【シティ・ポップとは】世界が再注目する音楽はどうやって生まれたのか?

2021.6.28

1970~1980年代に日本で流行した「シティ・ポップ」と呼ばれる楽曲が、海外の音楽ファンを中心に注目を集めています。日本国内でも、新進気鋭の若手ミュージシャンたちがシティ・ポップの影響を受けて新しい音楽を確立していますが、なぜ40年以上も前に流行した音楽がこんなにも注目されているのでしょうか?そこで今回は、シティ・ポップの歴史や注目される理由などについてご紹介します。

シティ・ポップはどんな音楽?

そもそも、「シティ・ポップ」とはどのような音楽のことを指すのでしょうか?特徴や定義についてご紹介します。

都会的な雰囲気を持つ音楽

シティ・ポップは1970〜1980年代の日本で流行した音楽のひとつで、都会的に洗練された雰囲気が特徴とされています。雑誌やレコード会社で使用され始めたことから広がり、「シティ・ポップ」「シティ・ポップス」「シティミュージック」など、その呼び方はさまざまでした。主要なアーティストのほとんどがシンガーソングライターで、山下達郎、竹内まりや、角松敏生、大貫妙子、吉田美奈子、大瀧詠一らの楽曲がよく挙げられます。

ノンルールで定義は曖昧

シティ・ポップと呼ばれる音楽には、多彩な音楽ジャンルの要素が含まれています。ソウル、ディスコ・ミュージック、ロック、ジャズ、フュージョンなど同時期のアメリカのポピュラー音楽の要素が見られ、なかにはサンバ、ボサノヴァなどラテン音楽を取り入れたものもありました。そのため、シティ・ポップは音楽的な定義は曖昧という不思議なジャンルになっており、ジャンルよりムードを指す場合もあるようです。

シティ・ポップの歴史

シティ・ポップはどのように成立していったのでしょうか?その歴史を振り返ってみましょう。

ニューミュージックからシティ・ポップへ

1960年代後半、フォークにロック要素などを加え、政治性や生活感を除外した新しい音楽「ニューミュージック」が誕生します。それまではフォークやグループ・サウンズが若者から支持を集めていましたが、1970年代に入ると、フォークをバックボーンとしながら新しい感覚を持った井上陽水や荒井由実らが登場し注目されます。次第に、これまでの大衆音楽と一線を画す楽曲がニューミュージックシーンに登場するようになり、日本の大衆音楽の主流となっていきました。

以降、さまざまな音楽ジャンルを取り入れるミュージシャンが続々と現れ、その中からシティ・ポップが形成されていきます。例えば、軽快なサウンドに日本語詞を合わせた先駆的バンド「はっぴいえんど」や、『SONGS』をリリースした「シュガー・ベイブ」がシティ・ポップの源流とされており、その後に活躍した山下達郎、竹内まりやらが基盤を作り上げていきました。

流行の背景に経済あり

シティ・ポップ成立の背景には東京の国際都市化があり、シティ・ポップの盛衰は日本経済の盛衰とほぼ重なっています。バブル期に生活水準が向上して経済的・精神的余裕が生まれると、人々のなかに都会的でお洒落なライフスタイルが定着しました。シティ・ポップで歌われる「シティ」とは高度経済成長を経た東京のことで、都市ならではの孤独感・哀愁を洒落たメロディにのせて歌ったことが人々の心を掴んだのです。

しかし、1970年代のシティ・ポップはスタジオでのレコード制作に重点をおいたもので、各地でライブを行うアーティストは多くありませんでした。そのため東京周辺での流行にすぎず、全国区でのヒット曲はまだ多くなかったのです。

全盛期を迎えたシティ・ポップ

1970年代末、シティ・ポップを先鋭化させたテクノ・ポップでYMOが注目されると、人々は次第にシティ・ポップに関心を向けるようになりました。1980年代に入ると、稲垣潤一、杉山清貴らの男性シンガーの都会派楽曲が女性から支持され、松田聖子の『赤いスイートピー』が大ヒットするなど歌謡界にもシティ・ポップが浸透。年間アルバムチャートのトップにシティ・ポップの名盤が並び、1980年代前半には全盛期を迎えます。

