「プロにはプロの見えない糸」  流浪のサラリーマン時代 本社編⑥【第52回】

2019.5.23

プロにはプロの見えない糸

昨夜、苦労して自分で歌った自慢のデモテープをいよいよひばりさんに聴いてもらう瞬間が来た。多少気持ちの高揚はあったが、自信もあった。

ひばりさんは麻雀の手を休め、一コーラス聴くと私の方を向いて言った。

これ歌ってるの誰?

一瞬、頭に衝撃が走った。

誰なの?

再び問われた。私は自分の歌がどのように評価されているのか解らなかったが、自分が歌っているとは言えなかった。悪いとは思ったが咄嗟に

船村先生の弟子だと思いますが

と嘘を言った。

弟子?弟子にしては歌が下手ね…

ひばりさんはそう言って二度とデモテープを聴こうとはしなかった。

なぜ駄目なのか?そんなに下手なのか?あのピアノの鈴木先生が完璧と言って、太鼓判を押してくれたのに…。

そしてひばりさんは追い打ちをかけるように

このデモではどんな歌か理解出来ないから、弟子ではなく先生自身の歌が是非欲しい。それを大至急貰って来て頂戴!

と言ってまた麻雀を始めたが、思い出したのか

それと先生に弟子を採るなら、もう少し素質のある人を選んだらいかがですかとひばりが言っていたと伝えてね。ハイ!ご苦労さん

私は退散するしかなかった。重い気持ちを引きずって帰路についた。

沼津から東京までいやに長く感じた。一難去ってまた一難。私はまたあの難攻不落の船村城を攻めるのかと考えただけでドッと疲れが出て来た。

次の日から〝船村詣で〟は始まった。その日も早い時間から酒盛は開かれていたが、私には他人の事など考える余裕は全くない。

恥も外聞も無く酒盛の輪の中でひばりさんからの伝言をそのまま先生に伝え深々と頭を下げた。ただし、歌の下手な弟子の話だけは出来なかった。

この日も先生は相当酔っていたが私の話を聞き終わると立ち上がって千鳥足でホテルの自分の部屋に引き上げた。

マネージャーが私の耳元で暫く待つようそっと告げた。

既に顔馴染みになったテレビの人達と三十分程雑談していると先生がラウンジに戻って来た。

これ、ひばりちゃんに渡して!

私は一本のカセットテープを受け取った。

難攻不落と覚悟を決めていた船村城はその夜、ついに落ちた。喜びがこみ上げて来て涙が出るほど嬉しかった。私は何度も御礼を言って、早々にその場を辞した。

先生から頂いたデモテープを早く聴きたくて、急ぎ六本木のねぐらに帰ると、服も着替えずすぐにテープを再生した。

びっくりした。驚いた。ラジカセからひどい歌が飛び出して来た。先生の歌は酔っ払って呂律が廻っていない。何を言っているのか言葉が聞きとりにくい。完全に泥酔状態で、音を伝わってお酒の匂いがする錯覚さえ覚えた。私には何度聴いても単に酔っ払いの歌にしか聴こえない。

ひどい…。あれだけ待たされてこれか…。悪いのは船村先生で私ではない。ひばりさん、恨むのなら先生を恨んでほしい。頭の中で自分自身を懸命に正当化しても意味がなかった。もう残された時間はない。他に打つ手もない。この酔っ払いのテープをひばりさんに届けるしかない。万事終わった。私は腹を決めたら、その夜はぐっすり眠れた。

翌朝、私はひばりさんの公演地静岡に新幹線で向かった。車中何も考えないように意識し、朝刊に目を落としたが、頭の中にあの酔っ払いテープを聴いたひばりさんの激怒する顔が浮かんで落ち着かない。

あっと言う間に静岡に着いた。胸の鼓動が早くなっていた。ひばりさんの逆鱗に触れることは間違いない。

楽屋に案内された私は正面からひばりさんを見ることが出来なかった。

私は準備されていたラジカセに問題のテープをセットし再生ボタンを押した。

船村先生の酔っ払った声が流れて来た。私はひばりさんがいつキレるか考えただけで生きた心地がしなかった。

当のひばりさんは一コーラス終わってもまだ黙って聴いている。私の歌のときと違って最後まで聴いた。

ウン!解った。これでレコーディングは大丈夫よ。ありがとう

と言って、納得顔になった。

私はキツネにつままれたような気分だった。ひばりさんは何で納得したのか?何が解ったのか?把握出来ないまま帰り支度をしていたらひばりさんから

煙草もお酒も程々にと船村先生に伝えてね

と一言あって終わった。

帰りの車中、これで本当に良かったのか考え続けた。朧げに分かったのは素人には見えない糸がプロ同士にあるということだった。

又、作家の魂や心が作品に埋め込まれて初めて歌が息吹くことを知った。

あのパイポ事件から今日までの事を考えると私は背筋が寒くなった。恥かしかった。船村先生の意地悪も愛のムチに思えて来た。

この体験は私のその後の歌づくりの教科書になった。私はこの一作でディレクターを退め、プロデューサーに専念した。

船村先生、ありがとうございました。合掌。

この章終わり

著者略歴

境弘邦

1937年3月21日生まれ、熊本出身。
1959年日本コロムビア入社、北九州・横浜・東京の各営業所長を経て、制作本部第一企画グループプロデューサー、第一制作部長、宣伝部長を歴任。
1978~89年までは美空ひばりの総合プロデューサーとして活躍する一方、数多くのミリオンヒットを飛ばし、演歌・歌謡曲の黄金時代を築く。
1992年日本コロムビア退社、ボス、サイド・ビーを設立。
門倉有希、一葉の育成に当たると同時に、プロデューサーとして長山洋子の制作全般を担当。
2008年ミュージックグリッド代表取締役社長、2015年代表取締役相談役。

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