人生の挫折が転機に!中澤卓也の異色の経歴と、師・田尾将実の教え
爽やかなビジュアルとミラクルボイスでファンを魅了する中澤卓也。2017年のデビュー以来、演歌・歌謡界の若手ホープとして注目されていますが、歌手になる前はまったく別の職業を目指していたという異色の経歴の持ち主でもあります。歌手・中澤卓也はどのように誕生したのか、シングル全作を手掛ける師匠・田尾将実との師弟関係についてもご紹介します。
歌手・中澤卓也の道のり
中澤が歌手の道を歩むようになったのには、ある転機がありました。中澤がプロデビューするまでの経歴をご紹介します。
夢はプロのレーシングドライバー
新潟県長岡市出身の中澤は小学3年生のころからレーシングカートを始め、将来の夢はプロのレーシングドライバーになることでした。全国初のモータースポーツ科を設置した私立開志学園高等学校に進学し、入門用フォーミュラカーレースやスーパーFJ参戦メンバーに選抜されるなど実力を発揮。夢の実現にむけ着実に進んでいた中澤ですが、ある壁がたちはだかります。それは、レースを続けるために不可欠な資金繰りの問題でした。スポンサーを見つけることができなかった中澤は、レーシングドライバーの夢を断念することになります。
「心にぽっかり穴が開いてしまった」と語るほどの挫折を味わった中澤ですが、そんな彼を救ってくれたのが、「焦らずに、今は落ち着いて、自分のやりたいことを探してみればいい」という学校の先生の言葉でした。幼少期からJ-POPに慣れ親しみ、ギターの弾き語りもしていた中澤は、この言葉をきっかけに少しずつ音楽を仕事にすることに興味を持ち始めました。
「NHKのど自慢」がきっかけでスカウト
高校卒業を控えたある日、中澤は大きな転機を迎えます。それは、祖母の「のど自慢があるよ」という一言がきっかけでした。もともとギターの弾き語りが好きだった中澤は、2013年3月31日に地元・新潟県長岡市で開催された「NHKのど自慢」に出場することを決意。森山直太朗の『さくら(独唱)』を歌い、見事、その週のチャンピオンに輝きます。そして、これを視聴していた日本クラウンのスタッフが中澤をスカウトしたのです。
ですが、J-POPに慣れ親しんでいた中澤は、「演歌・歌謡曲を歌いませんか?」という日本クラウンのスタッフの言葉にすぐに返事ができなかったといいます。演歌の知識もない自分に歌えるだろうか?そう悩んだ中澤の背中を押したのは、「こんなチャンスをいただいたんだから、できるできないは関係なく、やれるだけやってみたら」という母の言葉でした。こうして中澤は、歌手への一歩を踏み出します。
レッスンを重ね、念願のデビュー
その後、作曲家・田尾将実に弟子入りした中澤は、2年間は新潟から毎週末レッスンに通い、上京後は田尾のもとでさらにレッスンを重ねます。そして2015年、日本クラウン 演歌・歌謡曲 新人歌手オーディションで準グランプリを獲得。2017年1月18日には、『青いダイヤモンド』でついに念願のデビューを果たします。この曲は師匠である田尾が手掛けたもので、デビュー後もレッスンや師弟関係は続きました。
師匠・田尾将実とは?
中澤がデビューするまでにレッスンを受けた師匠・田尾将実はどのような経歴をもつ人物なのでしょうか?
