デビュー35周年を迎えた石原詢子が、シングル曲として自身初の作詞・作曲に挑んだ『五島椿』をリリース。「この歌で幸せな気持ちを全国の皆さんにお届けに参ります」

石原詢子「五島椿」
2023.5.24

デビュー35周年イヤーを迎えている石原詢子が、自身のペンネームであるいとう冨士子名義で作詞作曲を手掛けた初のシングル曲『五島椿』(c/w『流れる雲に』)を発表した。シンガーソングライター・古内東子作詞作曲の『ただそばにいてくれて』、デジタルシングルとして配信した『予感』と、直近2作でこれまでにない〝挑戦〟を続けてきた石原が選んだ記念曲は、ファン待望のしあわせ演歌だ。4歳から詩吟を習い、芸の道を歩んで半世紀の石原に、新曲への意気込みから家元を継いだ「詩吟揖水流詢風会」への思いまで、縦横に語っていただいた。


石原詢子

――デビュー35周年の記念曲『五島椿』は、久しぶりのしあわせ演歌ですが、なぜ五島列島を舞台にしてしあわせ演歌を作ろうと思われたのですか。

五島列島へは20年ほど前に仕事で伺ったことがあるのですが、昨年たまたま五島や長崎出身の方とお会いする機会があって、お話しているうちに「ああ、いいところだったな」って記憶が蘇ってきました。そんなきっかけもあって五島を舞台にした歌を書いてみたいと思ったんです。優しい島の風、美しい風景、島の人々の暖かさやぬくもりを表現しようと考えた時に、いわゆるド演歌ではなくメジャー調になるかなと思いました。さらに前作の『ただそばにいれくれて』や『予感』の流れの中にある曲にしたいと考えてこういう楽曲になりました。結果的にしあわせ演歌という形になったというのが正しい言い方かもしれません。

――35周年にして初めてご自身のシングル盤の作詞作曲に挑戦したのはどういう経緯だったのでしょうか。

今回、実はレコード会社のほうから「書いてみますか?」と打診がありまして、まさかと思ったのですが、ダメならボツにしてもらえばいいと思い思い切ってやらせていただくことにしました。これまでもアルバム収録曲に入れていただいたことなどはありましたが、シングルでは初めてでしたので、4曲ほど必死に書いて提出しました。

――石原さんの温か味のある歌声と相まって、コロナ禍で疲れた心が癒されるような優しい曲だと感じました。どんな気持ちを込めてお作りになったのでしょうか。

一番に考えたキーワードは「ぬくもり」。先ほども言いましたが、島の風景やそこに住む人たちの温かさなどのイメージを大切にしました。もう一つは「縁」です。私が曲作りを提案されたタイミングで、たまたま五島の方、長崎の方とお会いしたのも何かの縁。私と五島とは、どこかでつながっていたような気がしたんです。そんな縁というものを曲の中で表現したいと思い、造語ですが「縁結花(むすびばな)」という言葉も考えました。

――椿をモチーフにされたのは何か理由があったのですか。

五島では椿油は食用としても使われていますし、肌や髪にも付けます。また椿の木は防風林として島を守っているともお聞きして、五島を描くなら島の人たちの生活に深く溶け込んでいる椿をモチーフにしたいと思いました。それからは椿についてたくさん調べて、例えば「控えめな優しさ」という花言葉も曲のイメージの中に盛り込みました。

石原詢子

――歌うにあたって、歌唱方法や気持ちの持ち様など大切にしたのはどんなことでしょう。

収録にあたっては悩んだことが一つありまして、私はキーをもう半音、上げたかったんです。そのほうが気持ちよく張って歌えますし、私のベストの声が出せそうな気がしたので。ただ、島ののどかなイメージからすると、低い音のほうが説得力があるのではないかという意見が出まして、イメージを大切にしようとあえて今の形にしました。それから、一度歌詞が出来て提出した際に何かもう一つ足りないと言われてしまって、じゃあもう一度五島に行って考えてみようと、2月にぶらりと旅に出たんです。20年ぶりの五島で私が肌で感じたことを歌詞に入れて書き換えたのですが、行ってよかったと思いました。レコーディングの時も、美しい島の景色をリアルに思い浮かべて歌うことができましたから。聴いてくださる方が五島のぬくもりを感じて、優しい気持ちになってもらえたらと思いながら歌っています。

