昭和初期の歌と空気感をそのままに――下町を中心に老若男女を賑わすバンド東京大衆歌謡楽団

2020.3.12

「日本の古き良き音楽を歌い継ぐ」。演歌歌謡界では特にこの思いを大切にして、伝統を知り尽くした作曲家と作詞家、編曲家らが曲を作り、歌手が作曲家の指導もありながら歌うというのが一般的だ。コンサートでも自身の楽曲のほかに昭和の名曲のカバーを披露することは多い。

 

各アーティストがこうして自身のオリジナリティーを織り交ぜながら歌い継ぐ中、まるでタイムスリップしたのかと思わせるほど、「日本の古き良き音楽を歌い継ぐ」という言葉をまさにそのまま体現しているアーティストがいる。

 

その名も、東京大衆歌謡楽団

元々は仲間内で世界の民族音楽を演奏していたが、昭和歌謡の音や歌詞に魅了されて2009年に東京大衆歌謡楽団を結成。メンバー変更を経て現在は四兄弟で活動している。

バンドを結成して以降、東京の下町を中心に街頭演奏や単独公演を行い続け、主に口コミで人気は広がっていき、活動範囲も日本全国、最近では台湾にまで広げている。

唄を担当するのは長男の髙島孝太郎。タイトなスーツにポマードで四分六に分けられた髪とロイド眼鏡が印象的で、唄だけでなく容姿からも大正~昭和初期を思わせる。

アコーディオンを担当するのは次男の高島雄次郎。MCも担当し、独特な間をもった陽気なトークで観客の笑いを誘いながらライブを進行する。

ウッドベースを担当するのは三男の高島龍三郎。元々バンドに加入していなかったが、街頭演奏をする兄2人の姿に感銘を受けて2015年に加入した。

バンジョーを担当するのは四男の高島圭四郎。バンド内で唯一の平成生まれで2017年に加入した。

 

それぞれ個性が際立つ彼らだが、ひとたび単独公演を行うと立ち見が出るほどで、街頭演奏では開始前からファンが駆け付け、通行人も高い確率で足を止め、大勢の人だかりができる人気ぶり。会場を大きくして浅草公会堂(収容人数:約1,000人)で単独公演を行ってもほとんど満席にしてしまうほどだ。

2020年2月2日に行われた浅草神社での歌唱奉納時の様子

積極的にプロモーション活動を行っておらず、ホームページに掲載されているのは活動予定(公演情報)のみ。

そんな中、皆どのようにこのバンドを知ったのか会場にいた一部のお客さんに聞いてみると「たまたま見かけてすぐにファンになった」「友達から勧められた」といった声が多く、その唯一無二のパフォーマンスが口コミで広がり、人が人を呼んでいるようだ。

演奏するのは、『男一匹の唄』(岡晴夫/1948年)『かよい船』(田端義夫/1946年)『長崎のザボン売り』(小畑実/1948年)『流れの旅路』(津村謙/1948年)『あの丘越えて』(美空ひばり/1951年)など昭和20年代の流行歌のほか、『丘を越えて』(藤山一郎/1931年)などの古賀メロディ(古賀政男作曲)が主。

 

演奏しているメンバーはもちろんのこと、来ているお客さんたちも当時聞いていたという世代ではない。しかし、ひとたび演奏が始まれば、イントロの伴奏ですぐに曲を把握し、リズムに乗りながら楽しそうに手をたたく。街頭演奏では踊りだす人もいるほど、皆、この音楽が体に根付いているのだ。

親がよく口ずさんでいたから曲を知っているという方も多いが、昭和初期といえば、戦後の日本復興を唄で盛り上げようとしていた時代。明るい曲調と歌詞が自然と体に入り込み、心地よさから体が勝手に動くのだ。

 

バンドメンバーとの歳の差も「続いては、オカッパルこと岡晴夫の~」なんてMCをされれば、そこに壁など存在しない。

時節に合わせた話題で、「もうすぐ梅の季節ですね」とくれば『湯島の白梅』(小畑実/1942年)を、「台湾に行ってきましてですね」なんてエピソードトークのあとには『上海の花売り娘』(岡晴夫/1939年)『満州娘』(服部富子/1938年)といったテンポの良い演出も心地よい。

 

なにより皆、楽しそうに体を揺らす姿に”日本の心”を見たような気がしたのだった。

この記事を最後まで読んで頂いた方は是非、この音楽と雰囲気を体感してほしい。

日本の古き良き音楽は、確かに歌い継がれている。

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