「日本レコード大賞」受賞曲を作った作詞家・作曲家ランキング

2021.7.25

歌にまつわるさまざまな事柄をランキング形式で紹介する「うたびとランキング」。

 

1959年に創設され、昨年(2020年)の年末で62回を数えた『日本レコード大賞』
その間、大賞を始め新人賞、歌唱賞など各賞の受賞曲は延べ1700曲を超える。今回は、そんな“レコ大”各賞の受賞対象曲を作った作詞家、作曲家をカウント。
昭和から令和まで、時代を彩った名曲たちは誰の手によって生み出されたのか、公式ガイドブック掲載のデータをもとにランキング化してみた。

 

※注:第1回から62回までの「日本レコード大賞」各賞の受賞対象曲として発表されている曲を作った作詞家、作曲家をそれぞれカウント。同じ曲が別の賞を受賞した場合は2回カウントした。

目次

作詞家ランキング-TOP3はJ-POP、アイドル、オールラウンダーの3人

10位~6位:戦前戦後に活躍した作詞家から現役世代まで多士済々

まずは作詞家部門から見ていこう。第10位は昭和の時代に活躍した佐伯孝夫
新聞社を経てビクターレコードの専属作詞家となった。佐伯は詩人、作詞家として主に戦前に活躍した西條八十の門下生のひとりでもある。
1961年の第3回レコード大賞(以下回数のみ)では、橋幸夫が歌った『磯ぶし源太』、平野こうじに提供した『白い花のブルース』で作詞賞を受賞。翌年の第4回では、橋幸夫と吉永小百合のデュエットで大ヒットした『いつでも夢を』が見事、大賞を受賞した。

 

同率10位にはもうひとり、小室哲哉がランクイン。
自身の音楽ユニット・TM NETWORKを経て、クリエーターとして活動。数多くのアイドルやアーティストに作品を提供したほか、ダウンタウンの浜田雅功とユニットを組むなどプロデュースも手掛けた。
レコード大賞では1995年の第37回に、trfの『Overnight Sensation~時代はあなたに委ねてる~』、第38回の『Don’t wanna cry』と第39回の『CAN YOU CELEBRATE?』(いずれも安室奈美恵)、第40回のglobe『wanna Be A Dreammaker』で作詞を手掛け(『wanna Be A Dreammaker』はMARCと共作)、大賞を受賞。

 

第9位は昭和の歌謡界を代表する作詞家のひとり、石本美由紀
生涯3000曲以上の詞を残したといわれ、中でも上原げんとや船村徹、古賀政男らとコンビを組んで美空ひばりや島倉千代子らに提供した作品は今も歌い継がれている。
レコード大賞では、1960年第2回に美空ひばりが歌って歌唱賞を獲得した『哀愁波止場』、1983年の第25回に細川たかしが大賞を受賞した『矢切の渡し』、翌年、第26回大賞の五木ひろし『長良川艶歌』らが記憶に残る。

 

第8位は演歌からポップス歌謡曲まで幅広くヒット曲を生み出した作詞家・たかたかし
都はるみ、森進一、五木ひろしら演歌界の大物への作品提供のほか、『情熱の嵐』など、西城秀樹の曲も数多く手掛けた。第21回、五木ひろしが金賞を受賞した『おまえとふたり』、都はるみと岡千秋のデュエットでヒットし、第25回に特別金賞を獲得した『浪速恋しぐれ』、第30回金賞受賞、坂本冬美が艶やかな着物姿で歌い上げた王道演歌『祝い酒』などの作品があり、レコード大賞の常連でもあった。

 

7位は、モーニング娘。の楽曲制作とプロデュースを手掛ける、つんく♂
レコード大賞では自らのバンド・シャ乱Qでも、第37回に『ズルい女』、38回に『いいわけ』(ともにつんく♂作詞)で優秀作品賞を獲得しているが、1997年から本格的にプロデュースを始めたモーニング娘。は、1998年、第40回に『抱いてHOLD ON ME!』で最優秀新人賞、約170万枚を売り上げた代表曲『LOVEマシーン』で、第41回に優秀作品賞と作曲賞、翌42回では4曲が特別賞を受賞。つんく♂の作品はレコード大賞の舞台を華やかに彩った。

 

続いて第6位は、『天城越え』や『大阪しぐれ』などの詞で知られ、昭和の歌謡界の黄金期を支えた作詞家、吉岡治
作家・野坂昭如の歌詞を補作した『おもちゃのチャチャチャ』が認められ、後に童謡から歌謡曲の世界に転身した。都はるみがミリオンセラーを達成した『大坂しぐれ』が第22回の最優秀歌唱賞を、石川さゆりの代表曲のひとつ『天城越え』は、第28回に金賞を受賞、ミリオンを売り上げ大ヒットした瀬川瑛子の『命くれない』は翌29回で金賞を受賞している。

