「ドキュメンタリー番組『そして歌は誕生した』」  親友 益弘泰男さん編②【第64回】

2019.6.10

ドキュメンタリー番組「そして歌は誕生した」

テレビ番組の企画制作は面白い。すっかり虜になった私は密かに次の企画を練っていた。かつての歌の制作体験を活かせるもの…歌そのものより作家を中心に制作現場の苦労の部分にスポットを当てるのはどうか…。

そんなことを考え、大ヒット曲の制作秘話を企画書にまとめ、民放各社に提案したが地味すぎてスポンサーがつかないと云う理由で全社断られた。

NHKの益さんに見てもらえばいいのだが、調子に乗るな!と一喝されるのが怖かった。

でも捨てるには勿体無い。企画書作りに慣れている宮下氏に手を加えてもらったものを恐る恐る益さんに見てもらった。

「そうだな。この手のものはNHKにしか出来ないかもな…」

と言い二、三質問した。脈はある!その後益さんの尻を叩き続けた。

「最初BSでやってみようか…」

やっと返事があり、条件付きながら動き始めそしてついに益さんからGO!が出た。しかもBSではなく、いきなり総合の「土曜特集」に決まった。土曜の十九時三十分から二十時四十五分までの七十五分枠だ。

すごい!ゴールデン枠の放送になる。私と宮下氏は手を取り合って小躍りした。夢ではない。益さんが神様に見えてきた。

プロデューサーにNEPの大之木氏、勿論構成は宮下氏、そして制作実務はアズクリエーションの藤原氏に決まった。

早速番組タイトルの検討に入った。それぞれが思いつくタイトルを会議室の黒板に羅列し議論し次々と消されていく。

私は最終決定の条件に短縮して使えるものにしたいと伝えた。

選考は難航したが最後に黒板に残っていたタイトル「そして歌は誕生した」に決定した。短縮して「歌誕(うたたん)」。なかなかいいタイトルだと思った。

番組内容は七十五分で三曲の秘話を取り上げることになった。いよいよ私の出番だ!選曲が番組の命だと思った。

迷いに迷ったが、北島三郎『風雪ながれ旅』石川さゆり『天城越え』まではすんなり行ったが、あと一曲が決まらない。

私の持論のひとつ、困った時にはひばりさん。タレント不在だったが美空ひばりで行きたいと思い『悲しい酒』を選んだ。

物語の材料は充分にある。あとは徹底した取材、関係者の証言、ロケ地で決まると思った。

『風雪ながれ旅』編は津軽三味線の高橋竹山の生き様を縦糸にした秘話。

その青森小湊ロケで作詞の星野哲郎は高橋竹山に初めて会った。

「歌書きの星野と申します」

「ホォ…」

「十五年前、竹山先生の“津軽三味線ひとり旅”を読ませていただき感動しました」

「ホォ…」

「そして北島三郎君で『風雪ながれ旅』と云う歌を作りヒットしました」

「ホォ…いがった。いがった」

「ご挨拶が大変遅れすみません」

「ホォ…」

高橋竹山は見えない目を天井に向け、時々

「ホォ…」

と、頷くだけだった。

詫びる巨匠、星野哲郎が子供に見えた。

『天城越え』編は弦哲也が歌手への夢を断ち切る葛藤の中、伊豆湯ヶ島の旅館で、三日三晩かけてこの一曲の作曲に没頭した話。当時の再現シーンに弦哲也が号泣する場面もあった。

そして『悲しい酒』は実は美空ひばりのオリジナルではなかったと云う話などを盛り込んだ。

勝てる!益さんの顔に絶対泥は塗らぬぞ!この感動をテレビを通して視聴者にうまく届けられるか…。スタッフの中で興奮して舞い上がってるのは私だけで他はさすがプロ。黙々と自分の仕事に集中していた。

編集も終り試写の案内が来た。この時NHKの東館に立派な試写室があるのを初めて知る。テレビ番組の試写会はレコードの編成会議に似ていた。

進行役の大之木さんが番組コード、放送日、時間、タイトル、概要を説明し試写が始まる。

大ヒットに秘められた物語がテレビ番組になるといいな…かつて益さんに語った私の夢が現実のものになろうとしている。

「人生は歌から歌への旅かもしれない…」

田村高広さんの渋い語りでスタート。

「そして歌は誕生した~名曲のかげに秘められた物語~」

タイトルが画面に映し出された時、私は涙が溢れて止まらなかった。このプロ集団の中で恥ずかしい。ふっと隣の益さんを見ると相変わらずニヤニヤしている。馬鹿にしてるなと思ったが、それでも私の涙は止まらなかった。

平成八年二月二十四日(土)ゴールデン枠で放送されたこの番組は大反響で土曜特集歴代二位の17・9%の視聴率を獲った。そしてこの企画はその後四年も続いた。

 

「なぁ、混んでる急行はやめて、鈍行で座って帰ろうよ」

帰る方向が一緒の益さんも私も既に後期高齢者。誰が見ても背中を丸めた冴えない老人が二人。

スマホに熱中している若者に遠慮しながら

「シニア紅白って云うのはどう?」

「面白いと思うなぁ」

益さんと私は今もまだ夢を語っている。

この章終わり

著者略歴

境弘邦

1937年3月21日生まれ、熊本出身。
1959年日本コロムビア入社、北九州・横浜・東京の各営業所長を経て、制作本部第一企画グループプロデューサー、第一制作部長、宣伝部長を歴任。
1978~89年までは美空ひばりの総合プロデューサーとして活躍する一方、数多くのミリオンヒットを飛ばし、演歌・歌謡曲の黄金時代を築く。
1992年日本コロムビア退社、ボス、サイド・ビーを設立。
門倉有希、一葉の育成に当たると同時に、プロデューサーとして長山洋子の制作全般を担当。
2008年ミュージックグリッド代表取締役社長、2015年代表取締役相談役。

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