美空ひばりの総合プロデューサー境弘邦氏が語る”ひばりさんとの思い出”
美空ひばりさんの命日である6月24日に『没後30年 美空ひばり特集』と題して関連番組がCSエンターテインメントチャンネル「チャンネル銀河 歴史ドラマ・サスペンス・日本のうた」にて放送されることを記念して『あの日あの頃~昼行灯の恥っ書き~』の著者であり、かつて美空ひばりの総合プロデューサーを担当されていた境弘邦氏に美空ひばりさんとの思い出について伺った。
“今日の我に明日は勝つ”
美空ひばりの座右の銘である。
とにかく自分に厳しい人だった。自己研鑽を貫いて生きた人だった。
「歌は誰にも負けないよう私は頑張るから、スタッフも誰にも負けないよい仕事をしてほしい」
事ある毎に言われて来た。それだけに人知れず努力する人だった。
例えば、新曲の収録時など、挨拶に伺うと、恍けて「今日はどの曲をやるの……」と言って我々をヒヤヒヤさせたが、顔は笑っている。そんな日はスタジオ入りして最初のテストから録音する。
このテストテイクが実に見事なものでこれを本番にして商品化した事もあった。
天才と言われるひばりさんではあるが練習を重ね完璧に仕上げ、新曲の収録に臨む姿勢にはいつも頭が下がった。
お付の人の話では、新曲の録音前夜は深夜まで作家のデモ歌を聴き勉強したと伺った。
私は昭和五十二年春、上司に連れられ青葉台のひばりさんの自宅を始めて訪れた。
子供の時、田舎の映画館で観ていた美空ひばりが私の目の前にいた。私と同じ昭和十二年の生まれと聞いたが天と地の差がありピンと来なかった。
「これから担当させます境と言います。馬力があって小廻りがききます。どうか使ってみて下さい」
と上司は私のことを、まるで新車の売込みのような紹介をした。
「うちの会社(コロムビアのこと)に来る前に何か音楽をやっていたの?」
とひばりさんに問われ慌てた。若い頃、生活に困ってコロムビアでアルバイトした縁で今ここに居るが音楽は苦手で好きでなかった。この場は正直にありのまま答えようと覚悟を決め、
「会社に入って営業の前線で働いていました。音楽に関しては何も出来ません。譜面も読めないし、楽器も手にしたことがありません、すみません」
「謝ることないよ、私も同じよ、だから私は歌うことだけ誰れにも負けたくない」
駄目が出ると思っていたのでホッとした、勇気を貰った気になった。別れ際に「これから頑張っていい仕事をしよう」握手をされ頭の内が真白になった。
会社に帰えるタクシーの中で上司に「余計な事は言うな、余計なことはするな、只、ひばりさんに言われた事をそのまま会社に持ち帰えり、報告すればいい、分かったか。それから、ひばりさんに話しかけるときは“お嬢さん”と呼びかけること、話すときは常に正座、タバコは臭いもだめ」と約束させられた。
そして、会社の事情もあるので一年間、どんなことがあっても一年間だけは我慢して頑張ってくれと念をおされた。
よし!一年間ひばり宅のご用開きに徹するだけなら、私にも出来る。そんな不純な気持ちで始めた制作の仕事が……ひばりさんの魅力に引き寄せられ気付けば十三年の長期になっていた。無我夢中で走った十三年間だった。よく叱かられたがいつも私に非があった。
数多くをひばりさんから学んだ。毎日が勉強だった。
「プロ歌手は耳(聴く力)が大事だからいつも耳に肥を絶やさないようにしているのよ」
ポツンと呟いた一言は今も私の仕事に活かされている。
クラシック、ジャズ、ロック、純邦楽などすべて耳の肥にしてしまう。
ジャズなど英語の発音がすばらしいと評価されているが、特別な勉強をしている訳でもなく、ひばりさんは耳で歌っていると私は思っている。
逃げ腰の一年ではあったが、仕事を通じて見る超人的なプロ魂に触発され、もうご用開き根性は捨て、この人から盗めるものは全て盗みたいと思って一念発起した。
