【第24回】コロムビア試用員時代②「境弘邦 あの日あの頃~昼行灯の恥っ書き~」

2019.4.15

返品に激怒 営業会議に乱入

試用員の給料は月一万二千円で、それが月に二回に分けて支給された。前半の給料は毎日利用していた近くのメシ屋のツケの支払いに、後半の給料は当時近鉄沿線の小阪に借りていた部屋の家賃にあてると何も残らなかった。

パチンコもマージャンも競馬も一発逆転は自分には起こりえないことを悟り賭け事は止め、会社の残業を志願して生活を支えた。

大阪支店倉庫での仕事は販売店からの注文書に記載されている商品を棚から一枚一枚ピックアップし検品掛に届ける作業で、ピッカーと呼ばれていた。

昭和三十四、五年頃はまだSP盤が残っていて注文もあった。SP盤は重いし割れる。作業中に落して割ると給料から代金を引かれていた。

棚の箱の蓋に品番が表示されていたが注文の度にその蓋を開ける為指がささくれて痛いし、一日の終わり頃になると血が滲んでくる。それでも薄い手袋など無い時代、素手でやるしかなかった。

美空ひばりの『花笠道中』や島倉千代子の『哀愁のからまつ林』などは注文も多く、探すことなく棚の箱に手が伸びた。

レコードの配達は飛脚便を利用していた。時計、カメラ、宝石などと同じ扱いだった。私の後半の人生で大変お世話になった京都の飛脚便の佐川清さんも毎日、荷を受け取りに来ていた。

アナログレコードのサイズはドーナツ盤が十七センチ、LP盤が三十センチだった。確か昭和三十五年の春頃と記憶しているがコロムビアの強力新企画として二十五センチのLP盤が低価格のお徳用盤として発売された。

ダイヤモンドシリーズと言っていたが現在のベストアルバムにあたる。新発売を記念して邦楽洋楽合わせて二十タイトルほどが通常の新譜にプラスされ入荷してきた。

当時大阪支店の営業エリアは中国、四国、近畿一円に及び、販売店の数も多く、全店に新譜としてこの企画物を出荷するのは商品課として大変な仕事になった。

一番困ったのは従来の十七センチと三十センチの梱包材料はあるが二十五センチのものは準備されておらず段ボール箱も茶ボール箱も無い。苦労の多い出荷作業になった。

当時セールスマンの間でよく「大飯喰らいの大糞たれ」ということが言われていたが、それは大量に出荷して売れ残ったら引き取ればいいという意味だった。実に荒っぽい悪しき習慣が許されていたのは店頭でのシェア争いに勝つ為だった。

このシリーズも例外ではなく、苦労して出荷した物が早ければ三、四日後には返品されてくる。

私は昼は出荷、夜は返品の仕事をしていたので、他の人と比べると返品についてはより矛盾を感じ、腹がたっていた。無駄だと思ったし、誰に対してかは分らないが無性に申し訳ないと詫びる気持ちがあった。

店頭常備在庫の為の新企画と言えども返品は始まった。

返す側の販売店も梱包に困っていることが荷姿から分かった。そんな返品の中に裸のレコードを荒縄で縛って返してきたものがあった。奈良県の販売店からでジャケットに荒縄が食い込み全て不良品になっていた。

それを見た瞬間、私は茫然とした。商品課の人達であれだけ苦労して、しかも二日徹夜して出荷したものが店頭に並ぶこともなく、ましてお客様の手に触れることもなく、不良品になり帰ってきた。

私はその商品を見ているうちに激しい怒りがこみ上げて来た。許せない。絶対許せない。私はついにキレた。

「コラ!剥き出しに荒縄はないやろ!新聞紙一枚、段ボール紙の一枚でも当ててやらんかい!ボケッ!」

ひとり大声で叫んで私はその荷物を背中に担いで二階の営業の部屋に駆け上がった。

運よくその日は支店長も出席した営業会議が開催されていたので私は係の制止も振り切って会議室に飛び込んだ。

「奈良担当はどいつや!」

私は怒鳴って担いできた不良返品を机の上に投げ出した。ドロドロのアロハシャツに短パン姿でスリッパを履いた見知らぬ男の乱入に会議室は騒然となった。

「君は誰だ!出て行け!」

罵声が乱れ飛び私を三人のセールスマンが押さえつけた。

見れば二十名近いセールスマンは全員揃いのブレザーに揃いのネクタイを締めて格好いい。自分とは雲泥の差があった。しかもネクタイには私の憧れのコロムビアのロゴマークが入っている。それを見た瞬間、気後れはあったが言うべきことだけは言おうと腹を決めた。

「一言だけ言わせてくれ。そしたら出て行く」

私は押さえつけられたまま言った。

「この新企画に携わってきた多くの人の汗の結晶をセールスマンは考えたことがあるのか。皆の苦労を考えてセールスしているのか。この不良品だけは許せない!」

「生意気言うな!」

私は三人のセールスマンに外に連れ出された。

私は後悔した。試用員の身で取るべき行動ではなかった。折角賭け事を止め、京阪電車への就職を断ってコロムビアで生きようと思ったのに…。覆水盆に返らず。目の前が真っ暗になった。

---つづく

著者略歴

境弘邦

1937年3月21日生まれ、熊本出身。
1959年日本コロムビア入社、北九州・横浜・東京の各営業所長を経て、制作本部第一企画グループプロデューサー、第一制作部長、宣伝部長を歴任。
1978~89年までは美空ひばりの総合プロデューサーとして活躍する一方、数多くのミリオンヒットを飛ばし、演歌・歌謡曲の黄金時代を築く。
1992年日本コロムビア退社、ボス、サイド・ビーを設立。
門倉有希、一葉の育成に当たると同時に、プロデューサーとして長山洋子の制作全般を担当。
2008年ミュージックグリッド代表取締役社長、2015年代表取締役相談役。

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