【オリンピック・マーチ】NHK連続テレビ小説『エール』放送記念「もっと知りたい!作曲家・古関裕而」~第4回 スポーツ・応援歌~

2020.11.5

NHK連続テレビ小説『エール』は、数々のヒット歌謡曲で昭和の音楽史を代表する作曲家・古関裕而(こせきゆうじ)氏と、妻で歌手としても活躍した金子(きんこ)氏をモデルに、音楽とともに生きた夫婦の物語を描いたドラマ。この連載で生涯に5000曲もの作品を残した古関裕而氏の足跡を知ると、さらにドラマを楽しむことができるはずです。
最終回の今回は、いよいよ古関の真骨頂とも言えるスポーツ・応援歌。ドラマでも取り上げられた早稲田大学応援歌『紺碧の空』、日本の夏の風物詩・夏の甲子園大会の大会歌『栄冠は君に輝く』、そして『オリンピック・マーチ』と、戦後の日本人を鼓舞し続けた古関裕而の楽曲に迫ります。

(※トップ写真:昭和50年(51年の説もあり)、神宮球場にて指揮をする古関裕而。 写真提供 日本コロムビア)


初めて手がけた応援歌『紺碧の空』が大評判に

昭和50年(51年の説もあり)、神宮球場にて指揮をする古関裕而。(写真提供 日本コロムビア)

スポーツ・応援歌は勇壮なマーチが得意な古関にぴったりのジャンル。昭和6年、それまでヒットに恵まれなかった彼の出世作が、早稲田大学応援歌『紺碧の空』だった。ドラマでは山崎育三郎演じる佐藤久志の口利きで、早稲田大学応援部の猛者たちが新婚家庭にドヤドヤと押しかけるシーンが印象的だったが、実は結構、史実が反映されている。古関が伊藤久男(歌手。“福島三羽ガラス”の一人)の家に遊びに行った際、久男の従兄弟で早大応援部幹部の伊藤戊(しげる)に「慶應の応援歌『若き血』に対抗する早稲田の応援歌を」と依頼されたのである。当時はまだ日本にプロ野球はなく、野球といえば六大学野球が人気だった。昭和6年は六大学野球の決戦の舞台でもある神宮球場が、5万5千人規模の大球場にリニューアル・オープンした年でもあった。

 

このとき初めて応援歌を手がけた古関はなかなか曲ができず、しびれを切らした応援部員が家に押しかけたのもドラマと同じだ。金子(ドラマでは二階堂ふみ演じる音)は体の大きい応援部が大勢押しかけるので、家の床が抜けるのではないかと心配したという。今も六大学野球の他、早稲田大学の付属校・系列校が、春夏の甲子園大会で『紺碧の空』を演奏している。ちなみに15年後の昭和21年、慶應は古関に応援歌を依頼した。

『六甲おろし』に『闘魂こめて』。プロ野球応援歌を複数作曲

『闘魂こめて〜巨人軍の歌』レコードジャケット(写真提供 日本コロムビア)

早稲田のライバルである慶應の応援歌を作った古関だが、プロ野球も複数のチームの応援歌を作曲している。日本にプロ野球が誕生した昭和11年、古関が最初に手がけたのは『大阪タイガースの歌』だ。歌い出しの『六甲おろし』が有名な曲だが、当時は関係者配布用の200枚しかプレスされなかったという。しかし、昭和20年代から関西を中心に知られるようになり、昭和60年にリーグ優勝した時は日本中にこの曲が流れた。昭和36年にチーム名を阪神タイガースに変更したことで曲名を変更した『阪神タイガースの歌』は、『あなたが選んだ古関メロディーベスト30』(日本コロムビア)でも第6位と上位にランクインしている。

 

次に手がけたのは、昭和14年の巨人軍応援歌『野球の王者』。昭和38年に、巨人軍30周年を記念して作られた『闘魂こめて〜巨人軍の歌』は、守屋浩、三鷹淳、若山彰と、当時の人気歌手が1番ずつ吹き込むという異例のスタイルでレコーディングされた。こちらも『あなたが選んだ古関メロディーベスト30』(日本コロムビア)で第21位と広く愛されている。

 

さらに昭和25年、古関は中日ドラゴンズの応援歌『ドラゴンズの歌』を作曲。この曲は、昭和49年にリリースされた『燃えよドラゴンズ!』に知名度をとって変わられてしまったようだが、『あなたが選んだ古関メロディーベスト30』(日本コロムビア)では第14位と『闘魂こめて』より人気がある。各チームとも古関が作る応援歌に惚れ込んでの依頼だが、複数のプロチームの応援歌を作るのは珍しいことではないだろうか。

 

古関裕而の野球に関する曲で最も有名なのは、『あなたが選んだ古関メロディーベスト30』(日本コロムビア)で第2位となった、全国高等学校野球選手権大会の歌『栄冠は君に輝く』だ。テレビで毎年流れることもあり、すっかりおなじみの曲となった。『鐘よ鳴り響け 古関裕而自伝』(集英社文庫)によると、戦後の復興も未だ途上の昭和23年、大阪の朝日新聞社でこの曲についての打ち合わせの後、一人で無人の甲子園グラウンドに立ち、高校球児たちの熱戦を想像しているうちに、古関の頭の中にメロディーが湧いてきたという。

