【パク・ジュニョンの魅力】元K-POP歌手が演歌歌手となった10年間の軌跡

2022.7.12

2012年に『愛・ケセラセラ』で日本デビューし、今年で10年を迎えたパク・ジュニョン。もともとは韓国でダンスグループから歌手活動を始め、日本語が全く話せない状態から猛勉強して演歌歌手になったという異色の経歴を持っています。

日本語を独学で会得するほどのストイックな一面と、ファンや共演者から愛されるチャーミングな一面を持っているパク。そこで今回は、パクの演歌歌手デビューから現在に至るまでを、彼の魅力とあわせて深掘りしていきます。

演歌歌手デビューするまで

まずは、パクが日本で演歌歌手デビューするまでをご紹介します。

歌手を目指した学生時代

幼少期のパク

パクは1982年3月12日に韓国・釜山で誕生しました。韓国では小さい時から「男は、生まれた時と、親が亡くなった時、国を無くした時の3回だけ泣いて良い」と教わるそうで、パクの家庭でも同じように教育されていました。現在でもその教えがしみ込んでおり、心の中では泣いているが涙が出ないことに悩んでいるそうです。

中学生時代に、韓国で最も人気のある芸能人のひとりである歌手、キム・ゴンモにあこがれ、歌手を目指すようになりました。

ダンスグループの一員としてデビュー

大学は釜山のリゾートエリア・海雲台(ヘウンデ)にある海洋大学に通っていたパクですが、ほどなく中退。その後、ソロ・バラード歌手募集のオーディションに合格しましたが、ソロ歌手ではなくオーディションに合格した5人でダンスグループ「エイジェックス」を結成することになりました。

「エイジェックス」はヒット曲に恵まれず、残念ながら解散。2005年には男性4人で「ザ・ストーリー」を結成し再デビューするも、これも解散。2008年にはインディーズで男性4人グループ「ザ・ストーリー2」を結成し、ショッピングセンターなどでキャンペーンを行うなど地道な活動を行いました。

ファンのつながりから演歌歌手の道へ

デビュー当時のパク

韓国でソロ活動をしていたパクは、日本のファンとの縁で2011年に来日。日本での所属事務所も決まり、事務所で働きながら独学で日本語の勉強をする日々を送りました。
この時に苦労したのが、「演歌・歌謡曲特有の心情をどのように表現するか」でした。パクはうたびとのインタビューで「韓国には男性の歌手が女性の気持ちを歌った歌が少なく、演歌・歌謡曲特有の心情を表現するのに苦労した」と語っており、試行錯誤していたことがうかがえます。

そのような試行錯誤を経て、パクは2012年3月に所属事務所の第1号アーティストとして『愛・ケセラセラ/あやまち』で演歌歌手デビューしました。『愛・ケセラセラ』は『そして、神戸』(内山田洋とクール・ファイブ)や『石狩挽歌』(北原ミレイ)などを手掛けた浜圭介が作詞・作曲を担当しました。

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演歌歌手デビュー後の活躍

韓国でのアーティスト活動を経て、日本で演歌歌手としてデビューしたパク。ここからは演歌歌手としてデビューした後の活躍について見ていきましょう。

続々とヒット曲をリリース

2013年3月には『チャラ/あなたしか欲しくない』(オリコン最高順位:42位(2013年3月25日付週間チャート))をリリース。現在では、コンサートでも盛り上がるパクの代表曲となっています。2013年9月には『嘆きの雨/たがが恋、されど愛』(オリコン最高順位:26位(2013年10月7日付週間チャート))をリリース。着実に売り上げを伸ばしていきました。

2015年には『河口湖/順子の夜』、2016年には『羽田発/さよならは言わせない』、2018年には『ブリキの玩具/逃がさない…渡せない…』をリリース。どれも韓国では珍しい「男性が女性の気持ちを歌った歌」でしたが、パクは女性の心情を見事に表現しています。

2019年には『永遠にサランヘヨ/海鳴り』をリリース。故郷・韓国に住む両親を想う家族への愛情を表現した楽曲で、オリコン週間チャート(2019年6月10日付)では14位を記録するヒット曲となりました。

『銀閣寺』でオリコンチャート最高11位を記録

2022年3月には12枚目のシングル『銀閣寺/哀愁夜霧』をリリース。本楽曲は未練を断ち切れない男性の心情をロックンロールな曲調と甘い歌声で表現した楽曲で、キャリア最高順位であるオリコン週間チャート11位(2022年3月21日付)を記録。デビュー曲『愛・ケセラセラ』での日本デビューから満10年を迎え、新境地を開く楽曲となりました。

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パク・ジュニョンの魅力

日本に渡り、演歌歌手として第一線で活躍するパク。ここからは、彼の魅力についてご紹介します。

独学で会得した日本語と表現力

日本に来た当初は日本語が全く話せなかったというパク。歌詞の意味を理解するのに苦労しましたが、街へ出て人と話すなど独学で日本語を会得しました。失恋を題材にした哀愁漂う世界観を表現する能力は、この時期の努力によって培われたものかもしれません。

現在は日本語の表面だけでなく、歌詞に込められた意味も次第に分かるようになってきたそうで、「演歌・歌謡曲は詞の意味が深いので、考えれば考えるほど“本当はこういう意味だったんだ”と理解できることも多くて、その答えにたどり着くまで勉強するのがすごく楽しいです」とうたびとのインタビューで語っています。

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ファンを楽しませるサービス精神

スタイルを維持するために体を鍛えていたり、日本の古い歌謡曲を勉強したりするなど、ストイックな一面もパクの魅力です。一方で、ファンを楽しませるサービス精神も旺盛。中澤卓也と一緒に出演した「パクタクおたすけ隊」では積極的にボケて視聴者だけでなくスタッフを和ませるなど、かわいらしい一面も持っています。

また、ダンスも得意で、コンサートでもたびたび披露して観客を沸かせています。

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日本と韓国をつなぐ演歌歌手

パクはうたびとのインタビューで「人との出会いの大切さを、毎日実感しています。日本中を回らせていただいて、たくさんの皆さんに出会えたことは僕の宝物で、これからの力にもなっています」と語っており、日本のファンの優しさに触れた経験をとても大切にしていることがうかがえます。

そんなパクの夢は、「日本と韓国がさらに仲よくなれるような架け橋になる」こと。ファンを大切にする優しい人柄とサービス精神、日本語を独学で学んだストイックさをいかし、これからも演歌・歌謡曲界で活躍していくことでしょう。

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