<山内惠介のコンサートへのこだわり、そして20周年に向かって>三井エージェンシー社長・三井健生氏#3

2019.10.25

デビュー10周年を控えた2010年から全国5都市でのコンサートツアーを開催できるほどに成長した山内。さらに2013年には主演舞台『曽根崎心中』を兵庫・東京で17公演開催、2017年には、新歌舞伎座にて初座長公演を開催、2018年には、明治座でも初座長公演を実現し、成功させた。経験を重ねていく中で、三井氏が特に高く評価するのは、山内の歌のレパートリーだ。
今の若手の演歌歌手の中で、惠介ほど歌を知っている歌手はいないでしょう。『五木先生の 歌う!SHOW学校』(歌謡曲専門テレビ 2015年から)でも、五木ひろしさんが口三味線するイントロを聞いて、どんな曲でもすぐに歌えるのが惠介だったので、番組では学級委員長に任命されました。『惠音楽会』というカバー曲ばかりを歌うコンサートをもう10年続けていることもありますが、曲を覚えるのは天才的。昭和の演歌歌謡曲はもちろん、長編歌謡浪曲まで歌える若手はなかなかいないと思いますよ

全国ツアー〈山内惠介 全国縦断コンサートツアー2019~Japan 季節に抱かれて歌めぐり〉のステージ

さらに、今年2019年は、念願だった初の47都道府県をめぐる全国ツアー〈山内惠介 全国縦断コンサートツアー2019~Japan 季節に抱かれて歌めぐり〉を展開しているのだが、コンサートで訪れる土地では、例えば仙台では『青葉城恋唄』、東京・蒲田では『蒲田行進曲』、佐賀でははなわさんの『佐賀県』、長崎ならさだまさしさんの『精霊流し』など、その土地に縁のある曲をはじめ、その地元の民謡、その時期に合う季節の歌や話題の歌などを幅広く披露。レパートリーをますます増やしている。
47都道府県と謳ってはいますが、実際、コンサートを開催する土地は、埼玉県なら大宮、越谷、狭山の3か所など、トータルで67会場75公演になりますので、用意する楽曲は47以上になります。毎回、その土地土地に合わせて、何を歌ったらみなさまに喜んでいただけるかを惠介自身が考えて、前の晩にノートに歌詞を書きながら一生懸命覚えて、歌っていますよ

日本をちゃんと歌える歌手になりたい」と言う山内に対して、三井氏は「自分のオリジナルでなくても、すべての歌を真剣に歌うことを常に心がけるよう」伝えてきたと言う。その通り、山内は、「カバー曲を歌うときも、お客様に自分のために歌ってくれていると思ってもらえるよう、お客様の気持ちをいっぱい感じながら、歌に命を宿して歌うことを意識している」と語っている。

アルバム「Japan」股旅もの・歌謡浪曲など和を中心とした山内惠介の幅広い音楽性が堪能できる。

全国ツアーを実現させられるようになった今、山内のコンサートにおいて、三井氏は、曲の構成にタッチするだけで、トークの内容などは、「すべて状況に合わせて、台本なしの語りをすすめている」と言う。
初期の頃は、会場へ向かう途中の景色や草花、その土地で感じた季節にまつわる話題などを話すように言っていました。そういうことを話すと、お客様に身近に感じていただけるし、コンサートを楽しく盛り上げることができますからね。そのために、私は駅や空港から乗ったタクシーで、運転手さんに、『こんにちは』をこちらの方言ではどう言うのかとか、旬の食べ物は何かとかネタになることを聞き出したりしていました。惠介は黙ってその会話を聞いていて、トークに活かしていましたね。あと、惠介は、音響さんや照明さん、マネージャー、ディレクターなど、コンサートに関わるスタッフと、深くコミュニケーションをとり、意欲的にいろいろなことを吸収しています。年々、ファンを増やし、コンサートの回数を増やすことができているのは、そういう惠介の熱意と真面目さがあってこそだと思います

2007年に三井エージェンシーに移籍した際、作詞家・星野哲郎氏から寄せられたメッセージ

山内は、インタビューで「人の力がないと成立しないお仕事ではあるけれど、人任せと人頼りは全然違う。自分自身がイニシアチブを握らせてもらえる立場にいるなら、大変ではあっても、人任せにしないで自分の意志でやらせてもらいたいなと強く思うようになっている」と語っている。その思いを根底に、セルフプロデュース能力をも身につけた今、実力を裏付けるように、明治座、新歌舞伎座はじめ、全国の大舞台から1カ月公演の依頼が多数寄せられている。
歌手の仕事は三角形です。一番底辺はキャンペーンで、次が営業、そして一番てっぺんがテレビや劇場の大舞台。でも、スターはその逆で、キャンペーンをやらなくても、全国の大舞台から出演依頼が来て、テレビの出演依頼もたくさん来る。逆三角形になってくれば、スター=歌手界の横綱になれるんです。紅白歌合戦にも4年連続で出場できたし、惠介はようやく横綱に近づけたのかもしれません

15周年で初の紅白歌合戦に出場した山内を、三井氏は「15年、長かったけれど、よく我慢してがんばったと思います」と讃える。そして、来年の20周年に向けて、「名横綱を目指してほしい」とも。
私は、“みんながやらないことをやる”がモットーです。人がやらないことをやって当たったら、一番強くなるし、引っ張りだこになりますからね。とりあえず、20周年はお世話になったエリアの方たちのところを回る予定です。令和の名横綱を目指してがんばりますので、今後とも、惠介をどうぞよろしくお願いします

事務所で出迎えてくれたのは、トレードマークの笑顔いっぱいの三井社長パネル

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