シャンソン歌手・松本かずこのドキュメンタリーが放送 本場パリのファンを魅了する彼女の波乱万丈な半生

2021.4.30

シャンソンの聖地パリのオランピア劇場での公演が2021年10月7日に予定されているシャンソン歌手、松本かずこの人生をたどるドキュメンタリー番組「和シャンソン、世界へ ~オランピア劇場に立つ一人の日本人女性~」が関西地方限定のJ:COMチャンネル、およびチャンネル銀河にて放送される。
オランピア劇場は、フランスの国民的シャンソン歌手であるエディット・ピアフが生前最後まで歌った舞台であり、芸術の都パリでも最古の歴史を持つ別格の存在だ。選ばれた世界的アーティストのみ、その舞台に立つことが許される。実現すれば1990年の石井好子に次いで日本人女性として2人目となる快挙だ。

 

ピアフの代表曲をタイトルにした、松本かずこのデビュー30周年記念アルバム『愛の賛歌』は業界でも高く評価され、今年の秋迄にシャンソンの本場フランスでのリリースも決定している。

 

そんな世界的アーティスト松本かずことはいったい何者なのか。彼女の知られざる波乱万丈の半生についてこの記事でも紹介したい。

松本かずことは何者なのか?ピアフに対する憧れは、彼女自身の波乱万丈の半生に由来

松本かずこは2歳のときに母親と死別し、叔母に一旦引き取られた後、宝塚の知り合いの家に養女に出される。まわりの裕福な子供たちとの差は歴然で、やがていじめで小学校はさぼりがちになり、捨て犬や捨て猫を相手に独りで過ごす日々が続いた。14歳の時に実父の再婚をきっかけに、大阪の親元に引き取られるも衝突し、15歳で家出。住み込みで働けるカフェの仕事を見つけ、店の年上のオーナーと結婚する。16歳での結婚と出産は、当時注目を集め、テレビで1時間の特集が組まれたほどだ。

 

結婚自体は、全く自分が意図するものではなかったのですが、住むところを見つけるために働いたカフェで、10歳年上のオーナーに見染められ、16歳になるのを待って結婚しました。そして一人目を出産しました

 

しかし結婚生活は上手くいかず、17歳のとき、子供を残したまま熱海にいる知り合いを頼りに家を出た。残念ながらその知り合いには会えず、途方に暮れているとき、雨が降り出した。傘を買いに行ったお店で身の上話をすると、静岡の歌声スナックで住み込みの仕事を紹介してもらった。

 

そして、ここから歌手松本かずこの人生が始まる。

 

美声の噂を聞きつけたレコード会社が店にやって来てスカウトされる。昭和を代表する音楽家、猪俣公章の外弟子をしながら、歌手デビューに向けて修行を積み、その後、平尾昌晃ミュージックスクールの第一期生になる。デビューの話が舞い込むが、レコード会社からの条件は夫との離婚であった。

 

自分と同じ寂しい思いを息子にさせたくないと、大阪へ戻る決心をしました

 

レコードは一枚だけ『女ゆえに』をリリースし、帰阪。次男、三男を授かるも、夫婦の溝は埋まらず、28歳の時に離婚。しかし、別れた夫は頑なに子供を譲らなかった。

 

協議離婚は成立したものの、自分に生活力がないことが理由で3人の子供をひきとれなかった。自分の人生を絶望し、こんな母親なら生きていても仕方ないのかなと

 

松本は睡眠薬自殺を試みたが、奇跡的に一命をとりとめる。

 

そのときに腹が決まったんです。(子供を)引き取れないことを嘆くのではなくて、引き取るためにはどうすればいいのか、とにかく財力、生活力をつけようと。本当にそこから、一度死んだ命なので、本当にがんばろうと。そこから這い上がろうと

 

再起を決意し、朝昼晩と働いた。2年間貯めたお金を元手に大阪ミナミで歌声スナックをオープン。

 

人生今まで暗かったので、これからはバラ色の人生を送っていきたいとの思いで(店名に)ラビアンローズとつけさせていただいたんです。離婚して4年目に(子供を)3人とも引き取ることができて、がんばれば願いは叶うんだなという思いでいっぱいでしたね

