手塚治虫との意外な関係も NHK連続テレビ小説『エール』再開記念「もっと知りたい!作曲家・古関裕而」~第2回 戦時歌謡~

2020.9.28

NHK連続テレビ小説『エール』は、数々のヒット歌謡曲で昭和の音楽史を代表する作曲家・古関裕而(こせきゆうじ)氏と妻で歌手としても活躍した金子(きんこ)氏をモデルに音楽とともに生きた夫婦の物語を描いたドラマ。この連載は生涯に5000曲もの作品を残した古関裕而氏の足跡を知って、もっとドラマを楽しんでみませんか?というもの。現在放送中の回では戦争が物語に暗い影を落とし始めています。今回は、戦時下に多くのヒットを飛ばし、人々の心を支え続けた古関裕而が作曲した、さまざまな戦時歌謡をご紹介。

(※トップ写真:慰問映画の音楽を指揮する古関裕而。福島市古関裕而記念館蔵)


依頼された時はすでに完成していた!?『露営の歌』

昭和16年、妻・金子(左)と『露営の歌』記念碑前で(写真提供 日本コロムビア)

日本初の国際的なオペラ歌手・三浦環(ドラマでは柴咲コウ演じる双浦環)もお気に入りだった『船頭可愛や』(昭和10年の発売当時は『船頭可愛いや』)が評判になったものの、ヒットメーカーとはいえなかった古関裕而。そんな古関が超特大ヒットを飛ばしたのが、昭和12年に発売した戦時歌謡『露営の歌』だった。性格的には好戦的なところが微塵もない古関だが、彼の音楽的な持ち味である〈クラシックの格調〉〈勇壮なメロディ〉が戦時下にピタリとハマった。古関が作る曲は、戦地へ送り出される兵隊だけではなく、銃後を守る女性、兵隊になるための学校に通う学生と、あらゆる人々の心を捉えた。

 

古関が『露営の歌』を作曲したのは、不思議な偶然だった。

 

日中戦争が勃発した昭和12年、古関夫妻は満州旅行に出かけた。「危ないからよした方がいい」と言う人もいたが、妻・金子の兄や妹が住んでいた関係で、「今のうちに会っておきたい」という夫婦の意志によるものだった。無事旅行を終え、中国・大連から大型客船で神戸へ帰る途中、日本コロムビアから古関の元に「急ぎの作曲があるから特急で上京されたい」という内容の電報が届いた。

 

夫妻は特急電車に乗るため下関へ向かった。古関が車内で新聞を広げると、公募され第一席となった戦時歌謡『進軍の歌』の歌詞が掲載されていた。当時は下関から東京まで特急で十数時間かかったので、古関は退屈しのぎに第二席に選ばれた詞に曲をつけた。「鐘よ鳴り響け 古関裕而自伝」(古関裕而著/集英社文庫)によると、たった今満州で見てきた光景を思い浮かべて、スラスラとメロディが書けたそうだ。

 

日本コロムビアに着くと、担当ディレクターに「第二席の歌詞に曲をつけてください」と依頼され、「それならもう作曲しました」と譜面を差し出したというから、ディレクターはさぞ驚いたことだろう。ちょうど夏休みの時期、作曲家たちがこぞって避暑に出かけていたせいで、古関に依頼が回ってきたという事実もまたとない幸運だったといえる。

 

『露営の歌』は、『進軍の歌』のB面として発売されたが、『露営の歌』の人気が高く、戦前の流行歌売り上げ第1位となった。その後、何曲もヒットを飛ばした古関に、日本コロムビアがつけたキャッチフレーズは〈軍歌の覇王〉。しかし、その勇ましいフレーズとは裏腹に、昭和13年に中支派遣軍に従軍したときは、仮設舞台で聞いた兵隊たちの『露営の歌』の大合唱に胸が詰まり、涙でスピーチができなかったという逸話も残る。

