルシングルとして配信される「そして陽は昇りつづける」はコロナ禍での自粛生活と2020年9月に誤嚥による咳き込みから発症した小脳内出血により、日々の活動が余儀なくされた時、リハビリとトレーニングの中、自宅の倉庫を整理したところ1960年代に収録した150本に及ぶオープンリールが状態も良く見つかった。
加山本人も記憶にないぐらい昔であるが、デジタル化し再生したところ、まさに‘60年代の加山の声の未発表曲の数々が確認された。
その中の楽曲で「紅いバラの花」は当時の声と今の加山の声でレコーディングを行い2021年4月11日に配信シングルとしてリリースをした。そしてラストホールコンサートに合わせて未発表曲の中から加山本人が選曲した楽曲(曲のみ)に作詞家の吉元由美さんに作詞を依頼、編曲を坂本昌之さんに依頼。2022年8月にバーチャル若大将によるレコーディングを行ない9月10日に配信シングルとしてリリースされた。

「そして陽は昇りつづける」は加山雄三としてもレコーディングは同時に行われていたが9月9日の東京国際フォーラムでのラストショー以降コーラスにザ・ワイルドワンズが参加し完成した。2022年にコンサートからの引退を発表後「海が男にしてくれた」に続き2曲目の最新曲として11月30日にリリースされる。


加山雄三
そして陽は昇りつづける
作詞:吉元由美 作曲:弾厚作 編曲:坂本昌之
コーラス:ザ・ワイルドワンズ
夕陽が海を赤く染めてく
今日の日に ありがとう
嵐の日も 凪の日もあった
今ここに 生きている

果てしない旅路は続くだろう
悲しみの向こうへ舵をきる

大切なものを 大切にして
幸せはここにある

時には星を見上げてごらん
小さな俺たちでも
ひと色ではないこの人生
超えてきた 尊さよ

淋しさに心は強くなる
夢を生き 愛を生きた証

出会いと別れとに彩られた
素晴らしき人生よ

ただひとつこの命は奇跡
何もかも与えられたものさ

夕陽が沈む海の向こうで
新しい陽が昇る

夕陽が沈む海の向こうで
新しい陽が昇る
新しい陽が昇る

加山雄三
L I V E C D+スタジオ録音音源3枚組)
「加山雄三ラストショー〜永遠の若大将〜」
2022年11月30日発売 定価5,060円(税込) MUCD-1503/5

2022年9月9日に東京国際フォーラム ホールAで開催された、加山雄三のラストホールコンサート「加山雄三ラストショー〜永遠の若大将〜」のライブ音源と新曲「海が男にしてくれた」「そして陽は昇りつづける」を含む豪華3枚組C D。

「加山雄三ラストショー〜永遠の若大将〜」
CD1(LIVE)
M1.海 その愛
M2.ある日渚に
M3.夜空を仰いで
M4.俺は海の子
M5.湘南ひき潮
M6.まだ見ぬ恋人
M7.君のために
M8.ひとり渚で
M9.光進丸

CD2(LIVE)
M10.そして陽は昇りつづける(バーチャル若大将)
M11.旅人よ(加山雄三、バーチャル若大将)
M12.蒼い星くず
M13.白い砂の少女
M14.ブラック・サンド・ビーチ
M15.霧雨の舗道
M16.君が好きだから
M17.ブライト・ホーン
M18.夕陽は赤く
M19.明日に架ける橋
M20.September 4th
M21ぼくの妹に
M22.恋は紅いバラ
M23.夜空の星

EC1.お嫁においで
EC2.サライ
EC3.君といつまでも
EC4.愛する時は今

CD3(スタジオ録音音源)
M1.海が男にしてくれた
M2.そして陽は昇りつづける(コーラス:ザ・ワイルドワンズ)
M3海が男にしてくれた(Instrumental)
M4.そして陽は昇りつづける(Instrumental)
M5.そして陽は昇りつづける(バーチャル若大将)

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<プロフィール>
1937年4月11日神奈川県生まれ。慶應義塾大学法学部卒業後、’60年東宝入社。「男対男」で映画デビュー。’61年、映画『大学の若大将』に主演し、大人気となった「若大将シリーズ」がスタート。黒澤明監督の『椿三十郎』『赤ひげ』にも出演。歌手としては’65年に「君といつまでも」が大ヒット。以後も『お嫁においで』など数々のヒット曲を世に送り出す。幼少より作曲を始め、弾厚作のペンネームで、ロック・ポップスからクラシックまで幅広いジャンルの楽曲を創作し続けている。芸能生活45周年においてはニューヨーク・カーネギーホールでのコンサート、50周年には東名阪アリーナコンサートツアーを実施。2014年には若大将EXPOと題して、77歳にして日本武道館単独公演 最年長記録を樹立し、47都道府県全県でのツアーを成功裡におさめた。また、同年秋の叙勲にて旭日小綬章を受賞した。2016年は芸能生活55周年を記念し、「音楽は時代や世代を超える」をコンセプトにした若大将FESを二日間に渡って開催。様々な年代のアーティストを招き、幅広い世代の観客を大いに沸かせた。THE King ALL STARSとしての活動も注目され、全国のロックフェスにも参戦。2019年脳梗塞、2020年誤嚥からの小脳内出血など発症したが2021年カムバックを果たす。

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