歌手デビューから作曲家へ
田尾は山口県下関市出身の作曲家で、日本作曲家協会理事・事務局長も務める人物です。高校時代、ギターを独学で始めてバンドを結成し、大学時代にヤマハライトミュージックコンテスト・フォーク部門で関西大会グランプリを獲得。その後はコーラスバンド「ブルージャッカス」でリードヴォーカルを務め、平尾昌晃、ジャンボ尾崎のバックバンドも務めるなど活躍し、1976年『愛は一度だけ』で歌手デビューします。
その後、アメリカ・サンフランシスコに音楽留学し、帰国後に作曲家としてデビュー。石川さゆり『キリキリしゃん』や五木ひろし『京都恋歌』で日本作曲家協会主催ソングコンテストのグランプリを受賞し、ポップスから歌謡曲まで幅広いジャンルで活躍しています。また、NHK BS2の番組『BSカラオケ塾』では2年間レギュラー講師を務めました。
初めてイチから育てた「中澤卓也」
田尾にとって中澤は、初めてイチからすべて教えたというまさに弟子のような存在。田尾はアメリカの音楽大学で学んだことをすべて中澤に注ぎ込んだといいます。田尾のレッスンは型破りでしたが、中澤は最後までついていきました。これについて田尾は、中澤の精神力はすごいと評価しています。現在でも師弟関係にある二人ですが、田尾は中澤を逸材と考え期待をかけているそうです。
師弟関係で魅力が開花
歌手・中澤が開花した裏には、田尾のユニークなレッスンがありました。修業時代の二人についてのエピソードをご紹介します。
田尾の独特の指導法とは?
スカウト後から田尾のレッスンを受けていた中澤ですが、当初はその指導法に驚いたといいます。ピアノを弾きながらのマンツーマンレッスンかと思いきや、録音済みの発声練習用CDに合わせて発声すること3時間。田尾はその部屋にはおらず、料理を作るなどしていたそうです。田尾の音楽の指導法は独特で、中澤は歌い方の指導や注意を受けることなく、1年間発声のみを繰り返しました。そして1年後、ようやくこの指導法の意味を理解します。田尾から告げられたのは、「歌は聴こうと思って聴くものじゃない。ただ、本当にいい歌は聴く人の手を止める。お前は俺の手を止める歌を歌えるようになれ」と言う言葉。これを聞いた中澤は、一気に視界が開けたといいます。
「いい歌はジャンルなんて関係ない」という教え
その後は課題曲を与えられてのレッスンも始まりましたが、やはり細かいアドバイスはなく、自由に歌うという指導法は変わりませんでした。それは音楽に対する考え方についても同様で、中澤は田尾から「いい歌はジャンルなんて関係ない」という教えを受け、音楽への物の見方が180度変わったそうです。この言葉はプライベートにも影響を及ぼし、中澤は表現者として「質の良いもの」や「人の心を動かすもの」への追求を意識するようになりました。
中澤卓也が目指すもの
20代前半にして演歌・歌謡歌手としての道を歩き出した中澤。現在の彼が目指すのはどのような未来なのでしょうか?
二刀流ながら常に全力投球!
歌手としてまい進する中澤ですが、YouTube公式チャンネルをきっかけに現在ではレースも再開しています。レース復活については両親も喜んでおり、所属事務所も応援してくれているとのこと。もちろん、レース活動を再開したからといって歌がおろそかになるわけではありません。中澤は歌手とレーサーとの二刀流を貫き、どちらにも全力投球しています。
音楽ジャンルの架け橋に
そんな中澤が目指すのは、音楽ジャンルの架け橋となるような歌い手になること。「良い歌はジャンルレスで心に響く、聴き手の心をしっかり掴んでいく歌い手になれ」という師匠・田尾の言葉を胸に刻み、ジャンルを超えて聴き手の心に響く歌手を目指しています。今までのさまざまな経験を糧に、一人の歌い手として多様な歌を表現していきたいという中澤は、いい意味で「型破り」な存在になっていくのかもしれません。
歌謡界の未来を担う若手ホープ
挫折を経て歌手への道を掴んだ中澤。自身の人生は恵まれていると言う中澤ですが、これまでの道のりは決して平坦ではありませんでした。周囲への感謝の気持ちを歌で返していきたいという彼は、演歌・歌謡界の次世代を担うホープとして期待されています。目指すは、ジャンルレスの唯一無二の歌い手。今後は一つの音楽ジャンルに留まらず、幅広い歌を聴かせてくれることでしょう。
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