<中村典正と3人でつかんだ三山のデビュー>ミイガンプロダクション社長/歌手・松前ひろ子#2

2019.10.23

恩師・北島さんから受け継いだ魂を三山くんに伝えました。

――松前ひろ子さんが三山ひろしの声を初めて聞いたのは、彼がLIVEレストラン青山でアルバイトを始めて3日目のこと。三山の代名詞である“ビタミンボイス”に歌手としての可能性を感じ、「彼は金の卵よ」と夫で作曲家の中村典正氏に囁いたと言う。自らもプロの歌手である松前さんだからこそ、彼の声の響きに“スター”を予感したのだ。そこから少しずつ、三山の運命は変わっていく。

声というのは、親からもらった財産なんです。彼は声の響きが人とは違う。聞いたことがない素晴らしい発声だと思いました。だけど、そのときはまだ、うちの社員にすることも考えていませんでした。お店で働き始めて3ヵ月目に、彼から『昼間の空いている時間にコンビニで働いてもいいですか?』と聞かれたんです。母子家庭で、夜のアルバイトのお給料だけでは生活が大変だからという理由でした。そこで、お店の上に私のプロダクションがあるから、昼はそこで働いたらどうかと勧めました。
彼はよく働き、私や主人が喜ぶことには身を粉にして頑張ってくれました。だから、私たちも『あの子のためなら何でもしてあげたい』という気持ちになっていきました。
彼は感謝の気持ちを決して忘れないんです。うちに来てすぐの頃、『今日、誕生日なんです』と聞いて、私は何も用意していなかったから、紙ナプキンに5千円を包んで『お誕生日おめでとう。今日から家族よ。親孝行できるようにがんばって!』とメッセージを添えてプレゼントしました。そしたら、それを何年もずっと大事に持っていてくれたんです。『優しくしてもらったことがうれしくて、忘れられないんです』って。それを聞いたときは、本当に感激しました。もっとあげればよかったなって(笑)。今は神棚にしまってくれているそうです

―――三山は28歳のときに『人恋酒場』でデビューする。25歳で松前さんに出会ってからデビューまでの3年間は、決して楽な道のりではなかった。まさに松前さん夫婦と三山が一致団結した結果の出来事だったのだ。そのため芸名の“三山”には、「出身の高知県が三方を山に囲まれているから」という意味のほかにもう一つ、「三人が手を取り合う姿」との意味が込められているのだという。

30歳になる前にデビューさせてあげたいと思っていたので、28歳でデビューさせることができてホッとしました。3年間でいろいろなレコード会社の人に彼の歌を聴いてもらったのですが、なかなか話がまとまらず、簡単ではなかったです。だけど、彼も本当によく頑張りました。トークにしても、最初は『こんばんは。いらっしゃいませ』と自分の名前を言うのがやっとでした。だけど『マイクを持ったら“えー”“あの…”じゃダメなのよ』と言ったら、他の人のステージを観察して、どんどん上手くなって……。彼はとにかく努力を惜しまないんです。だから育てる私の方も、彼に負けないように自分を磨こうと思いました。
 彼は3年間、私の付き人として地方への同行や送り迎えをしてくれていました。私を家に送り届けた後、自分のアパートまで自転車で帰って行くんですけど、その少しの時間にその日のことを振り返ったり、反省したりしていたのだと思います。仕事の場で見聞きすること、感じたことが全部身になっていたのでしょうね。私も北島さんの元でお客さまへの対応を学びましたが、彼にとってあの3年間は無駄じゃなかったと思います

 

――また、松前さんは、三山ひろしの人柄がよく表れたエピソードも披露してくれた。ずっと寄り添ってきた松前さんだからこそ知る、三山の一面であり、歌手・三山ひろしを形成している大きな要素と言えそうだ。

私に付き添って地方へ行くと、営業先で豪華なお食事でもてなしていただくこともありました。そんなとき、彼はなかなか箸を付けようとしないんです。『どうしたの?』とこっそり聞いたら、『こんなに豪華な……母親よりも良いものを僕が食べてもいいんでしょうか?』と言うんです。『せっかく用意していただいたのだから、いただきなさい。その方が、お母さんもきっと喜ぶわよ』と言ったら食べましたが、常にそんな調子でした。母子家庭で育ったとはいえ、母親を思う気持ちが人一倍強い。そしてお母さんだけじゃなく、周囲のすべての人に対する感謝の気持ちを忘れないんです。きっと母親やふるさと、応援してくださる人たちへ感謝の心を伝えたいと常に思っているから、あの何とも言えない彼の歌声になっているのではないでしょうか

――自身が師匠・北島三郎氏から教わったことを、弟子の三山にも伝えてきた松前さん。三山のレコーディングにも立ち会い、アドバイスを送ってきた。そんな日々を通して、二人は強い師弟の絆を育んでいった。

私は北島さんから『悲しい歌は笑って歌え』と教わりました。『悲しい歌を悲しい顔で歌っても、自分に酔っているだけで相手に伝わらない。悲しみをこらえて笑うから、人の心を打つんだ』と。私が北島さんから習ったことの90%は三山くんに伝えてきました。私が教えるというより、『私が習ったことを教えるね』と言って歌唱法も伝えてきました。
 レコ―ディンクに立ち会った際には、聴いていて『今の母音は明るく歌った方がいいな』など気づいたことをディレクターに伝えます。私が直接言うことはしないですね。あまりいろんなことを言われると、どんどんわからなくなってしまうものなんです。自分がそうだったから、よくわかるんです。歌は音楽だから、楽しまなければ音楽じゃなくなるし。私も歌い手ですから、そういう点では三山くんは助かったかなと思います(笑)

 

(つづく)

次回は「そして、三山ひろしと叶えるこれからの夢」。

作品情報

info01

松前ひろ子「夫婦鶴」

恩師北島三郎プロデュース、作詞・作曲原譲二による、歌手人生50周年記念曲第2弾!永年連れ添った夫婦の愛を描いた夫婦慧可の決定盤!カップリング曲「おめでとさん」(作詞:千葉幸雄/作曲:中村典正)¥1,204円(税別)/㈱徳間ジャパンコミュニケーションズ

関連キーワード

この特集の別の記事を読む