――ブログの中で「異国情緒が漂うアレンジ」だと紹介されていましたが、編曲の若草恵先生にはどんなリクエストをされたのですか。

私は楽器や譜面のことはそこまで詳しくないので、イメージだけお伝えしました。まず、しあわせ演歌という言葉から連想する音はあまり意識せず、潜伏キリシタンの歴史やコバルトブルーの海の色など、五島が持つ〝異国の空気感〟をイントロの中で出してほしいとお願いしたんです。楽器もいろいろ試しましたが、最終的にポルトガルギターを入れることで島の風を感じる音になりました。そこに防風林として島を守っている椿の力強いイメージも加えて、最終的に私の思い描いた通りのアレンジにしていただけました。

――確かに出だしから引き込まれました。いわゆる演歌のイントロではありませんね。

先生には「演歌も変わらなくてはいけない。これまでになかった音を取り入れて、演歌に新しい風を吹き込むことはどんどんやったらいい。石原さんにはそういうことをやっていく第一人者になってほしい」と言っていただきました。

――我々がカラオケで歌う時はどこに気を付けて歌うと上手く歌えるでしょうか。

前半は、ゆらりと船に揺られているようなリズムを感じてゆったりと歌えればいいと思います。一番のポイントはサビから最後の「恋の花」まで。「五島椿は~」のところで一度盛り上げて、「私の胸に~」で小休止、そして「恋の花」でガンと締めていただければ。CDには半音下げとオリジナルのカラオケもついていますので、頑張って歌ってみてください。

石原詢子

――カップリングの『流れる雲に』は70~80年代の歌謡曲、あるいはニューミュージックのテイストだと感じました。こちらはどんな曲ですか。

今おっしゃった通りで、若草先生にも70~80年代のサウンドにしてほしいとリクエストしました。タイトルにもある通り、この曲のモチーフは「雲」です。私、雲を見るのが大好きで、小さい時はレンゲ畑に寝そべってずーっと雲を見ているような子でした。そんな自分が成長して、大人になった目線で雲を眺めた時にできたのがこの曲です。

――スリーフィンガーのギターが効果的に使われていて、フォークギター世代には懐かしい響きでした。70~80年代当時を思い出して弾き語りで歌うのもよさそうです。

私を応援してくだっているファンは団塊の世代の方がとても多いので、そういう方々に懐かしいなって思っていただけたら、この曲は成功だと思います。アコースティックライブなどで歌うにはぴったりの曲だと思いますが、残念ながら私は、ギターは無理かも(笑)。

石原詢子

――石原さんは詩吟の家元という顔もお持ちです。50歳の時、揖水流詢風会を設立されたわけですが、歌手を目指して上京したことで一度は距離をとった詩吟の世界に、再び戻ったのはどうしてですか。

父(吟詠家/揖水流初代家元・石原源風)は、私が27歳の時に亡くなったのですが、その少し前、体調を崩した時に、自分が作った揖水流を「お前に継いでほしかった。50歳になったら復活させてほしい」と、ポツリと口にしたんです。厳しかった父の弱った姿を見て何だか可哀そうになってしまって……。

――揖水流を継ぐと約束されたわけですね。

当時、私は50歳までこの業界で歌っているなんて思っていませんでしたし、その頃になったら継ぐからねって約束しました。「頼むよ」という言葉がずっと胸に残っていて、50歳になった2018年に揖水流詢風会を立ち上げて、家元を継ぎました。2足の草鞋なんてできるのだろうかと不安でしたが、事務所も背中を押してくれましたし、やらないで後悔するよりやって後悔するほうがいいと思って始めました。

――もう一度、詩吟を勉強し直したのですか。

継ぐことが決まって、父が何十年もかけて作った教則本を私なりに書き直そうと一から資料を集めて勉強したのですが、父はパソコンもなかった時代によくこれだけのものを作ったなと感心しました。その情熱に圧倒される思いでしたが、勉強していくうちに日本語の美しさや、吟ずる漢詩に込めた作者の気持ちを理解することの大切さに思い至りました。それを理解したことが、今の私の詩吟や歌にもつながっていると思います。

――石原さんは詩吟の魅力をどんなところに感じていますか。

詩吟は基本的に漢詩、和歌、俳句などに節をつけて吟じる(歌う)芸能ですが、一番の魅力はやはり漢詩や和歌などの言葉の美しさでしょうか。中にはそうとう古いものもありますが、詩の内容を紐解いていくと、作られた当時の風景までもが目に浮かんできます。吟じていると優雅な気持ちになりますし、お腹から声を出しますので身体にもいい。大切な日本の古典芸能ですから次世代に継承していくためにも頑張ろうと気を引き締めています。

