【歌怪獣・島津亜矢】その歌声に人々が魅了される理由とは

2022.3.28

楽曲に込められた世界観を豊かに表現する歌声を持ち、「歌怪獣」とも称される島津亜矢。メディアなどで見せる明るい雰囲気と優しい人柄もあり、その歌声とキャラクターに魅了される方が増えています。

今回は、15歳から歌手デビューし、35年以上も演歌歌手として第一線で活躍している島津について、これまでの道のりや魅力をご紹介します。

演歌歌手デビューまでの道のり

まずは、島津が演歌歌手デビューするまでの道のりを見ていきましょう。

“えん歌の申し子”として名を馳せた幼少期

幼少期の島津

幼少の頃から演歌に触れて育ってきたという島津。数々のコンテストに出場し、6歳までにはなんと100本以上のグランプリを手にします。艶と張りを併せ持った島津の歌声は、地元である熊本県のテレビ関係者からも「天才少女」と絶賛されました。

熊本県にいる天才少女のうわさは、またたく間に音楽界に広がります。演歌や歌謡曲に対して批判的な意見をしていることで有名だった作曲家・高木東六は島津の歌声を聴き「末恐ろしい!」と絶賛し、『酒は涙か溜息か』『青い山脈』『長崎の鐘』など数々の名曲を世に出した歌手・藤山一郎も「日本の演歌の財産だ」と唸らせるほどでした。

幼少期の時点で、島津の歌声が日本音楽界の黎明期を支えてきた人物からも一目置かれていたことがうかがえます。

15歳で念願の歌手デビュー

演歌歌手としてデビューした当時の島津

音楽界で大きな注目を浴びた島津は、1986年5月21日にシングルCD『袴をはいた渡り鳥』を発表。15歳という若さで演歌歌手デビューを果たしました。

順風満帆に演歌歌手としての道を進んでいるかのように見えましたが、数年後、事務所移籍の関係で活動をセーブせざるを得なくなってしまいました。所属するレコード会社もボイストレーニングに通わせたりと島津をサポートしますが、歌手として思うように活動できない島津の心はどんどん揺れていきました。

演歌歌手デビューから現在に至るまで

15歳で演歌歌手としてデビューした島津。ここからはデビューから現在に至るまでを見ていきましょう。

『愛染かつらをもう一度』がヒット

事務所移籍の関係で活動をセーブせざるを得なくなってしまった島津に転機が訪れたのは、1991年のときでした。師匠である星野哲郎が作詞を手掛けたシングル『愛染かつらをもう一度』が30万枚を超える大ヒットを記録したのです。

星野は「演歌の詩人」と呼ばれる演歌・歌謡界を代表する作詞家です。水前寺清子、都はるみ、北島三郎といった大物演歌歌手にデビュー前から関わっており、『三百六十五歩のマーチ』『アンコ椿は恋の花』『兄弟仁義』といった名曲を彼らに提供したことでも知られています。島津とはデビューシングル『袴をはいた渡り鳥』で作詞を手掛けて以降、親交を深めていました。

『愛染かつらをもう一度』のヒットにより演歌歌手として一気に注目を浴びることになった島津は、1994~1998年までラジオ番組「歌うヘッドライト」のパーソナリティを務めるなど、活躍の場を広げていきました。

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紅白歌合戦で魅せた圧倒的な歌唱力

そして、2001年に開催された第52回NHK紅白歌合戦に初出場。母への愛と感謝の思いが詰まった『感謝状~母へのメッセージ~』を披露し大きな話題を呼んだこの日は、島津の念願が叶った日になりました。

その後はコンサートを精力的に行い、2015年には第66回NHK紅白歌合戦に14年ぶりに出場。『帰らんちゃよか』を披露しました。本楽曲はもともと熊本出身のタレント・ばってん荒川の楽曲でしたが、島津が感銘を受け「私にもこの曲を歌わせてください」と直談判し、歌唱することに至った楽曲です。14歳で単身熊本から上京した島津だからこそ、思い入れがあった楽曲であることがうかがえます。

さらに、2018年に開催された第69回NHK紅白歌合戦に出場した際には、中島みゆきの代表曲『時代』をカバー。歌唱後には、島津の公式ホームページのサーバーがダウンする事態となり、島津の歌唱力と表現力に多くの方が魅了されたことがわかります。

コンサート・テレビ出演など幅広く活躍中

新型コロナウイルスの影響がありながらも、島津は現在もコンサートやメディア出演を精力的に行っており、毎年恒例となる日本全国でのツアーコンサートも予定しています。

ずば抜けた歌唱力と表現力を併せ持った「歌怪獣」の歌声を直に感じるチャンスですので、気になった方は公式ホームページをチェックしてみてください。

島津亜矢の魅力

15歳でデビューし、今も精力的にコンサートを行うなど、演歌・歌謡曲界の最前線で活躍する島津。その魅力とは、いったいどのようなものなのでしょうか?

“歌怪獣”という異名が付けられるほどの歌声

島津といえば「歌怪獣」というニックネームが有名ですが、実はこのニックネームの名付け親は、俳優で芸人、ミュージシャンとしても活躍するマキタスポーツ。2016年1月に放送されたラジオ番組で、マキタが島津の声を「歌怪獣」と称して絶賛したところから始まっています。

島津自身も「歌怪獣」というニックネームを気に入っており、2019年7月に放送された「うたコン」(NHK総合)でマキタと共演した際は直接感謝を伝え、マキタのギター演奏をバックに『帰らんちゃよか』を歌唱しました。

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どんな名曲も自分のものにする表現力

演歌歌手としての活動とともに、島津がライフワークとしているのが、カバーアルバム『SINGER』シリーズです。本作品はJ-POPや洋楽といった演歌とは異なるジャンルを島津が歌い上げるというもので、2010年10月6日に一枚目をリリースしました。
最新作である『SINGER7』ではKing Gnuの『白日』や映画『グレイテスト・ショーマン』の『THIS IS ME』などをカバーしており、その表現力を遺憾なく発揮しています。

ジャンルを超えてさまざまな楽曲を歌い上げる島津の表現力は、演歌の枠を超えて若い世代にも支持されています。

また、自身のYouTubeチャンネル「島津亜矢【公式】歌怪獣チャンネル」でもさまざまな楽曲をカバーしている動画を投稿しています。特に、MISIAの楽曲でGReeeeNのHIDEとのコラボレーション・ソングである『アイノカタチ』を歌唱した動画は、2022年3月現在で300万回以上再生されており、ジャンルを超えてさまざまな楽曲を歌い上げる島津の表現力は、演歌の枠を超えて若い世代にも支持されています。

ファンを惹きつけるギャップ

「歌怪獣」というと強いイメージを持ちがちですが、普段は大人しい性格だそうです。
また、メディア出演した際は終始ニコニコして明るい人柄を見せており、お茶の間に癒しを届けています。歌っている姿からは想像できない、可愛らしい内面もファンを惹きつける魅力なのかもしれません。

老若男女、聴く人すべてを虜にする演歌歌手

幼いころから演歌で表現力を培ってきた島津は、演歌とともにライフワークとしているカバーアルバム『SINGER』シリーズでJ-POPや洋楽をカバーし、若い世代からも支持を集めています。とどまることを知らない「歌怪獣」は、今後も演歌界の最前線を突き進んでくれることでしょう。

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