「第一回ディレクター競作」  流浪のサラリーマン時代 本社編⑩【第56回】

2019.5.29

第一回ディレクター競作

長い伝統と習慣に守られて来たタレントとディレクターの縦割制度に風穴を開けるための社内異動を実施した結果、五十人近いタレントの制作を二人のディレクターでやることになってしまった。

人事部に相談に行くと

「無計画な異動を強行するからこんな結果になる」

人事部長には叱られたが、ディレクター志望の新入社員を一人回してもらえた。あとは我々自身で人材を探すことになった。

最初に誘ったのが、当時J―POPグループにいた大木舜氏だった。

中村一好の薦めもあって私は彼に会い、困窮の現状を説明し、助けを求め勧誘した。彼は私の誘いに応じてくれた。これで新人も入れて四人になった。

私は先ず集まったばかりのこの四人のメンバーで第一回ディレクター競作を実行することにした。

当時、演歌制作グループにはアーティストプロモーションのいらないビッグアーティストが沢山いたが、十年近くヒット作品に恵まれず、低迷が続いていた。ディレクター競作はこの低迷からの脱出を狙った施策で、最も影響力のある美空ひばりから手掛けることにした。

四人のディレクターがそれぞれ二曲を提供することにした。

世の中は歌を聴いて楽しむ時代から歌って楽しむ時代に変り始めていた。

私達が毎夜のように彷徨っていた夜の新宿では8トラックのカラオケテープが出始めていて、お客がマイクを持って楽しそうに歌っている光景をよく目にするようになっていた。

これだ!競作による美空ひばりの新曲のテーマは〝カラオケ向けの作品〟に絞った。

競作はスタートした。ディレクター四人は意中の作家を獲得するため、早速行動を開始した。

次々と作品のデモが上がって来た。今までの〝名唱美空ひばり〟と言われた作品に比べ今回出来て来ている作品は全く対照的で歌いやすくひばりさんに薦めるにしては歯応えの無い作品に思えた。

その中に中村一好が手掛けた『おまえに惚れた』はあった。

私は早速青葉台のひばり邸にデモ音源を持参した。事前にディレクター全員参加の競作の話は伝えていたので、ひばりさんはとても楽しみにしていた。

ひばりさんは『おまえに惚れた』を聴くなり

「この曲、本当に私に作ってくれたの?」

「ハイ!そうです」

「これ私が歌う歌ではないね。折角だけど誰か他に回して…これ以外でいい曲なかったの?」

「ハイ!今回は近い将来必ず演歌の主流になるカラオケ愛好者のための曲に絞りました。」

「理屈はわかるけどやっぱりこの曲はダメよ」

私はここで引き下がったら制作に来て今日までの苦労が無駄になるし、協力してくれた四人のメンバーにも申し訳ない。私は粘った。又理屈を並べて説得した。

「お嬢さん(ひばりさんのこと)の歌う歌は全部美空ひばりが産んだ子供たちです。自分の可愛い子供が時代遅れの衣装を着て街を歩いていると恥ずかしいと思いませんか?カラオケはこれからの時代のファッションです。ご自分の手で流行の衣装を子供に着せませんか?これからの時代を歌ってみませんか?」

「うまいこと言うわね!」

ちょっとひばりさんの心が動いた。

「とにかくスタジオで歌をいただけませんか?」

「わかったわ!本当にスタジオだけよ」

私はそれでもいいと思った。今まで望んでも絶対出来なかった美空ひばりのレコーディングは競作に参加した彼らにとって一生一度の経験になる。是非やらしてやりたい。

レコーディングが始まったが、新入社員の荒川君がとんでもない行動に出た。

若い荒川君は美空ひばりの凄さも怖さもよく知らない。杉本真人先生と組んで作った『みれん酒』の収録で突然杉本先生と二人でスタジオの中のひばりさんに近付いて行って三人で議論を始めた。私は慌てて中の様子が聞けるようにミキサーに頼んだ。

何んと!新米の荒川君が天下の美空ひばりに歌唱指導をしている。

「ひばりさん、こぶしを上でこのように回してくれませんか?」

と言って自分で歌ってみせている。馬鹿野郎!ひばりさんに歌唱指導するなど、おまえには百年も二百年も早い!と思いながら私は三人の議論の中に入り、事を収めた。

その後ひばりさんから何回となく

「私に歌を教えてくれた若い人、元気で頑張っている?境さん叱ったらダメよ。伸び伸び育ててほしいな」

と若いディレクターに愛情を示した。

『おまえに惚れた』は難産の末生まれ、デビュー以来初めての美空ひばり新曲キャンペーンが功を奏し、五十万枚のヒットになり島倉千代子の『鳳仙花』都はるみの『大阪しぐれ』へと繋がった。

『おまえに惚れた』のヒットが教えてくれた意義は大きかった。

手法はどうあれ、ヒット曲を作り出すことが何よりのディレクター教育になることを知った。

そしてコツを掴んだ我々は売り上げを十倍に伸ばし、演歌グループは部に昇格した。

---つづく

著者略歴

境弘邦

1937年3月21日生まれ、熊本出身。
1959年日本コロムビア入社、北九州・横浜・東京の各営業所長を経て、制作本部第一企画グループプロデューサー、第一制作部長、宣伝部長を歴任。
1978~89年までは美空ひばりの総合プロデューサーとして活躍する一方、数多くのミリオンヒットを飛ばし、演歌・歌謡曲の黄金時代を築く。
1992年日本コロムビア退社、ボス、サイド・ビーを設立。
門倉有希、一葉の育成に当たると同時に、プロデューサーとして長山洋子の制作全般を担当。
2008年ミュージックグリッド代表取締役社長、2015年代表取締役相談役。

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