 

子供を取り戻したかずこは、33歳でもう一つの夢である歌手の道を再び歩き始める。
ポップスからシャンソン歌手に転向し、1989年再デビュー。恩師、平尾昌晃をゲストに迎え、ファーストコンサートを開催。
その後CDを出しながら20年間日本国内で活動し続けたかずこは、2008年にシャンソンの本場、フランス・パリでリサイタルを開く。その時、全てのシャンソン歌手にとって憧れの聖地である、パリ・オランピア劇場を初めて訪れる。

自分の人生は、憧れるピアフとリンクする部分も

エディット・ピアフを知って、大ファンになって、自分の生い立ちとリンクするところがあって、亡くなられても今なお世界中の人に影響を与え続けるピアフに少しでも近づきたい。(デビュー)20周年のときにオランピアを前に自分も30周年でここに立ちたいと目標を立てたんです

フランス人に自分の歌がどう通じるのか、自分へのチャレンジとして、2年に1度ずつパリで公演することにしたんですけど、オランピアは壁が高く、あきらめかけていたときに、シルヴィバルタンの(制作)スタッフのおかげで(ワンマンリサイタルを開くことを許された)。契約が決まった時は涙、涙で、本当に感謝しかなかったです

 

シャンソンとは人生そのものとかずこは語る。生きてきた人生観や経験を表現できるのがシャンソンであり、年齢や経験を重ねた方がシャンソンの深みを表現できるのだと。

 

自分の一生かけての夢であるオランピア公演を前に松本かずこは言う。

今の自分、そして生きてきた生き様、ありのままの自分の想いを、歌の旋律に載せて伝えられたらいいな。シャンソンの良さを日本語で伝えられたらいいなと思います

 

また一方でその時の自分を想像する。

涙で歌えないんじゃないかなって(笑)。もう一つはやったーっていう嬉しさと、そしてやはりピアフがここに立ってたんだという思いを感じとれる喜びでいっぱいなんじゃないかなと思います。(自分にとっても)一生に一度のことだと思いますので楽しみたいと思います。お見えになった皆様に喜んでいただける歌声を披露したいなと思っております

 

松本かずこの歌に心動かされるのは、多くの困難と共に歩んできた彼女の人生のせいなのか。本場パリのファンを魅了する彼女の歌は“和シャンソン”。
夢の舞台を前に松本かずこの人生をたどるドキュメンタリーは必見だ。また、放送にあわせて、特設サイトが公開。音楽ドキュメンタリー第1弾も公開されているのでそちらもお見逃しなく。

放送情報

「和シャンソン、世界へ ~オランピア劇場に立つ1人の日本人女性~」

放送チャンネル:JCOMチャンネル(関西ローカル)>

5月1日(土)19:00~
5月2日(日)14:00~
5月3日(月)20:00~
5月9日(日)19:00~
5月10日(月)14:00~

※一部放送日時が変更となる地域がございます

 

放送チャンネル:チャンネル銀河(CS放送)

5月15日(土)7:00~
5月29日(日)3:30~

番組HP:https://www.ch-ginga.jp/detail/chanson/episode.html?id=20433

松本かずこプロフィール

1974年に”平尾昌晃歌謡教室”第1期生としてデビュー。家庭の事情で一旦引退した後、1989年に平尾氏の元で再デビュー。その後少しずつ活動の場を拡げ、1991年からはディナ-ショーを毎年末に開催し、2018年まで27回継続した。またシャンソンの本場、フランス・パリでも2008年からは2年ごとにリサイタルを開催、2018年には”Studio Raspail”に200名を超える観客を迎え、第6回目を開催。ついに2020年6月、日本人女性2人目となるパリ・オランピア劇場での公演が予定されていたが、コロナ禍の中延期。2021年10月7日の公演が決定している。
大阪市在住で、ステージ等の歌手活動のほか、歌唱指導、カラオケ、コーラス指導のほか、飲食店経営の顔も持つ。訳詞家、家庭料理人。