【第25回】コロムビア試用員時代③「境弘邦 あの日あの頃~昼行灯の恥っ書き~」

2019.4.16

初めての東京出張

大阪支店営業会議に乱入した時、初めて見た営業マンの格好良さは私に強烈な印象を与えた。

“憧れのコロムビアのロゴマークの入ったネクタイを締め、お揃いのブレザーを着てみたい”

“いつかセールスマンになりたい”

自分の職場である返品倉庫に帰って、ささくれて汚れた自分の手を見て、私は強くそう思ったが、試用員の立場で返品に腹をたてて暴れた今日の行動は会社からは決して良いとは思われず、即クビになると覚悟した。

請われてコロムビアに留まった経緯はあるが、事ある毎に、仕事が嫌ならいつでも辞めてくれ。代わりはすぐ来ると言われていたのでクビになってもおかしくない。

明日からどうしよう…大失敗をした。暗い気持ちになっていたその日の夕方、小太りで首が極端に短かく口に泡を溜めた見知らぬ男性が私の居る返品倉庫に入って来た。

その人は高く積まれた返品の山を見て驚いていたが、私の方に近付いて来て

「君の名前は?」

「君の年齢は?」

「君の学歴は?」

などとまるで面接しているような質問をしてきた。そして帰り際、私に

「君の言っていたことは正しい。よく指導をするから許せ」

そう言って倉庫から出て行った。

誰あろう。この人こそが地獄の返品倉庫から私を拾ってくれた大恩人、鎌田隆則営業部長だった。

部長は私が乱入した大阪支店の営業会議に出席し、私のとった行動の一部始終を見ていた。

数日後、私は突然支店長に呼ばれた。私の身分で支店長に呼ばれることなど考えられない。クビの通達なら課長が直接言うはずだと思ったが、取り急ぎ支店長室に行った。

例の一張羅のどろどろの作業服が完全に場違いに思える綺麗な部屋だった。

「君、東京の本社に行って来い。出張の手続きと具体的なことは次長に指示しておいた」

クビを覚悟していた私にはどうなっているのか咄嗟に理解出来なかったが、言われた通り次長のところへ行った。次長も戸惑って

「なぜ君が本社へ…」

と不思議そうな顔をしていた。

東京までの夜行寝台「銀河」のキップ、本社への地図、宿泊先の旧第一ホテルのパンフレット等に加え、出張手当の仮払金の入った封筒を渡され

「朝九時に営業部長の鎌田さんを訪ねるように…」

と指示された。一体何が起きたのか?

支店で用意してくれるものは全て整っていたが、困ったことに私には背広も革の靴も無い。持っているのは、ヨレヨレのジャンパーと運動靴、それと雨靴だけだった。新しく買うにも金が無い。

倉庫仲間の稲葉さんに相談したら快くブレザーを貸してくれた。靴はサイズが合わなかったので仕方なくゴムの雨靴で行くことにした。ズボンの裾で雨靴を上から隠すとそれらしく見えた。

夜行寝台「銀河」は早朝六時に新橋駅に着いた。

夜明け前の薄暗い駅のホームに初めて一人きりで降り立った。ものすごい不安が襲って来た。

人もまばらなビル街を地図を頼りに本社のある第二大蔵ビルを探して歩いた。まだ誰も出社していないビルに辿り着き、玄関の階段に座って私は九時になるのを待った。二十三歳で初めて味わう東京出張の寒い朝だった。

第二大蔵ビルの名称は当時の大蔵省に関係があるのか、明治、大正時代を思わせる古い建物で、どことなく風格があった。

午前九時近くになると静かだったオフィス街に人が溢れて来た。

受付で鎌田部長を訪ねて来た旨を告げると、すぐ左側の大きな扉の部屋に案内された。ここがコロムビアの販売の中枢、営業部か!

入口近くのひときわ大きな机に、私を呼んでくれた鎌田部長は座っていた。大阪支店の返品倉庫で会った時の印象とは違い、とても偉大な人に思えた。

「おはようございます。大阪支店から来ました境です」

「おう!よく来た」

「先日は部長とは知らずに、大変失礼しました」

「いいんだ。いいんだ。君が言っていた一枚の商品が出来るまでどれだけの人が携わっているのか納得のいくまで見て勉強しろ」

と言って研修期間中に私が使う机を指さした。部長席の隣に小さな机が用意されていた。

早速朝礼で私のことを

大阪出張で出会った暴れん坊だ!と紹介した。恥かしかった。これほど大勢の人の前で挨拶をしたことがなかったので、身体の震えが止まらず大汗をかいて自己紹介したことを覚えている。

そして鎌田部長は研修期間中、私を指導してくれる超ベテラン社員の大内氏と菅谷氏を紹介してくれた。

研修初日、私は大内さんに案内されていきなり制作部(当時は文芸部と言った)に出向いた。見るもの聞くものすべて初めてで別世界に思えた。

先ず新人タレントのレッスン室に行った。そこで生涯家族ぐるみでお付き合いして頂くことになる市川昭介先生と出会った。この市川先生に私は制作部に行ってからどれだけ救われたか…。当時のことを思うと今このコラムを書いている原稿用紙に涙が落ちる。

---つづく

著者略歴

境弘邦

1937年3月21日生まれ、熊本出身。
1959年日本コロムビア入社、北九州・横浜・東京の各営業所長を経て、制作本部第一企画グループプロデューサー、第一制作部長、宣伝部長を歴任。
1978~89年までは美空ひばりの総合プロデューサーとして活躍する一方、数多くのミリオンヒットを飛ばし、演歌・歌謡曲の黄金時代を築く。
1992年日本コロムビア退社、ボス、サイド・ビーを設立。
門倉有希、一葉の育成に当たると同時に、プロデューサーとして長山洋子の制作全般を担当。
2008年ミュージックグリッド代表取締役社長、2015年代表取締役相談役。

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