ひばりさんでヒット曲を作りたいと、一生懸命考えた。ちょうど時代は歌を聴く楽しみから、歌を歌う楽しみに移りつつあった。カラオケ時代の幕開けだった。
私はディレクター全員参加の競作でひばりさんにカラオケで歌える歌作りを企画した。ディレクター全員の協力で『おまえに惚れた』が出来た。
ひばりさんにとっては初めて出合うタイプの作品だった。
予想はしていたがひばりさんは作家のデモ音源を聴くなり
「ディレクター全員で作ってくれたと云ったけど私の歌じゃないね。これ以外に無いの……悪いけどこの曲誰れか他の人に廻して、私は出来ないね……」
私は諦めずにカラオケ時代の到来を繰り返し説明したがひばりさんの心は動かなかった。
日を改めて再度交渉したが、やはり拒否された。
今回は初めてディレクター全員参加で生まれた作品だけに私は簡単に引き下がれず粘った。
「お嬢さん!自分の子供(作品)に、これからの時代の衣装(カラオケ)を着せてみませんか!!」
「うまい事云うね……でもこの曲は駄目よ」
私は粘った
「とにかくスタジオで録音だけでもして頂けませんか!みんなひばりさんのレコーディングが体験出来ると、㐂びます」
「あなたも強情ね……本当に録音だけよ……発売はダメよ!」
「ハイ!わかりました。ありがとうございます」
この時の録音は、録音だけで発売しないと云う気軽さもあって明るく楽しい作品に録れた。
録ったばかりの楽曲を関係者とひばりさんでスタジオで聴いた。
中には歌いだす人も居てノリは良かった。
「お嬢さん!みんなノッていますが如何しましょうか……やっぱりボツですか?」
「好きにしてよ」
『おまえに惚れた』の発売は決った。ヒットした。コロムビア演歌の久しぶりのヒットになり、他のタレントにも変化が表れた。
レコードは売れる!!社内の意識が変わった。
島倉千代子の『鳳仙花』、都はるみ『大阪しぐれ』、細川たかし『北酒場』、大川栄策『さざんかの宿』、石川さゆり『天城越え』などで演歌黄金時代を築くことが出来た。
ひばりさんも㐂んでくれた。
その後、『愛燦燦』、『みだれ髪』、『川の流れのように』と大ヒットに飾られ、五十二歳の若さで旅立った。
今でも不思議でならない、専門知識もない私がなぜ……。
誰にも負けない歌を……誰にも負けない仕事を……一心不乱に生きた結果だったのかもしれない。
著者略歴
境弘邦
1937年3月21日生まれ、熊本出身。
1959年日本コロムビア入社、北九州・横浜・東京の各営業所長を経て、制作本部第一企画グループプロデューサー、第一制作部長、宣伝部長を歴任。
1978~89年までは美空ひばりの総合プロデューサーとして活躍する一方、数多くのミリオンヒットを飛ばし、演歌・歌謡曲の黄金時代を築く。
1992年日本コロムビア退社、ボス、サイド・ビーを設立。
門倉有希、一葉の育成に当たると同時に、プロデューサーとして長山洋子の制作全般を担当。
2008年ミュージックグリッド代表取締役社長、2015年代表取締役相談役。
放送情報
放送チャンネル:CS放送「チャンネル銀河 歴史ドラマ・サスペンス・日本のうた」
放送日:2019年6月24日
ラインナップ:「ビッグショー 美空ひばり わが命燃えつきるとも」「ビッグショー 美空ひばり わが歌は永遠に語らん」「ビッグショー 美空ひばり わが歌のさだめに生きて」「ひるのプレゼント 絶唱 美空ひばり」「美空ひばり没後30年 市川由紀乃 三山ひろしが歌うひばり名曲選」
詳しい放送情報はこちら
作品情報
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「川の流れのように」(復刻版)
2019年5月29日発売。美空ひばり最後のシングル「川の流れのように」が当時発売されたカセットテープ、8cmCD、7inchアナログに12cmCDを加えた4形態でリリース。さらに、その復刻4アイテムにスペシャル盤とブックレットを追加したコレクション用の「スペシャルBOX」(生産限定)を同時に発売。