都会的で洗練されたシティ・ポップは企業CMとも相性が良く、テレビCM やトレンディドラマとのタイアップからヒット曲が生まれることも多くなりました。

トレンディドラマの音楽としても流行したシティ・ポップを語るヒャダインの特集記事はこちらです。

「シティ・ポップもいいけどトレンディ・ポップもね。~ヒャダインの歌謡曲のススメ#9」

https://www.utabito.jp/feature_article/7411/

気軽なリスニングスタイルで拡大

シティ・ポップが普及した背景には、視聴環境の変化も関係していたようです。それまでの音楽はアナログレコードを購入して聴くという高価な趣味でしたが、1980年代にレンタルショップが登場すると、音楽は安く借りてテープにダビングできるようになりました。携帯音楽プレーヤー・ラジカセ・カーオーディオなどで外出時にも音楽が楽しめる環境が整ってきたこともあり、この新しいリスニングスタイルが若者たちのあいだで普及しました。

しかし、1990年代にバブルが崩壊すると社会には停滞感が漂い始め、シティ・ポップといえる楽曲は激減。やがてシティ・ポップは「J-POP」のなかに埋もれていきました。

21世紀のシティ・ポップ

1980年代の経済成長とともに発展し、1990年代のバブル崩壊で衰退したシティ・ポップは、2000年代に入って新しい展開を迎えます。

欧米圏での「再発見」

2000年代に入りインターネットが普及すると、ストリーミングや動画配信サイトで音楽を聴くという新しいスタイルが誕生しました。誰もが簡単に世界にアクセスできるようになり、日本国内でのブームに過ぎなかったシティ・ポップがアメリカの音楽マニアのなかで再発見されます。また、イギリスでは早くから山下達郎の曲などがダンスナンバーとして評価され、「J・レアグルーブ」「J・ブギー」と呼ばれました。

アジアでも注目を浴びる存在に

2010年代にはアジア圏でも再評価が進み、ネット配信されていないレコードを買うために来日する外国人も増加。2018年にYouTube にアップされた竹内まりやの『プラスティック・ラヴ』(1984年)が、2021年6月現在、3,900万回以上の再生数を記録しています。

また2020年には、YouTuberのRainychがカバー曲を歌ったことをキッカケに、松原みきの『真夜中のドア~Stay With Me』(1979年)が注目されます。この曲は世界のApple Music J-Popランキングにおいて12か国で1位を獲得し、ポニーキャニオンから同作のレコード盤が復刻発売されることになりました。

なぜいま、シティ・ポップなのか?

時代を経て再評価されたシティ・ポップ。これからシティ・ポップはどんな進化を遂げるのでしょうか?

「引用」と「元ネタ探し」がカギに

シティ・ポップが再評価された背景には、「ヴェイパーウェイヴ」や「フューチャー・ファンク」などの新しい音楽の流行があります。「ヴェイパーウェイヴ」はおもに1980年代の楽曲を引用して制作されており、元ネタ探しを始めた人々が原曲や同系統の日本の音楽にハマっていきました。この流れから、昭和のアイドル歌謡なども再注目されています。

新たなシティ・ポップも誕生

シティ・ポップの再流行を受け、現在では、当時作られたシティ・ポップの雰囲気を再現した新曲をつくる海外バンドも登場しているようです。日本でもシティ・ポップの影響を受けた若手アーティストが次々に登場しており、ヒップホップ・テクノなどの要素がプラスされた「ネオシティ・ポップ」が誕生しています。

脚光を浴びるシティ・ポップ

1970~1980年代にかけて大ヒットしたシティ・ポップ。日本では時代の空気とともに廃れてしまいましたが、DJシーンや海外の音楽ファンを通じて、今また脚光を浴びています。このブームを機に、国内でも懐かしのシティ・ポップを楽しんでみてはいかがでしょうか?

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