――詩吟というと敷居が高いイメージを持ちますが、初心者でもできますか。

難しそうと思う方が多いようですが、最初は軽い気持ちで体験してみていただければ。教室では「健康のため」「ストレス解消のため」「趣味を持ちたい」「苦手を克服したい」という4つの柱を立てて初心者の方にもお勧めしています。

――今後、「詢風会」をどうしていこうと考えていますか。

指導者が私一人しかいませんので、大きくするのはまだまだ先の話ですが、本気で詩吟に取り組んでいるお弟子さんを、次の指導者になれるように大切に育てていきたいと思っています。コロナ禍の3年間は発表会などもなかなか開けず、リモートで開催したりしてきましたが、ようやく今年になって昇段試験も行うことができました。今度、詩吟の縁の地を巡る旅行にも皆でいけたらと計画しています。

石原詢子

――少しプライベートなこともお聞きします。ブログなどを拝見すると、可愛いネコ軍団〝だいきなぁず〟が大活躍しています。ネコのどんなところが魅力ですか。

ひと言で言うのは難しいですが、やっぱり仕草でしょうか。ツンデレかと思えばゴロゴロ甘えてくるし、気まぐれなところもたまらないです。だいず、きなこ、あずきの3匹がいますが、キャラクターも三者三様で全然違いますし、もう一挙手一投足が可愛いです(笑)。

――〝だいきなぁず〟と一緒に暮らしてみて一番、良かったと思ったことは何ですか。

実は3匹の前に飼っていたネコが21歳と7カ月で亡くなってしまい、そのお別れがあまりにも切なかったので、もう二度と動物は飼うまいと心に決めていました。そんな時、たまたま同級生の家に子ネコ(だいずときなこ)が生まれたのをフェイズブックで見て一目ぼれしてしまい、コロナ禍で寂しさに耐えかねてもいましたので、迎えに行ってしまいました。コロナ禍で一人ぼっちでいた時は、この子たちにどれほど慰められたかわかりません。

――お料理やゴルフなど多趣味だとうかがっていますが、最近のマイブームは何ですか。

最近は卓球ですね。歌手仲間で卓球部を結成したのが1年ほど前、伍代(夏子)さんが体調を崩された時に、少し身体を動かしたほうがいいのではないかということで始まったんです。メンバーは他に島津悦子さん、大石まどかさん、多岐川舞子さん、みずき舞さん、岩本公水さん、椎名佐千子さんの計8人。皆、形から入るタイプで、すぐにマイラケットを買いに走り、今や伍代さんが家に卓球台を買ってくださって、そこで練習しています。終わった後は、反省会と称する大宴会があります。実はそちらがメインだったりして(笑)。

――たしか卓球部には素敵な名前が付いていましたね。

「美魔女艶歌卓球部」です。あまり大きな声では言いたくないんですけどね(笑)。でもこれ、伍代さんが付けたんですよ(笑)。

石原詢子

――さて35周年を迎えたわけですが、これからはどんな目標に向かって進んでいきますか。

35年間、スタッフにも恵まれてここまで歌って来ることができましたが、これからはそのご恩を返していかなくてはと思っています。今回、作詞作曲に挑戦するという大きなチャンスをいただきましたので、今後につなげていけるように、やるべきことを一つずつ確実にこなしていきたいと思います。

――これからも40周年、50周年と続いていきますが、石原さんはその頃、どんなアーティストになっていたいですか。

演歌はもちろん、いろんなジャンルの歌を歌っていけるアーティストになりたいですね。『ただそばにいてくれて』のような歌もまた歌ってみたいですし、もちろんしあわせ演歌も、詩吟を織り込んだ歌も。ジャンルの垣根を越えて聴かせることのできる歌手でいたいと思っています。

――最後に『五島椿』を待ち望んでいるファンに一言お願いします。

五島椿という花を通して、ファンの皆さんと縁結びができたら嬉しく思います。この歌で、ほんわかと胸が温かくなるような、幸せな気持ちを全国にお届けに参りますので、引き続き応援のほど、よろしくお願いいたします。

石原詢子

石原詢子「五島椿」

石原詢子「五島椿」

2023年5月24日(水)発売

品番:MHCL-3029
価格:¥1.300(税込)

【収録曲】

1.五島椿
2.流れる雲に
3.予感
4.五島椿(オリジナル・カラオケ)
5.五島椿(一般用半音下げ・カラオケ)
6.流れる雲に(オリジナル・カラオケ)
7.流れる雲に(一般用半音下げ・カラオケ)
8.予感(オリジナル・カラオケ)

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