第5位~第1位:アイドルブレイク請負人と作詞界の巨星

そして第5位。ここで登場したのが作詞界の巨人・なかにし礼
1965年に『知りたくないの』のヒットで本格的に作詞家の道を歩み始め、2020年に他界するまでの約半世紀の間に約4000曲の作品を世に送り出した。
黛ジュンの『天使の誘惑』(第10回)、菅原洋一の『今日でお別れ』(第12回)、細川たかしの『北酒場』(第24回)と、大賞を3度受賞。仏文科を卒業し、作詞家になる前はシャンソンの訳詞を手掛けていたなかにしの歌詞は、お洒落で、昭和の日本人の心をくすぐるものがあった。

 

第4位は『つぐない』などの演歌からポップス、アニメソングまで幅広い作品を手掛け、自らも渋い喉をきかせている荒木とよひさ
一般には演歌の作詞家のイメージが強いが、わらべの『めだかの兄妹』『もしも明日が…。』などの子ども向けのかわいい詞も手掛けている。
レコード大賞では、第27回に五木ひろしの『そして…めぐり逢い』が、第28回でテレサテンの『時の流れに身をまかせ』が金賞を受賞、第32回で堀内孝雄の『恋唄綴り』で待望の大賞を受賞した。また、1992年、第34回では前川清に提供した『夢一秒』で、作詞賞を受賞するなど、数々の名曲で歌謡曲ファンを楽しませてくれた。

 

ここからはいよいよトップ3の発表。思わず納得の顔ぶれが揃った。
まず第3位は、昨年、惜しまれながらこの世を去った作曲家・筒美京平の“盟友”、松本隆
日本語によるロックサウンドを標ぼうし、後のアーティストに大きな影響を与えたバンド「はっぴいえんど」の活動を経て作詞家へ。筒美京平が作曲し、太田裕美が歌った1975年リリースの『木綿のハンカチーフ』の作詞を手掛け注目を集める。筒美とのコンビでは『スニーカーぶる~す』『Romanticが止まらない』『セクシャルバイオレットNo.1』等々、実に400曲近くの作品を生み出した。
寺尾聰の『ルビーの指輪』で第23回レコード大賞および作詞賞を受賞した。松田聖子、薬師丸ひろ子、近藤真彦ら多くのアーティストに詞を提供し、ヒットチャート1位に輝いたのは50曲以上。通算2000曲以上の作詞を手掛け、J-POPの歴史を築いた希代のヒットメーカーだ。

 

その松本を抑えて2位にランクインしたのは、ご存じ、AKB48に始まる女性アイドルグループのプロデュース、楽曲制作を担う秋元康
2011年第53回の『フライングゲット』翌54回の『真夏のSounds good!』で、AKB48がレコード大賞2連覇、さらに2017年第59回と翌第60回でも乃木坂46が『インフルエンサー』、『シンクロニシティ』で2年連続の大賞受賞(いずれも秋元の作詞)。また61回では、優秀作品賞を史上最多の4作品(欅坂46『黒い羊』、AKB48『サステナブル』、乃木坂46『Sing Out!』、日向坂46『ドレミソラシド』)で同時受賞するなど、今もその勢いは止まるところを知らない。

 

そしていよいよ第1位は、『雨の慕情』から『ピンポンパン体操』まで、オールラウンダーとしてあらゆるジャンルで作品を残したあの人、日本歌謡界の巨星・阿久悠だ。
生涯作詞したのは5000曲以上と言われ、数においても質においても圧倒的な仕事ぶりだった。
レコード大賞では、1971年、第13回に尾崎紀世彦が歌った『また逢う日まで』で初の大賞を受賞したのを皮切りに、都はるみ『北の宿から』(第18回)、沢田研二『勝手にしやがれ』(第19回)、ピンク・レディー『UFO』(第20回)、八代亜紀『雨の慕情』(第22回)と、実に5度の大賞を受賞。さらに第15回に『ジョニィへの伝言』(ペドロ&カプリシャス)、『じんじんさせて』(山本リンダ)で初めて獲得した作詞賞は、第38回の『螢の提灯』(坂本冬美)まで7回受賞。まさに作詞家としての実力を見せつけた格好だ。レコード大賞各賞の受賞数でも2位以下を大きく引き離しての1位だった。

