【鎮魂そして希望の音楽】NHK連続テレビ小説『エール』放送記念「もっと知りたい!作曲家・古関裕而」~第3回 戦後歌謡曲~

2020.10.12

NHK連続テレビ小説『エール』は、数々のヒット歌謡曲で昭和の音楽史を代表する作曲家・古関裕而(こせきゆうじ)氏と妻で歌手としても活躍した金子(きんこ)氏をモデルに音楽とともに生きた夫婦の物語を描いたドラマ。この連載は生涯に5000曲もの作品を残した古関裕而氏の足跡を知って、もっとドラマを楽しんでみませんか?というもの。
長い戦争が終わり、日本人は焼け跡から力強く立ち上がります。古関裕而は戦後の荒廃した社会の中で、明るく希望に満ちた歌謡曲を次々と発表し、多くの人々を元気づけました。今回は、古関が手がけた代表的な戦後のヒット曲をご紹介します。

(※トップ写真:公私ともに親交が深かった菊田一夫(右)と。 写真提供 日本コロムビア)


劇作家・菊田一夫と手がけた『とんがり帽子』

敗戦を迎えてGHQに占領された日本に、明るく可愛らしい少女の歌声がラジオから流れた。『あなたが選んだ古関メロディーベスト30』(日本コロムビア)第10位の『とんがり帽子』は、戦争孤児や浮浪児救済キャンペーンのため、CIE(GHQの民間情報教育局)の命令でNHKが制作したラジオドラマ「鐘の鳴る丘」の主題歌だった。当時の人気童謡歌手・川田正子の歌声で始まるこのドラマは、娯楽に飢えていた人々に熱狂的に迎えられた。

 

「鐘の鳴る丘」の脚本家であり、主題歌の作詞を担当した菊田一夫と古関は、昭和12年にNHK(当時はJOAK)のラジオドラマでタッグを組んで以来の旧知の仲。エネルギッシュで短気な菊田と、いつもニコニコと温和な古関は、「おしどり夫婦」と評されるほどの名コンビだった。番組は大評判となり、昭和22年7月から昭和25年12月まで、実に3年以上も続いた。劇伴はハモンド・オルガンで演奏されたが、菊田の脚本が毎回遅れるのでオルガン奏者の練習時間がとれず、途中から古関本人が弾いている。

 

古関と菊田は『雨のオランダ坂』(『あなたが選んだ古関メロディーベスト30』(日本コロムビア)第47位)、『フランチェスカの鐘』(第39位)、放送時間に女湯が空になったという伝説のラジオドラマ『君の名は』の主題歌(第9位)など、次々とヒットを飛ばした。そして、娯楽の中心がラジオからテレビに移ってからは、菊田が演出する舞台の音楽を数多く手がけた。古関曰く、菊田一夫は「私の音楽の最大の理解者」だったという。

鎮魂の願いを込めた『長崎の鐘』

『長崎の鐘』を歌った藤山一郎(写真提供 日本コロムビア)

昭和24年、終戦の混乱もひと段落して生活が少しずつ落ち着いてきたが、古関の心は晴れなかった。自らの曲で多くの若者が戦地へ送られた事実や、火野葦平ら従軍作家が戦犯として公職追放されたというニュースを聞き、自らも戦犯として厳しく追及されるのではないかという怯えもあった。

 

そんな時、古関は長崎医科大学の永井隆博士が上梓した随筆集「長崎の鐘」「この子残して」を知る。博士は、戦時下に行なわれていた結核のX線検診のために白血病を患い、長崎の原爆では妻を亡くしていた。また、自らも重傷を負いながら、被爆者の救護活動をしたことでも知られていた。

 

永井博士と親交のあった医学博士・式場隆三郎氏によりレコード化が企画され、古関が戦時下に亡くなった人へのレクイエムとして作曲した『長崎の鐘』が大ヒット。この曲は『あなたが選んだ古関メロディーベスト30』(日本コロムビア)でも第3位を記録するなど、戦争の傷跡が生々しく残っていた時代の日本人に、ひときわ強い印象を与えている。

 

古関は永井博士と会うことは叶わなかったが、文通で何度もやり取りしていた。クリスチャンだった博士から彼に贈られたロザリオは、現在は福島市古関裕而記念館で大切に保管されている。

