“歌い手・中澤卓也”を形作る師匠の教え、そして芽生えたプロとしての信念

2020.8.25

2017年のデビュー以来、ミラクルボイスと称される歌声と爽やかなビジュアルで、演歌・歌謡界の若手ホープとして注目を集めている中澤卓也。初のオリジナルアルバム「歩み Part1」について聞いたインタビュー前編に続き、今回はデビューまでの道のりと、“うたびと”としてのこだわりをうかがった。

挫折から開けた歌手への道

8月5日、コンサートで大人気のオリジナル曲『ありがとう あなたへ』をカップリングとした5枚目のシングル『北のたずね人』タイプEと、3年間の“歩み”を綴った初のオリジナルアルバム『歩み Part1』を同時リリースした中澤卓也。8月15日からは、仲良しのパク・ジュニョンとともに視聴者から寄せられたお悩み解決に奮闘するチャンネル銀河の人気バラエティ『パクタクおたすけ隊』の新シリーズもスタートするなど、演歌・歌謡曲界の期待の新星は、デビュー4年目の今年も快調に歩みを進めている。

そんな中澤が“うたびと”としての第一歩を踏み出したのは、2013年3月31日、祖母の勧めで、地元・新潟県長岡市で開催された「NHKのど自慢」に出場したことがきっかけだった。
当時のことを中澤は「心にぽっかり穴があいてしまった状態だった」と振り返る。
小学3年からレーシングドライバーになることを目標にカートレースに打ち込んで、高校もモータースポーツ科のある学校に進学したんです。ところが、高校1年の終わりに、レースを続けるために不可欠なスポンサーを見つけることができず、夢を断念せざるを得なくなってしまって。
それまでレーサーになることだけしか考えていませんでしたから、僕には何もなくなってしまい、その後の高校2年生の1年間はどん底でした。
ただ、ありがたいことに、学校の先生が、『焦らずに、今は落ち着いて、自分のやりたいことを探してみればいい』と言ってくれていて、そのうちに、小さい頃から歌が好きだったし、音楽に携われるような仕事ができたらいいなと思うようになって。
そんな時、おばあちゃんが『のど自慢があるよ』って教えてくれて、何かのきっかけになればと思って応募したんです

これを機に、中澤の人生は大きく動き出す。森山直太朗の「さくら(独唱)」を歌い、その週のチャンピオンになった番組を、たまたま日本クラウンのスタッフが東京で視聴しており、スカウトされたのだ。
しかし、すぐには決断できなかったと言う。
わざわざ長岡まで来てくださって、駅の喫茶店でお会いしたんですが、そのとき初めて『演歌・歌謡曲を歌いませんか?』と言われて、戸惑ってしまって。
僕はそれまでポップスが好きで、両親が好きなのも大黒摩季さんや矢沢永吉さんでしたから、演歌・歌謡曲は聞いたことがないし、自分が演歌・歌謡曲を歌うということがまったくピンとこなくて。歌いたいとか歌いたくないという以前に、演歌の“え”の字も知らない、歌の勉強もしていない知識ゼロの自分が、演歌・歌謡曲なんて到底、歌えないだろうって思ってしまったんです

悩む中澤の背中を押したのは母の言葉だった。
『ほんの1年前までレーサーを目指していたあなたが、漠然と歌手になりたいと思った矢先に、たまたま地元に『のど自慢』が来て、たった1枚だけ応募ハガキを出したら、ステージに立てて、それをたまたまレコード会社の人が見ていてスカウトしてくれた。世の中には、歌手になりたくて一生懸命頑張っている人が大勢いるのに、こんなチャンスをいただいたんだから、できるできないは関係なく、やれるだけやってみたら』と。
確かに、今、起きてもいないことを考えて不安になっていてもしょうがないし、壁にぶつかったら、その時また考えればいいかと思って、踏み出してみることに決めました

指導なし?! うたびとの礎を築いた驚きの修業時代

その後、中澤は、作曲家・田尾将実氏に弟子入り。毎週末、新潟からレッスンに通うために上京するようになったのだが、そこにはこんな驚きの修業時代が待っていた。
先生のご自宅に初めてうかがったとき、ピアノの置いてある部屋に案内されたので、イメージしていた通り、先生がピアノを弾きながらマンツーマンでレッスンしてくれるんだと思いました。
ところが、すでに録音してある発声練習用のCDを渡されて、音に合わせて発声をやるように言われて、先生は部屋から出て行ってしまった。CDの尺は10分くらいなんですが、終わっても、まだ先生は部屋に入ってこなくて、仕方ないから、もう1回やろうかなって繰り返しているうちに、3時間(笑)。
やっと先生が部屋に入ってきて、『そろそろレッスン終わりにしようか』って(笑)。僕が練習している間、先生は手料理を作ってくれていたようで、その後は、料理を食べながら先輩方のコンサート映像や洋楽のアーティストのコンサート映像を観ながら音楽の話をして。そんなレッスンがしばらく続きました

「なぜ、先生は自分の歌をレッスン室で聴いてくれないのか」。
聞きたくても聞けないその答えを中澤が教えられたのは、1年後のこと。そして、その時、田尾氏から言われた言葉は、“うたびと”中澤卓也の道標となった。
先生は『歌は聴こうと思って聴くものじゃない。歩きながらとか、料理をしながらとか、何かしながら聴くものだろう』と。そして、『ただ、本当にいい歌は聴く人の手を止める。だから俺はお前が歌う部屋には行かないけれど、掃除機をかけたり、洗濯物を干したり、お前と食べる飯を作ったりしながら聴いているから、お前は俺の手を止める歌を歌えるようになれ』と。
なるほど!って、すごい腑に落ちて、その言葉で、一気に視界が開けました

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