作曲家ランキング―伝統の演歌、革新のポップス、それぞれの巨匠たち

 第10位~第6位:昭和の演歌、歌謡曲を支えた重鎮たち

次は作曲家を見ていこう。第10位は、同率で2人。
まずは演歌一筋を貫いた昭和の作曲家・猪俣公章
日大芸術学部を卒業後、古賀政男に師事。森進一のデビュー曲『女のためいき』のヒットを皮切りに水原弘『君こそわが命』、テレサ・テン『空港』、五木ひろし『千曲川』ら数々の名曲を残した。
レコード大賞では1971年、第13回で森進一の『おふくろさん』が最優秀歌唱賞、第17回に五木ひろしが『千曲川』でやはり最優秀歌唱賞を獲得した。

 

もう一人は、日本作曲家協会会長や日本著作権協会名誉会長などを歴任した歌謡界の重鎮・船村徹
作曲家として本格的な作品は1955年の『別れの一本杉』(春日八郎)で、以来、生涯手掛けた曲は5000曲以上とも。ミリオンを記録した曲も多く、累計300万枚を売り上げたといわれる村田英雄の『王将』は、1962年の第4回に特別賞を受賞。他に2016年第58回に特別栄誉賞、続く第59回に特別功労賞を受賞した。

 

第8位は、作詞家編でも7位にランクインしたつんく♂
ほとんどの曲で作詞・作曲を担当しているモーニング娘。以外にもハロプロ関連で、1999年、第41回で太陽とシスコムーンの『ガタメキラ』が新人賞を、第49回では℃-uteの『都会っ子 純情』が最優秀新人賞を獲得。また2005年の第57回では、クミコに提供した『うまれてきてくれて ありがとう』(作詞:湯川れい子)が作曲賞を受賞と、作曲家としても広範囲な活躍を見せている。

 

同率第8位は、戦後の歌謡界を代表する作曲家のひとり、吉田正
三浦洸一、フランク永井、橋幸夫、和田弘とマヒナスターズなどに数々のヒット曲を提供。哀愁のあるメロディーで都会調歌謡と称された。
1960年、第2回に松尾和子・和田弘とマヒナスターズの『誰よりも君を愛す』で、第4回には橋幸夫・吉永小百合の『いつでも夢を』で大賞を受賞。また、第10回では『有楽町で逢いましょう』(フランク永井)など3曲で特別賞が、第32回には功労賞が贈られている。

 

第6位は、氷川きよし、山内惠介らの育ての親として知られる水森英夫
敏いとうとハッピー&ブルーのメンバーとして活動後、ソロに。1977年に作曲家に転身。その後、歌番組のコンテストで出会った氷川きよしをスカウト。
2000年、第42回では氷川きよしのデビュー曲『箱根八里の半次郎』が最優秀新人賞を獲得。また氷川の作品では、第43回から46回、48回、49回は金賞、第50回から53回、58回、61回は優秀作品賞を受賞と師弟関係はゆるぎないものがある。また、やはり門下生のひとり、森山愛子が第46回に、デビュー曲『おんな節』で新人賞を、山内惠介の『スポットライト』が第57回の日本作曲家協会選奨を受賞。

 

同率第6位は、現・文化庁長官の都倉俊一
昭和の時代に青春時代を過ごした方には、伝説のオーディション番組『スター誕生!』の審査員としてもおなじみだろう。1970年代には山口百恵や、阿久悠とコンビを組んでピンク・レディーへの楽曲提供など、アイドルのヒット曲を数多く手掛けている。
レコード大賞では、1972年の第14回で山本リンダの『どうにもとまらない』、井上順(受賞時は順之)の『涙』で作曲賞を受賞している。両曲とも阿久悠との作品だ。第16回に『逃避行』で麻生よう子が最優秀新人賞、19回に狩人が『あずさ2号』で新人賞、ピンク・レディーの『ウォンテッド』が大衆賞を受賞しているが、頂点を極めたのが1978年の第20回。ピンク・レディーの『UFO』でついに大賞を射止めた。

第5位~第1位:日本のポップス、歌謡曲の歴史を紡ぐ音楽家たち

第5位は、ジャズの要素を取り入れた独自のスタイルで戦前、戦後を通じて日本のポップス史に名前を刻んだ服部良一
1937年に淡谷のり子が歌った『別れのブルース』がヒット、作曲家として評価された。戦後は『買い物ブギ』など笠置シヅ子にブギウギの名曲を提供した他、『青い山脈』、『銀座カンカン娘』などで洋楽のリズムやビートを歌謡曲に持ち込み、歌謡界に新しいスタイルを築いた。
また、「日本レコード大賞」の創設にも尽力した。1993年には、『蘇州夜曲』など15作品で第35回日本レコード大賞特別功労賞を受賞。