銃後の女性とインドネシアに愛された『愛国の歌』

昭和13年、当時の3大婦人雑誌「主婦の友」誌上で、女性向けの戦時歌謡『愛国の花』の歌詞が公募された。当選したのは詩人の福田正夫の詞で、銃後の女性を桜や梅、椿や菊に例えた美しく叙情的な世界観を現したものだった。古関はこの歌詞を優雅で明るい長調のワルツにのせた。『愛国の花』は軍需工場で働く女性が増えるとともに広く歌われるようになり、人気曲となった。『あなたが選んだ古関メロディーベスト30』(日本コロムビア)でも第20位に輝くこの歌は、戦後の懐メロ番組でもおなじみの曲となり、オリジナル歌手の渡辺はま子が美しいソプラノを響かせた。

 

当時、戦地へ送る慰問袋の中に『愛国の花』のレコードが入れられたことから東南アジアなどで流行し、特にインドネシアで大人気となった。中でも当時のスカルノ大統領がことのほか気に入られ、自ら歌詞を訳して愛唱されたという。ちなみにスカルノ大統領の第3夫人は、今もタレントとして活躍中のデヴィ夫人だ。

若者たちの決死の覚悟を歌った『若鷲の歌』

戦局が激しさを増した昭和18年、映画「決戦の大空へ」の主題歌を依頼された古関は、詩人で作詞家の西条八十とともに霞ヶ浦航空隊に1日入隊した。出来上がった長調の曲は教官たちには評判がよかったが、当の古関はどこかしっくりこなかった。後日、航空隊に向かう茨城県・土浦行きの常磐線の中で、電車に揺られて思いついた短調の曲を予科練の生徒たちに聞かせると、悲壮感を感じるその曲に圧倒的な支持が集まった。

 

そのような経緯で発売された『若鷲の歌』は、昭和19年8月末までに23万3千枚を売り上げた。『あなたが選んだ古関メロディーベスト30』(日本コロムビア)でも、第28位とベスト30位入りしている。

 

最後にご紹介するのは、漫画の神様・手塚治虫とのエピソードだ。昭和20年4月、戦意高揚のために松竹が作った日本初の長編アニメーション「桃太郎 海の神兵」を、焼け野原状態の大阪で観た手塚治虫は、その作品の素晴らしさに感動、将来は漫画映画を作る決意をしたという。この作品の音楽監督は古関裕而。手塚治虫が日本の漫画・アニメーション文化に大きな功績を残したのも、古関の音楽がきっかけのひとつだったのだ。

 

たくさんの戦時歌謡を作曲した古関だが、本人は決して戦争を賛美していなかったことは、前出の従軍先でのエピソードからもわかる。自分の曲で多くの若者が戦地へ送られたことを生涯忘れず、戦後の曲に鎮魂の気持ちを込めた。古関の曲に「鐘」をイメージした歌が多いのはそのためである。

参考

福島市古関裕而記念館
「あなたが選んだ古関メロディー ベスト30」(日本コロムビア)
「古関裕而――流行作曲家と激動の昭和」(刑部芳則著/中公新書)
「鐘よ鳴り響け 古関裕而自伝」(古関裕而著/集英社文庫)

 

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【鎮魂そして希望の音楽】「もっと知りたい!作曲家・古関裕而」~第3回 戦後歌謡曲~

【オリンピック・マーチ】「もっと知りたい!作曲家・古関裕而」~第4回 スポーツ・応援歌~

日本コロムビア 古関裕而特設ページ

URL:https://columbia.jp/koseki/

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古関裕而プロフィール

福島市古関裕而記念館蔵

明治42年、福島県大町に生まれる。昭和5年9月に日本コロムビア入社、以降作曲家として活躍。『オリンピック・マーチ』、『栄冠は君に輝く』、『六甲おろし』など、日本人に愛される数々の名曲を手掛け、全国の校歌や応援歌を含め、生涯に5000曲もの作品を残した。

作品情報

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あなたが選んだ古関メロディーベスト30

古関裕而が作曲した数多くの作品の中から人気投票を実施。人気トップ3『高原列車は行』『栄冠は君に輝く』『長崎の鐘』のほか『オリンピック・マーチ』『六甲おろし』『モスラの歌』『とんがり帽子』などの上位30曲に加え、『フランチェスカの鐘』など4曲をボーナス・トラックとして収録。 2020年4月29日発売/2枚組/COCP-41121-2/¥3,000+税

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