永井博士から古関に贈られたロザリオ(福島市古関裕而記念館蔵)

レジャーへの憧れをメロディーに乗せた『高原列車は行く』

絵を描くのが好きだった古関が描いた『高原列車は行く』の色紙(福島市古関裕而記念館蔵)

『あなたが選んだ古関メロディーベスト30』(日本コロムビア)で堂々の第1位に輝いたのは、昭和29年に発売された『高原列車は行く』だ。この曲がヒットした背景には、大衆の間でレジャーを楽しむ生活の余裕が出てきたことがうかがえる。

 

この曲は古関と同郷の作詞家・丘灯至夫(おかとしお)とのコンビによる、「乗り物シリーズ」の代表曲。丘はのんびりした福島の沼尻軽便鉄道をモデルに、古関はスイスのアルプスを颯爽と走る列車をイメージしたという。古関と丘の乗り物シリーズは、郵便馬車、遊覧船、ヨット、登山電車と続き、なんと昭和32年には、ソ連(現ロシア)が人工衛星を打ち上げたというニュースを受け、『人工衛星空を飛ぶ』という曲が発売されたというから驚く。

 

ちなみに丘灯至夫と古関夫婦は古くからの知り合いで、戦時中は、福島の古関家の二階を彼に貸していた。丘の本名は西山安吉。当時は毎日新聞の記者をしていた。古関がペンネームの由来を本人に聞くと「新聞記者は押し(おし)と顔(かお)がきく。これを逆に読むと〈おかとしお〉。アハハ」と笑ったとか。丘灯至夫は、舟木一夫の『高校三年生』や、人気アニメ『ハクション大魔王』の作詞でも知られている。

 

最後にもう一つご紹介しておきたい曲がある。古関は、昭和36年の東宝特撮映画「モスラ」の音楽全般を担当している。モスラ誕生のシーンで歌われた『モスラの歌』(『あなたが選んだ古関メロディーベスト30』第8位)はインドネシアの地方語で歌われ、エキゾチックなリズムとメロディーが印象的。古関がもともと持っていたアラビアやシルクロードへの憧れに加え、戦争中に訪れた中国や南方の影響も感じられ、それまでのさまざまな彼の経験が、この一曲に結実しているといえる。

参考

福島市古関裕而記念館
「あなたが選んだ古関メロディー ベスト30」(日本コロムビア)
「古関裕而――流行作曲家と激動の昭和」(刑部芳則著/中公新書)
「鐘よ鳴り響け 古関裕而自伝」(古関裕而著/集英社文庫)

 

次回はいよいよ古関裕而の真骨頂、「スポーツ・応援歌」をテーマにした楽曲をご紹介。NHK連続テレビ小説『エール』でも取り上げられた早稲田大学の応援歌『紺碧の空』、巨人軍や阪神タイガースの応援歌、全国高等学校野球選手権大会の歌『栄冠は君に輝く』、『オリンピック・マーチ』など。名曲誕生の知られざるエピソードを取り上げます。

過去の記事はこちら⇒

「もっと知りたい!作曲家・古関裕而」~第1回 福島三羽ガラス~

手塚治虫との意外な関係も 「もっと知りたい!作曲家・古関裕而」~第2回 戦時歌謡~

【オリンピック・マーチ】「もっと知りたい!作曲家・古関裕而」~第4回 スポーツ・応援歌~

日本コロムビア 古関裕而特設ページ

URL:https://columbia.jp/koseki/

古関裕而プロフィール

福島市古関裕而記念館蔵

明治42年、福島県大町に生まれる。昭和5年9月に日本コロムビア入社、以降作曲家として活躍。『オリンピック・マーチ』、『栄冠は君に輝く』、『六甲おろし』など、日本人に愛される数々の名曲を手掛け、全国の校歌や応援歌を含め、生涯に5000曲もの作品を残した。

作品情報

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あなたが選んだ古関メロディーベスト30

古関裕而が作曲した数多くの作品の中から人気投票を実施。人気トップ3『高原列車は行』『栄冠は君に輝く』『長崎の鐘』のほか『オリンピック・マーチ』『六甲おろし』『モスラの歌』『とんがり帽子』などの上位30曲に加え、『フランチェスカの鐘』など4曲をボーナス・トラックとして収録。 2020年4月29日発売/2枚組/COCP-41121-2/¥3,000+税

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