 

この曲に関しては面白いエピソードがある。昭和33年、大阪の梅田コマ劇場で開催される演劇の音楽を作曲するため、新大阪ホテルに泊まっていた古関は、毎朝8時頃、ある歌声で起こされていた。「うるさいな」と思いながらも聞いてみると、自分が作った『栄冠は君に輝く』だった。甲子園大会のシーズンだったこともあり、ホテルの隣にあった朝日新聞社が、毎朝スピーカーで流していたのだ。「捕えてみれば我が子なり」と、その時の心情を自伝で語っている。

『オリンピック・マーチ』は山田耕筰先生へのオマージュ

『オリンピック・マーチ』楽譜表紙。(写真提供 日本コロムビア)

昭和39年10月10日、「世界中の青空を全部東京に持ってきてしまったような、素晴らしい秋日和でございます」という、NHKアナウンサー鈴木文彌の名実況とともに東京オリンピックが幕を開けた。『オリンピック・マーチ』の演奏とともに各国の選手団が競技場へと入場する様子を、感激で胸を熱くした古関が愛用の8ミリカメラで撮影していた。

 

古関のもとに開会式用の曲の依頼があったのは、昭和39年2月。オリンピック組織委員会とNHKからの「日本的なものを」という注文に対して、古関は雅楽や民謡を取り入れることを考えた。しかし、それでは若い人の祭典にならないと思い直し、得意なマーチを気持ちの赴くままに書き上げたという。では「日本的なもの」はどこに行ったのかというと、実は曲の最後に『君が代』の旋律を忍び込ませている。漫然と聞いていると気付かないかもしれないが、『オリンピック・マーチ』を聞く時は、注意深く耳を澄ませてみてほしい。

 

実はこの手法、戦前のスポーツ音楽の雄、山田耕筰(ドラマでは故・志村けんが演じた小山田耕三)が、昭和7年に開催されたロサンゼルスオリンピックのために作曲した、派遣選手への応援歌『走れ大地を』で取り入れたテクニック。山田を尊敬する古関の、一種のオマージュといえるのかもしれない。

『オリンピック・マーチ』レコードジャケット。(写真提供 日本コロムビア)

『オリンピック・マーチ』は、『あなたが選んだ古関メロディーベスト30』(日本コロムビア)第4位。戦後の焼け跡から立ち直った日本を象徴するといってもいい曲で、晴れがましい気持ちを思いおこさせ、日本人にとって忘れられない記憶の一つとして刻まれている。

 

生涯に5000曲以上も作曲した古関だが、特に膨大な数を手がけたのが全国の校歌・応援歌だ。その数なんと311曲(うち福島県の校歌・応援歌は109曲)! 北海道のある小学校から、お金がなくて謝礼が払えないため、作曲料の代わりに小豆が送られてきたことがあった。しかし、古関は満面の笑みで、妻・金子のお手製のおはぎを子どもたちと一緒に頬張ったという。もしかしたらあなたの母校の校歌や応援歌も、古関裕而の曲かもしれない。私たちは意識せずとも、彼によって鼓舞され元気づけられてきたのだ。

参考

福島市古関裕而記念館
『あなたが選んだ古関メロディー ベスト30』(日本コロムビア)
『古関裕而――流行作曲家と激動の昭和』(刑部芳則著/中公新書)
『鐘よ鳴り響け 古関裕而自伝』(古関裕而著/集英社文庫)
東京六大学野球連盟Official Website
日刊スポーツウェブサイト

過去の記事はこちら⇒

「もっと知りたい!作曲家・古関裕而」~第1回 福島三羽ガラス~

手塚治虫との意外な関係も 「もっと知りたい!作曲家・古関裕而」~第2回 戦時歌謡~

【鎮魂そして希望の音楽】「もっと知りたい!作曲家・古関裕而」~第3回 戦後歌謡曲~

日本コロムビア 古関裕而特設ページ

URL:https://columbia.jp/koseki/

古関裕而プロフィール

福島市古関裕而記念館蔵

明治42年、福島県大町に生まれる。昭和5年9月に日本コロムビア入社、以降作曲家として活躍。『オリンピック・マーチ』、『栄冠は君に輝く』、『六甲おろし』など、日本人に愛される数々の名曲を手掛け、全国の校歌や応援歌を含め、生涯に5000曲もの作品を残した。

作品情報

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あなたが選んだ古関メロディーベスト30

古関裕而が作曲した数多くの作品の中から人気投票を実施。人気トップ3『高原列車は行』『栄冠は君に輝く』『長崎の鐘』のほか『オリンピック・マーチ』『六甲おろし』『モスラの歌』『とんがり帽子』などの上位30曲に加え、『フランチェスカの鐘』など4曲をボーナス・トラックとして収録。 2020年4月29日発売/2枚組/COCP-41121-2/¥3,000+税

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