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2019.3.25Vol.1_五木寛之 歌いながら歩いてきた【戦争と平和】
Vol.1戦争と平和 第1回目は、五木氏が作詞した歌のなかでもフォーク的な世界感のある、藤野ひろ子の「鳩のいない村」を聴きながら、当時の時代背景…
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2019.3.25【第10回】コロムビア制作部後期の頃⑩「境弘邦 あの日あの頃~昼行灯の恥っ書き~」
心に封印した ひばりさんの顔 私が東京を留守にしている間、宣伝担当の大槻孝造氏はよく頑張ってマスコミ対応をしてくれていた。 私が到着した時、既に…
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2019.3.25【第9回】コロムビア制作部後期の頃⑨「境弘邦 あの日あの頃~昼行灯の恥っ書き~」
細い糸は繋がっていた 冷静になってみると、会社にも家族にも内緒にしていた旅行の行く先がどうしてバレたのか? 後日聞いた話ではひばりさんの訃報の外…
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2019.3.25【第8回】コロムビア制作部後期の頃⑧「境弘邦 あの日あの頃~昼行灯の恥っ書き~」
名古屋空港でのミステリー 名古屋空港の人混みの中で私と掛昇一先生は搭乗手続きを待った。 済州島行の大韓航空のカウンターに長い列が出来、手続きが始…
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2019.3.25【第7回】コロムビア制作部後期の頃⑦「境弘邦 あの日あの頃~昼行灯の恥っ書き~」
美空ひばり 天国へ旅立つ 1988年6月24日、医師団の懸命の治療と親族、多くのファン、そして関係者の祈りも虚しく、天国の家族の元へ美空ひばりは…
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2019.3.25【第6回】コロムビア制作部後期の頃⑥「境弘邦 あの日あの頃~昼行灯の恥っ書き~」
「さようなら」ラジオで最後のメッセージ 「ステージの上で死んでもいい」 決死の覚悟で挑んだ横浜アリーナこけら落としコンサートは中止された。親子で…
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2019.3.25【第5回】コロムビア制作部後期の頃⑤「境弘邦 あの日あの頃~昼行灯の恥っ書き~」
美空ひばり 母と子の絆 十代の和也社長率いる㈱藤和エンタープライズのお披露目会場は事務所の会議室だった。二つ並んだ事務用長机に、缶ジュースが置か…
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2019.3.25【第4回】コロムビア制作部後期の頃④「境弘邦 あの日あの頃~昼行灯の恥っ書き~」
美空ひばり 母の顔 今でも“若”と呼ばせて頂いている。 ㈱ひばりプロダクション社長加藤和也氏のことを私は彼がヨチヨチ歩きの子供の頃からそう呼びか…
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2019.3.25【第3回】コロムビア制作部後期の頃③「境弘邦 あの日あの頃~昼行灯の恥っ書き~」
名曲『川の流れのように』誕生秘話 「ハイ!次の曲の準備お願いします」 1曲30分程度で歌の収録は終わる。ひばりさんの場合、3回以上歌う必要はない…
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2019.3.25【第2回】コロムビア制作部後期の頃②「境弘邦 あの日あの頃~昼行灯の恥っ書き~」
秋元康プロデュース 美空ひばりアルバム制作 旧テレ朝通りを有栖川記念公園方面に向かい、公園の手前を左折したところに秋元康先生の事務所はあった。若…
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