「周防社長と長良会長との友情」  周防社長と長山洋子編⑥【第70回】

2019.6.18

周防社長と長良会長との友情

「そっちは雨はどう?」

夜明け前、周防社長からの電話で起こされた。コンサート準備の為、このホテルに泊まって三日目になる。私は慌てて窓の外を見た。

「小雨が降ってますが霧が出てきてるのであがると思いますが…」

その後も周防社長から頻繁に雨の状況チェックの電話がかかって来た。

「境さん!その雨何とかならんか!客足が心配だなぁ…」

「社長!天気だけはどうにもなりませんよ」

「わかってるよ!傘、カッパやタオルなんかは用意してるか?」

この電話でまた仕事が増え忙しくなった。

周防社長の地元市原で開催する長山洋子演歌十五周年記念野外コンサート当日の朝のやり取りである。

雨よ!やめ!やんでくれ!やっと来たこの日、社長が招待する地元の皆さんに喜んでもらいたい。私はそのための智恵も絞った。

先ず祝い花を花火に替えよう。折角頂いた花も野外では目立たない。九月とは言え、まだ花火シーズンで楽しんで頂けると思った。

この企画は大成功した。当時メジャーリーグマリナーズのイチロー選手からも花火が届けられ紹介されると大歓声が起きた。

次にコンサートを一部、二部に分け、一部で演歌ファンに馴染みの深いテレビ東京「洋子の演歌一直線」の番組を収録することで豪華なゲストを迎えることが出来た。

五木ひろし、細川たかし、坂本冬美、中村美律子、川中美幸など当時バーニングと関わりのある豪華なゲストタレントの出演が決まった。

地元の演歌ファンにとって夢の顔触れだったが、私は急に長良グループの長良会長が気になった。

以前周防社長と長良会長の不仲が噂になったことがあり、この噂を払拭するために食事会を開いたことがあった。

当初は噂の二人と私で業界馴染みの赤坂〝古母里〟で計画されたが、これだと噂の払拭にはならないし私自身、心細い。

そこでプロダクションの名番頭と言われるナベプロ諸岡専務とサンミュージック福田専務を交えたがこれが良かった。融和な雰囲気の食事会になった。不仲の噂とは反対に二人の友情を強く感じた。

私は記念に二人をテーマにした歌を作った。タイトルもそのものズバリ『友情』(とも)。それを山川豊でCD発売した。

それ以来、私は周防社長と長良会長への気配りに注意するようになっていた。

今回の長山洋子十五周年記念コンサートで長良グループのタレントに声掛けしていない事が気になった。

事前に話しておこうと思い、長良会長を訪ねこれまでの経緯を説明した。

「会長!お蔭様で長山洋子が演歌十五歳になりました」

「ああ良かったな!あの子はいい子だよ。俺は昔からそう思っていた。本当にいい子だよな…」

「ありがとうございます。その洋子が周防社長への感謝の気持ちを込めて十五周年記念コンサートを社長の実家のある市原で開くことになりました」

「ああそれは良かった。あの子はそう云う事を考える子なんだよ!実にいい子だよな!周防さんも嬉しいよな…」

例の嗄れ声でニコニコしている。

「会長!今日は良い子悪い子の話に来たんじゃないんです」

「じゃ、なんだ?」

「実はその時にテレビ東京の番組収録を兼ねて行いますが、周防社長の気持ちに配慮してゲストはバーニングに関わりのあるタレントに限らせて頂きました」

「わかった!」

「そのうえコンサートのお客は全員地元の演歌ファンを社長が招待するもので業界へのご案内もしません。十五周年記念コンサートとは言え、完全クローズドで行います。会長にその主旨をご理解頂きたいと思い、事前にお話に伺いました」

「ああそうか、そうか。俺もうちのタレントも行かなくていいんだな。わかった!境ちゃん気を遣わせたな。ありがとな」

私はホッとして長良事務所を出た。

追いかけるように長良会長から電話があった。

「境ちゃん!さっきの話だけど俺にも手伝わせてくれや。俺と周防さんの仲だし、今どきこんな社長と歌い手の美しい話はないぞ。うちのきよしを市原に連れて行ってくれ」

「いやいや会長!ありがたいのですがお客は全て周防社長のお客ですし、マスコミの取材もありません。細かい事ですがギャラも足代もありません。お気持ちだけ頂き社長に伝えます」

「いやいやそんな事はいいけど、きよしは今、絶好調なんで扱いだけちょっと考えてやってくれるか?一日預けるからよろしく!」

電話は切れた。

飛ぶ鳥を落とす勢いの氷川きよしに演歌のベストシーズンの九月末、スケジュールが空いている訳はない。

長良会長に相当負担をかけたことになった。地元ファンは大喜びすることはわかっているが、周防社長にどう報告するか悩んだ。

久しぶりに先走ったことで、大きな地雷を踏むことになるのか…。

---つづく

著者略歴

境弘邦

1937年3月21日生まれ、熊本出身。
1959年日本コロムビア入社、北九州・横浜・東京の各営業所長を経て、制作本部第一企画グループプロデューサー、第一制作部長、宣伝部長を歴任。
1978~89年までは美空ひばりの総合プロデューサーとして活躍する一方、数多くのミリオンヒットを飛ばし、演歌・歌謡曲の黄金時代を築く。
1992年日本コロムビア退社、ボス、サイド・ビーを設立。
門倉有希、一葉の育成に当たると同時に、プロデューサーとして長山洋子の制作全般を担当。
2008年ミュージックグリッド代表取締役社長、2015年代表取締役相談役。

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