 

第4位は、作詞家としても10位にランクインした小室哲哉
作詞家編でも述べたが、大賞を受賞した第37回のtrf『Overnight Sensation~時代はあなたに委ねてる~』、第38回と39回の安室奈美恵『Don’t wanna cry』、『CAN YOU CELEBRATE?』、第40回のglobe『wanna Be A Dreammaker』は作曲も担当。作曲家として大賞4連覇という偉業を達成し、90年代はまさに“小室サウンド”が花開いた時代だった。

 

第3位は、三木たかし
1967年に作曲家デビュー。69年には森山良子に曲を提供した『禁じられた恋』が大ヒット。その後は、西城秀樹、岩崎宏美、アグネス・チャンらに作品を提供、70年代は三木のヒット曲が歌謡界を席巻した。また、80年代に入ると、荒木とよひさとのコンビでテレサ・テンの『つぐない』、『愛人』などを世に出し、一世を風靡した。
レコード大賞では、1977年、第19回では岩崎宏美の『思秋期』、石川さゆりの『津軽海峡・冬景色』で中山晋平賞(後の作曲賞)を、第36回には坂本冬美の『夜桜お七』で作曲賞を獲得。第47回では吉田正賞を受賞した。

 

第2位は、作曲家協会会長を務める弦哲也
1965年に歌手デビュー。その後、作曲家に転身し、棋士・内藤國雄が歌った『おゆき』、川中美幸の『ふたり酒』、石原裕次郎の『北の旅人』など生涯2500曲以上を世に送り出した。
1981年、第23回に川中美幸の『あなたひとすじ』が金賞を、第28回では石川さゆりが情感豊かに歌い上げた歌唱が印象的な『天城越え』がやはり金賞を受賞。第32回には松原のぶえが『蛍』で最優秀歌唱賞するなど、弦作品の受賞曲をあげれば枚挙にいとまがない。演歌界を代表するヒットメーカーだ。

 

そしていよいよ作曲家の第1位は、日本ポップス界の巨匠・筒美京平
作曲家デビューは1966年。大学の先輩だった作詞家の橋本淳からの誘いがきっかけだった。1968年に発売された、いしだあゆみの『ブルー・ライト・ヨコハマ』がヒットチャート1位を獲得。翌年、同作品で第11回の作曲賞を受賞。以後、橋本淳をはじめ、盟友・松本隆、阿久悠らとのコンビで80年代を中心にヒット曲を連発。
レコード大賞では、第13回に尾崎紀世彦の『また逢う日まで』、第21回にジュディ・オングの『魅せられて』で大賞を2回受賞している。しかし、特筆すべきは、作曲賞で、第11回の『ブルー・ライト・ヨコハマ』、第13回の『雨がやんだら』『真夏の出来事』、第16回の『甘い生活』、第20回の『飛んでイスタンブール』『東京ららばい』、第21回の『魅せられて』で計5回(7曲)受賞していること。不世出の作曲家らしい勲章といえるだろう。

 

日本レコード大賞は、昭和で30回、平成で30回、令和になって2回が開催されてきた。「歌は世につれ、世は歌につれ」とは、古い言葉だが、その“歌”を世に送り出してきた作詞家、作曲家の顔ぶれを“レコ大”の歴史とともに眺めて見ると、その時代時代に流行った音楽が浮かび上がってくる。あなたの思い出の一曲を作った作家はランクインされていただろうか。

「レコード大賞」受賞曲 作詞家ランキングTOP10一覧

1位 阿久悠 77曲
2位 秋元康 43曲
3位 松本隆 33曲
4位 荒木とよひさ 27曲
5位 なかにし礼 25曲
6位 吉岡治 24曲
7位 つんく♂ 22曲
8位 たかたかし 20曲
9位 石本美由紀 19曲
10位 小室哲哉 17曲
佐伯孝夫 17曲

「レコード大賞」受賞曲 作曲家ランキングTOP10一覧

1位 筒美京平 54曲
2位 弦哲也 36曲
3位 三木たかし 33曲
4位 小室哲哉 24曲
5位 服部良一 23曲
6位 都倉俊一 22曲
水森英夫 22曲
8位 吉田正 21曲
9位 つんく♂ 21曲
10位 船村徹 18曲
猪俣公章 18曲

 

参考資料/『輝く!日本レコード大賞公式データブック』(シンコー・ミュージックエンタテインメント) 公財)日本作曲家協会HPほか。

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