<山内惠介 アピール大作戦>三井エージェンシー社長・三井健生氏#2

2019.10.18

第一回<山内惠介との出会い>はこちら

衣装は“ファンに元気を与えるもの”がコンセプト

2007年、移籍後初のシングルとなる新曲『つばめ返し』のキャンペーンで、各地をまわり始めた山内。ファン獲得のために三井氏はさまざまな策を凝らしたと言う。
レコード店の前で歌わせていただくときは、どうしたら歩行者の足を止めることができるかが重要です。人が集まっていても何をやっているかわからなければダメですから、名前を知ってもらう意味でも、のぼり旗を作って掲げました。あと、歌う前には、まず、私がマイクを握って歩行者にも興味を持ってもらえるような、つかみとなる話をしました。レコード会社の宣伝マン時代から人前で話すことには慣れていましたからね。その後、惠介が、集まってくれた人たちにまず一言挨拶して、新曲を歌うんですが、歌い終わった後は、深々とお辞儀をしないで、すぐに『みなさんのためにもう1曲歌います』と言って歌うよう告げていました。だって、お辞儀なんてしていたら、その間にみんな帰ってしまいますからね。で、次の歌を聞いてくれている間に、私はファンクラブの会員募集のチラシを配りまくったんです

チラシはみごと効力を発揮。『つばめ返し』リリース前は、400人程度だったファンクラブ会員は、徐々に増加。しかし、三井氏は、ファンが増えた一番の要因は「惠介の振る舞いにあった」と断言する。
ありがとうございますと言う表情ひとつもそうだし、握手をしたり、ツーショット写真を撮ったり、来ていただいたお客様に楽しんでもらおうといつも全力投球でした
山内は、現在もコンサート後の握手会で、ファンと濃く触れ合うことで知られ、「手の届くアイドル演歌歌手」と称されることもあるほど。その根底には、歌う場所がなかった辛い時代から、徐々に応援してくれる人たちが増えていく喜びと感謝を実感した当時の体験が生きているのだろう。

公演後の握手会でファン一人ひとりと触れ合う

そして翌年は、再びガラリと趣向を変えて、今度は“宝塚”をテーマに、華やかな衣装で踊り歌う『恋する街角』をリリース。これも三井流ファン開拓の秘策だった。
今いるファンに喜んでもらうとともに、さらに人気を広げるためにはどうするか。よし、今度は、踊りも入れて、途中、ファンからの『惠ちゃーん』という声援が入れられるような楽曲にしようと。衣装も人気と関わりがあるので、重視しました。惠介は、いつも1つの楽曲に10着くらい衣装を作っているんです。そんな歌手はなかなかいないんじゃないかな(笑)。でも、ファンが喜んでくれるんですよ。私自身、昔から絵を描くのが好きだったので、衣装を考えるのは楽しくて。ファンにどうしたら楽しんでもらえるか、元気を与えられるか……衣装を作るときはいつもそれを考え、デザイナーと熱い時間を費やします。

ファンに喜んでもらいたい」。それが山内、三井氏2人の一番の思い。そのために、三井氏は自ら、ファンクラブ会報「惠音楽部」に発刊当初から毎回、欠かさず、記事を書いている。
ファンクラブの会報は、たいてい写真と活動報告だけですよね。でも、私はゆっくり読める記事も入れてあげたいと思い、1号目から、今の惠介がどういう状況なのか、これからどういう方向に行こうとしているのか、それをファンのみなさんにお伝えしています

ファンとの旅行でも、順番にすべてのバスに乗り、山内の近況や、面白エピソードを披露するなどファンサービスに努めているのだそう。そんなふうに自らファンと向き合う社長は、当然、ファンの間でも人気者だ。
私はいつも会報のメッセージの最後に『またお愛しましょう』(「スポットライト」の歌詞から引用)って書いているんです。コンサートでは、私もグッズ売り場で大きい声を出していますからねって。そうすると、惠介のファンがお土産を持って、私にも会いに来てくれるんですよ(笑)

移籍してからわずか2年後の2009年、山内はついに、シングル『風蓮湖』で10万枚を超すヒットを記録。50週以上にわたってオリコンのシングルランキングにチャートインしたことからも数々のメディアに取り上げられ、注目を集めた。
『風蓮湖』リリースの際は、歌の舞台となっている北海道で、キャンペーンやラジオ出演、旅レポーターとしてテレビ出演など、精力的にPRしました。北海道は、2004年から惠介が初めての冠番組『山内惠介の歌一本勝負』(STVラジオ)をやらせていただいている第2の故郷のような場所で、地元のみなさんもすごく応援してくださった。また、うちに移籍する前からの惠介ファンの北海道の方が、風蓮湖がある市に推してくれて、“ねむろ味覚観光大使”にも就任できました。惠介には、歌手の仕事はお祭りだよと言ってきたんですが、お祭りをいかに仕立てて、仕切れるか。それが最高のプロデューサーになれるかどうかのカギです。人の心をつかみ、親しくなれば情も湧きます。思いがあれば人は動いてくれます

そうやってセルフプロデュース能力も身につけ、スターへの階段を上り始めた山内。支える三井氏はこんな未来を描いていた。
必死になってファンを増やせばコンサートができます。コンサートができる歌手に成長すれば、全国をまわることができます。そうやって一歩一歩、着実に進んでいくことが大事だと、惠介にはいつも伝えていました
デビュー10周年を控えた2010年、ついに山内は全国5都市でのコンサートツアーを実施。そして、移籍から8年、デビューして15年目で、初の紅白歌合戦出場。デビュー19年目の今年は、自身の念願でもあった、全国47都道府県をめぐる全国縦断コンサートツアーを実現したのだった。

デビュー直前に作詞家・星野哲郎氏から送られたメッセージ

(つづく)

次回は「コンサートでのこだわり、そして20周年に向かって」

 

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